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1話はこちら☆

わたしの海外生活ストーリー①9歳で突然のアメリカ行き

 

前話はこちら☆

わたしの海外生活ストーリー⑤外国人とのコミュニケーション

 

日本人が1人しかいない5つ星ホテル

 

就職の為に、

右も左も分からない

コロラド州に引っ越した私。

 

ホテルが実際にオープンする、

半年前に現場入りしました。

 

当時のチームメンバーと

まだ完成していないホテルに

ヘルメットをつけて入っては

作業する日々が続きました。

 

これからどんな棚をつけて

どんな備品を用意したらよいのか等

チームで話し合い、協力しながら

接客の練習などもして

プレオープンを迎えました。

 

大切しているおもてなしの心

 

プレオープンでは、ホテル側に招待された

ホテルの幹部の方々やVIPゲストと呼ばれる

お客様が実際にいらっしゃいます。

 

・ゲスト一人一人のニーズの先読み

・NOと言わない接客

 

この2点を徹底して、

毎日仕事に打ち込みました。

 

この時、育んだおもてなしの心は

今でも大切にしていて、

私の生徒さんには

私が持っている全ての知識とコネクションを共有して、

期待以上のサービスを提供したいと思っています。

 

ホテルの仕事は、

毎日何が起こるか分からない

ドキドキがあって

何かあるたびにゲームのステージを

クリアするような感覚で

私は経験値をあげていきました。

 

でも、

実は意識や見方を変えたら、

誰の世界でもそうなるんですキラキラ

 

生まれたときに

レベル1だったとしたら、

あなたはどれだけの経験値を

積んできていますか?

出会いを大切に

 

人が一生のうちに出会う人の数を

知っていますか?

 

ある統計によると、

人が一生のうちに

出会える人数は3万人

だそうです。

 

・学校や仕事を通じて近い関係になる人は、3000人

・親しい会話が出来る人は、300人

・友達と呼べる人は、30人

・親友と呼べる人は、3人

 

世界に約80億人もの人がいる中で、

たまたま同じ時代に生まれて、

同じ場所に居合わせて、

何かしらの縁で出会えた人たち。

 

そう思うと特別ですよね♡

 

こういった出会いを

私は心から大切にしたい

と思っています。

 

実際にこの頃お世話になった

マネージャーとは今でも家族ぐるみで

お付き合いがあります。

 

かれこれ15年のお付き合いになりますが、

今でも当時のことを話すと沢山の

面白エピソードが出てきます。

 

コロナになってから中々日本とアメリカを

行き来するのが難しくなってしまいましたが

また必ず会えることをお互い確信しています。

 

 

日本に帰国

リッツ・カールトンに就職してから

2年半もの時が経ちました。

 

またしても転機が訪れます。

 

それは、

東京にあるリッツ・カールトンへの

部署移動でした。

 

慣れ親しんだアメリカを離れて、

日本での挑戦がスタート!

 

アメリカでのおもてなしスタイルと

日本でのおもてなしスタイルが異なり

始めはとても苦戦しました。

 

お辞儀の仕方から歩き方、

立ち振る舞いまで全て一から学びなおし。

 

多い時は1日300人以上もの

お客様を接客する毎日。

 

とても忙しくて

過酷ではありましたが、

私にとっては

人生で欠かせない尊い経験

となりました。

 

 

 

結婚・出産

 

その後、

寿退社をした一年後に娘を授かり、

まだ妊娠中期だった私に、

主人の口から驚きの報告がありました。

 

中国への赴任が決まった

 

んんんんん?

えーーーーーーー!中国!??!?!

 

これが私の当初の反応です。笑

 

その頃の私はテレビで観る

中国の悪い印象しかなく、

 

→P.M2.5

 

→ゴミ袋を何個も積み上げて自転車で

走ってるおばさん

 

→お尻に穴の開いた服を着せられている

赤ちゃん

 

→加工物たっぷりの食品

 

とにかく、

そんな事しか思いつかなかったです。

 

タイミングがタイミングだっただけに、

主人と相談して、

主人が先に中国へ赴任、

生後5ヵ月~タイミングを見て

私と娘が引っ越しをすることに

なりました。

 

不安不安不安不安滝汗滝汗滝汗

そんな私の駐妻生活が始まります。

 

 

続きはこちら☆

わたしの海外生活ストーリー⑦駐在生活スタート