だれかに依存する代わりに
流れている生命に身を任せて
無抵抗でいる
その気楽さ
わたしは今
それを心底味わっている
幸せだ...
パニック障害前は
野口整体の先生に
月一身体をみてもらい
話を聞いてもらい
心理的にも健康面でも
頼り切っていて
この先生が死んだら
わたしのことを内側も外側も
よくわかってくれる人がいなくなって
困るな...
と思っていた
そして
パニック障害真っ盛りの頃
先生が
道場にいる日かどうかで
安心度合いはずいぶん異なっていた
(何かあればすぐ助けてくれる
という安心感)
でも色々パニックのことで
治っただの、治ってないだの
発作を繰り返さずに学べだの
といった先生のことばに
心底喜び、傷つき、
心が自然と離れていった
あんなに依存していたのに
私の身体が先生のところに行くのを
拒んだ
そして
臨床心理士の先生に出会えた
この先生との出会いは
わたしの転機ともなった
しばらく先生の教えに頼っていたが
もう大切なことは学ばせてもらえた
という感じだ
そんな中で
パニックを通して
ありのままに生きる
自然というのか、神というのか、
大いなるものというのか
呼び方は色々だけど
なにかそういったものの中に
われわれは生きていて
それにゆだねる
(もしくはそれそのものである)
それに気づけて
よかったと先生と話した
パニックが大変な頃は
毎日
救急車を呼ばなければならないような
不安定さの中にいたし
わたしは
一人でふつうに
生きられなくなっていることに
ショックだった
そんな自分がいやで
つかれて
この体から逃げたいと思った
逃げようと試みたが
(エネルギー的に
身体の外に出よう試みたが)
できなくて
ひよえーと思った
そんなわたしが
いまこの身体にいながら
再び自由を感じている
いや、前とはちがう自由
何もしなくてもいい
ただいま、ここに、いればいいという
何が起きても
受け入れるという
最高の自由の中に
いる気がする
そして
じぶんの身体の中を流れる
生命に
すべてを預けていればいいという
安心感が生まれている