ハラスメントである。
この話は、身バレをしない為に何処を変えるか数か月考えた末に記事にした。
身バレ警戒ではあるが、モラという人種は後先考えておらず、その場しのぎの言動に終始しているので(実際、モラ被害に遭っている人からはこの「その場しのぎ」は賛同を得られると思う)記憶をしていなくて大丈夫だと思うが、警戒しつつ内容を多少ぼかし記す事にした。
内容はまんま事実で間違いないので是非ご覧あれ。
もう20年も前の事だ。澄み渡った空が綺麗な秋晴れの日曜の朝だった。時間は朝10時だったと記憶している。
歳を取ったら分かるだろうが、若い時は人間、昼前まで爆睡できるもので私もその例に違わない若者ではあったが、元嫁はそれ以上に爆睡する人間であった。
元嫁を見ると全く起きる気配は見られなかった。私といえば昼まで寝ていたら晴れ渡った秋の空が勿体ないので、まだ眠いのも我慢して起きて洗濯をしようと思い、洗濯機のある洗面所に向かい、洗濯機に洗うべきものを次々ぶち込んでいった。
ふと、トイレを見るとトイレマットが目に入った。何故か便座カバーも便器の蓋カバーも無かった。
このトイレマット、どうしたものか・・・・
元嫁の性格からして、洗わないと何故洗わないのかと非難し、かといってこのまま洗濯機にぶちこんで洗うと一度で済むが「汚い!」と言いかねず、トイレマット「だけ」を別に洗ったら「水道代と電気代が勿体ない!」と罵倒するかもしれない。どう転んでも非難が始まるだろうと、一瞬で思いを過らせた。
洗濯機は水を注入し始めている。非難されない方法は一体どれが正解かを考えた。
結婚して数年で、既に配偶者に非難される事をここまで警戒しなければならなかったのだ。
健全な人間関係であれば、行動を起こすにあたってここまで考えを巡らす事はあるまい。しかし、モラルハラスメント人間と接すると何を言われるか何をされるかが解らないので、いくつものオプションを考える癖がつくのだが、彼らは非難の為の非難をするのが目的なので、どんなに多くのオプションを用意しても、こちらの考えの及ばない事に着目しそこを突いてこちらの非難を始めるのだ。
私は決心した。
水道代が勿体ないと言われるだろうから、トイレマットを一緒に洗おうと。たった一枚である。どうせ彼女は起きないだろうし。
トイレマットを洗濯機にぶち込み洗濯機が回るか回らないかで元嫁は「何故か」飛び起きてきて、洗濯槽をのぞき込むと
「何でトイレマットを一緒に洗ってるの!汚いじゃない!洗濯一つできなくてホント使えないんだから!」
予想はしていたが、まさかこのように言われるとは思わなかった。非難どころか罵倒である。
一瞬で私の怒りは頂点に達した。
私は概ね以下の事を言った。
・アナタはほぼ毎日昼前まで寝てて起きないので、私は日曜日の晴れが勿体ないから洗濯をしようと思った。
・外で働いている私があなたの仕事である家事をしようとしているのだから、これは手伝いだ。最初から完璧を求めるのはオカシイ。私の家事の仕方が間違っているとはいえ、先ずは「ありがとう」じゃないのか?その後にやり方教えるのが筋。
・文句があるのなら、最初から自分でやれ。
・あなたはいつも感謝も何もない。大体、マットを別で洗ったら「水道代が勿体ない」って言ってたんじゃないのか?あなたはいつもどちらに転んでも非難する人間なんだよ。たった一枚をどうすればいいんだ?
・大体仕事をしたくないから専業主婦しますと頑なに働く事を拒んでおいてなんで日曜日だからって家事をしないのか?日曜だろうと主婦に休みは無いのだ。それが専業主婦なのだ!何か知らんがいつも私に散々専業主婦をバカにしていると抜かし続けたが、専業主婦を一番舐めてるのアンタだ!ただサボりだいだけだろう?
