愛着障害の診断テスト。8ヵ月ぶりにやってみました。
なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか
なぜ、自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか
なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか
なぜ、本心を抑えてでも相手に合わせてしまうのか
なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか
上に書いてあること、私は全部当てはまります。
私は愛着障害の「恐れ・回避型」と「未解決型」です。
境界性パーソナリティ障害です。
前回とほぼ変わらない結果。
安定型 0(前回0)
不安型 21(前回20)
回避型 16(前回14)
未解決型 10(前回10)
15点以上、その傾向が非常に強い
10点以上、強い
5点以上ある場合、その傾向も無視しがたい
未解決型は5点以上
ちなみに娘にもやってもらいました。
娘は、
安定型 28
不安型 3
回避型 6
未解決型 0
娘は「安定-回避型」でした。
回避型が5点以上あるので、ちょっとその傾向もあるってことですね。
愛着障害にはいくつかのタイプがあります。
【安定型】(←旦那のタイプ)
もっとも安定したタイプ
【安定-不安型】
不安の傾向はみられるが、全体には安定したタイプ
【安定-回避型】(←娘のタイプ)
回避の傾向はみられるが、全体には安定したタイプ
【不安型】
不安が強く、対人関係に敏感なタイプ
【不安-安定型】
不安は強いが、ある程度適応力があるタイプ
【回避型】
回避が強く、親密な関係になりにくいタイプ
【回避-安定型】
回避は強いが、ある程度適応力があるタイプ
【恐れ-回避型】(←私のタイプ)
不安型×回避型が混ざったタイプ。
不安、回避とも強く、傷つくことに敏感で疑い深くなりやすいタイプ
【未解決型】(←私のタイプ)
親(養育者)から受けた心の傷を引きずり、傷つけられることに敏感なタイプ
私と同じ、「恐れ・回避型」のタイプの方いらっしゃいますか?
【恐れ・回避型】
不安、回避とも強く、傷つくことに敏感で疑り深くなりやすい。
もっとも不安定なタイプ。
特徴→人に過剰に気をつかい、親しみを求める一方、誰にも心許さず、他人が信じられない
対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯乱し、不安定なものになりやすい。情緒的なつながりを本当は求めているのだが、拒否されたり傷つけられたりすることを恐れるため、親しくなりたくても接近できないというジレンマを抱えている。近づきたいが近づけない。人を信じたいが信じられないというジレンマ。
親しくなるまでには高いハードルがあり、なかなか距離が縮まらないが、相手が懐に飛び込んで来たり、相手の疑いのない誠意を前にすると、次第に心を開き、親密な関係を築くこともできる。ただ、その場合も、不安型と回避型が混じった特性を示すので、その関係はあまり安定したものとはいえない。安全基地が本当に安全であるかなかなか信用できず、心を開くまでに時間がかかる。
疑り深く被害的認知に陥りやすいという傾向がある。自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で、人に頼りたい気持ちも強い。不安型の人のように器用に甘えられない。さりとて、回避型の人のように超然とばかりもしていられない。人間嫌いなのに、人と関わり、相手を信じようとするばかりに、そこで傷つくことも多くなる。しかも、親しい関係になって、相手を求めたい気持ちが強くなるほど、うまくいかなくなる。相手の些細な行動も、自分をないがしろにしているように受け取ってしまい、信じられなくなってしまうからだ。
恐れ・回避型の傷つきやすさや不安定さは、養育者との関係において深く傷ついた体験にも由来していることが多い。まだ愛着の傷を引きずり続けている未解決型の人も多い。いまも傷口が閉じないまま、クレバスのように裂け目を露出させている状態であり、不安定な構造が表面まで口を開いているわけだ。そのため、些細なきっかけで不安定な状態がぶり返し、混乱型の状態にスリップバックを起こしやすいと言える。
「回避性パーソナリティ」と「恐れ・回避型」愛着
「恐れ・回避型」は、相手に拒否されるのではないかという恐れに絶えずとらわれ、その結果、親密な関係を避けてしまうが、それは本来の回避性パーソナリティの定義そのものといってもよいだろう。拒否されることを恐れて近寄れないが、心の底では、愛されたいと願っている。それゆえ、回避性パーソナリティの人は、ひとたび親密な関係になると、今までのよそよそしく、恥ずかしがり屋だった人物とは別の面を見せることも珍しくない。
親しい身近な人に対しては、回避的な面よりも、見捨てられることを恐れる不安型の面を強く見せるようになるのだ。そのため、相手を失うことを恐れて、失うよりも先に立ち去ろうとしたり、逆に相手を束縛し、独占しようとしたりする。過度に相手に依存し、思い通りにならないと不満や怒りをぶつけるということも起こりやすい。あんなに控えめで、おとなしかったパートナーの豹変ぶりに、相手はすっかり戸惑うこととなる。
回避性パーソナリティの人では、外向きの関係と親密な関係で、まったく異なる顔を見せやすい。外向きに見せる顔は、距離をとった、相手を容易に寄せつけない、あるいは良い子の仮面をかぶった表面的なもので、それ以上踏み込んだ関係になりにくい。ところが、その防衛線を超えて、ひとたび内面を見せてしまうと、強い愛情欲求や承認欲求をもつ面を露呈するようになり、高い期待や要求をつきつけ始める。辛辣で否定的な評価を、もっとも依存している相手にぶつけてしまうことも珍しくない。
音楽家のベートーヴェンは、「恐れ・回避型」愛着スタイルの持ち主だったようだ。『美女と野獣』の野獣の苦悩は、心の底では愛されたいと思っていることに由来する。しかし、その気持ちを持つがゆえに、心がつながり、恐れが解ければ、愛を手に入れることもできる。