どちらに転んでも何をしても怒り非難する。これをモラルハラスメントと言わず何をモラルハラスメントと言おう?彼らがする事は非難の為の非難である。これがモラルハラスメントの手法なのだ。
上記のような事を私は言い怒鳴り合いになったのだが、私はもう限界であった。私は頭を大きく振って以下の言葉を投げつけた。
「もう嫌だ嫌だ厭だ厭だ嫌だ!アンタはオカシイッ
!もう一緒に暮らしたくないッッ!」
「出てってやる!アタシだってもう嫌だ!離婚だ!」
そういうと彼女は僅か10分で荷物をまとめて出て行った。「他の荷物は後で取りに来る。ふざけんな!」と捨て台詞を吐いて。彼女は常々「収入のない人間に出て行けは卑怯」だと働かない癖に抜かしていた為、私は一度たりとも出て行けと言った事がないのだが、しかし今回は彼女自ら出て行ったのだ。
行き先は大体分るが、私はここまで言ったらやっと離婚出来て自由の身になれる。働こうとしない被扶養者からやっと解放される。収入もやっと自分の為だけに使えるし大学出た時にやるかった事をやろうと、その為の本を明日仕事が帰りに買ってこようと思っていた。
傍らには何も解らずに私を見上げる私の一番愛おしいペットがいた。
思えば、私は嫁なんかじゃなく、この子が人生で一番大事だった。
この子とは離れたくないが、仕方あるまい。連れてきたの彼女だ。離婚したら引き取ってくれるだろう。と思った。
翌日、私は仕事終わりに上記の通り本を買い、ルンルン気分で帰宅すると嫁が居た。
しれっと夕食を作っていた。私はがっかりした。
一言も発する事なく、でも少し気まずそうだったが、私は自分のした事が正しい事、否、向こうが不正だと思っていたので絶対に謝らなかった。
結局彼女はここ以外に帰る場所がないのだ。実家に戻ったところでいい歳をして働かない人間を置いてはくれない。
思えば絶対に働きたくない彼女は私が居なければ生きてゆけないのに、わがまま放題で私に謂れのない喧嘩を突如振っ掛け捲る反抗期の子供のようだった。反抗期の子供なら親子関係という血縁があるから大いなる甘えで怒鳴り散らしてもそうそう縁を切られないが夫婦である。夫婦は他人なのだ。その他人によくここまで罵倒できるものだとよく思っていたし、役所に出した紙きれ一枚で私はどこまで我慢したら良いか解らなかった。
言葉は悪いが、彼女からみたら私は寄生主である。その寄生主の私に何かと言いがかりをつけ怒り罵倒し非難する。そんなに私が嫌いなのなら出て行って独りで働いで暮らせばいいのに。簡単な事だ。しかしそれをする気配はずっとなかった。
幸い日本国は女性が働く事を禁止していない自由な国なのだ。私自身彼女が働く事を止めた事は一切なかった。働いてくれたら家計も少しは楽になるのにと思っていたが、彼女が自ら働くようになったのは、私の収入が上がって余裕が出来てからである。
見ていると、収入が上がった私に対する対抗心から来るという不思議な動機にしか見えなかったのだが、長続きしせずに僅か1週間で終わった。どうせなら収入が低い時に働いて欲しかったものだが、後日、パーソナリティ障害というものを知るにあたり、彼女のこの時の対抗心と今までの一連の行動が理解できて驚いたものだった。
働きたくないから今の楽な立場に甘んじていたいのだ。私に寄生すれば朝からキリキリ働かないで生きてゆける。家事はそこそこやっていれば私は文句は言わないが、私が家事をした場合はこの日のように言いがかりをつけ家事が出来ない夫だとマウントを取り、少しでも家事をしないと家事をしない人間だと、どちらに転んでも罵倒していれば歪んだ根拠のないプライドを保てるのだ。
確証はないが、長い目で彼女を観察していて、確証はないが私には彼女のその魂胆は見え見えだった。
結局離婚話はなし崩しになり、彼女はあそこまで私を罵倒しても大丈夫だと境界線を変更し更に私のテリトリーに踏み込んできた。つまりパワーアップしたのだ。
そこに自省はなかったという事だ。
翻って私はこれから更に自己肯定感の低下と無力感に苛まれて行った。若いうちは上記のように反抗?抵抗する気力があるのだが、モラルハラスメントと一緒にいると、彼らの反応は良く言って馬の耳に念仏、暖簾に腕押しだからだ。否、馬に念仏言ったら蹴り倒され、暖簾を押したら暖簾を盗もうとした!と曲解しターゲットを悪に仕立て上げるように害悪甚だしくなってゆくのだったから。
モラルハラスメントには何を言っても無駄なのだ。