【未解決型】
未解決型の人は、普段は穏やかで、明るく、落ち着いているように見えても、その人の愛着に傷を与えた人のことを考えただけで、冷静ではいられなくなり、顔つきまで変わってしまう。その部分にだけ、心のクレバスを抱えているのである。
こうした傷の影響は、他の対人関係にも及んでしまう。人を心から信じられなくなってしまったり、傷つけられることに過敏になりすぎて、悪意がない相手や物事にまで悪意を感じてしまい、過剰反応し、良好だった関係まで自分から壊してしまうということが起きやすい。
結局、その人は、過去の亡霊を、目の前にいる別の存在に対して見てしまっているのである。親や、その人を傷つけた存在に対する不信感や怒りを、別の人にぶつけ、幻を相手に一人相撲をとってしまい、結果的に無関係な人間関係まで壊してしまう。
ずっと昔のことなのに、昨日のことのように、その不快な記憶がよみがえってきて、もう一度心をえぐられるような気持になる。傷つけた人への怒りの気持ちにとらわれ、イライラしたり、かと思えば、やるせない悲しい気持ちになって落ち込んだりする。
「自分を傷つけた人」が、本来であれば自分をいちばん守ってくれるはずの親であったということも多い。また、親が意図的に傷つけてきたというよりも、親にはそのつもりはなかったが、結果的に傷つけてしまっていたというケースも多い。
理不尽に責められ、否定されるだけでなく、そうした攻撃から誰も自分を守ってくれないという絶望感の中で育つ。それが安心感の乏しさや根深い対人不信感となって、心だけでなく体に染み付いている。かつて傷ついた状況と似た状況が再現されると、たちまち気持ちが落ち込んだり冷静さを失ったりして、情緒不安定になってしまう。
未解決型愛着の人に伴いやすい問題としては、解離症状や依存症である。未解決型の人は、心にクレバスを抱えているようなもので、意識や人格の統合が脅かされる瞬間がある。それは、自分を傷つきから守るための手段でもある。不快な現実や記憶に向き合うことを避けるために、意識や記憶を飛ばしてしまうのである。
目の前に迫っている不愉快な現実を忘れるために、我々がつねづね頼る手段といえば、飲酒や食べることで気持ちを紛らわしたり、ギャンブルやゲーム、買い物やセックスに夢中になることだったりする。ことに未解決型愛着の人は、こうした依存症になりやすいといえる。
未解決型の二つのタイプ
①未解決・不安型(とらわれ型)
未解決型と不安型(とらわれ型)が同居しているケース。未解決な心の傷が絡んだ部分以外の対人関係全般においても、傷つきやすく、過剰反応しやすいタイプである。しかし孤独には耐えられず、依存できる人を求めていて、実際、依存対象である人物にすがって生きている。にもかかわらず、思い通りにならないと自分が依存している相手を攻撃するという行動パターンをとる。親との関係は不安定で、表面的にいい親子関係を装っている場合でも、親と会うたびに自分が愛されていないと感じて落ち込むことが多い。
些細なことがきっかけで、気分や態度が変動する情緒不安定な傾向と、自分を損なうような行動をわざわざしてしまう自己破壊的行動が特徴的である。それが強まって、生活が破綻してしまった状態が、「境界性パーソナリティ障害」であるが、境界性と診断されるほどはないものの、そうした傾向を抱えている場合には、未解決・不安型(とらわれ型)の愛着スタイルがベースにあることの方が多い。
②未解決・回避型
未解決な愛着の傷を引きずりながら、人と距離をとることでバランスをとろうとするタイプで、未解決型と回避型が同居するタイプ。恐れ・回避型と呼ばれるタイプにおおむね一致する。誰にも気持ちを許せないし、甘えることもできないのだが、回避型とは違って他人の反応に無頓着というわけにはいかない。他人の顔色が過度に気になってしまう面ももつ。他人とかかわると、また嫌な思いをするのではという不安や恐怖のために、他人と親密な関係をもつことができない。
本来は回避型ではなかった人が、愛着の傷を受けて、回避的戦略をとるようになったと考えられる。それゆえ、相手が自分を受容してくれる存在だと確信できると、このタイプの人は、心を開き、つながりをもつことができる。
不登校やひきこもりのケースに少なくない。親や家族が安全基地にならず、逆に本人を傷つけたり振り回したりして、力を削いでいる。過度の支配によって、やりたいことをやらせてもらえず、やりたくないことをやらされたという状況も多い背景である。また、イジメなどの体験が、さらに愛着にダメージを与え、人に対する安心感や自己肯定感を脅かしていることも多く、殻に閉じこもることでかろうじて自分を守ろうとする。問題に向き合うことができず、何事もないかのように問題にフタをしてバランスをとっているが、無気力や、人生に対する消極的な態度が見られることが多い。
愛着の傷にはさまざまなものがあるが、修正を行おうとしても強いブロックがかかっているか、激しい抵抗が起きるかして、簡単に跳ねのけられてしまうことになりやすい。
***
傷が深いほど、強いブロックと激しい抵抗
私はもう無理と思います。
どうにもこうにも変われません。
あまりにガチガチに強力なブロックがついてしまってるので
もうむりです・・・
人生46年生きてしまってるから
余計にむずかしいっしょ。
ここに書いてあること、ほとんどが私と一致。
メンタル不安定ながら、
ここに書いてあるような人間だけど
私は私という人間で生きていきたいと思います。
こんな人間なので、平凡じゃない人生。
平凡じゃない人生、というのもある意味貴重なのかな。
こーいう人間なので、
せっかくだったらこんな人生だけど、
人生を謳歌してみたいとも思います。
周りは迷惑??かも??
岡田尊司先生の本
愛着障害~子ども時代を引きずる人々~
愛着障害の克服~「愛着アプローチ」で人は変われる~
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