おはようございます!
ポンコツ夫(ポンさん)の妻、おこめです。

昔の日記を取り出して、ポンさんとのこれまでをシリーズにして書いています。

おこめの昔のお仕事記事です。
ポンさんは出てくるのか…?


部長からデスマーチの案内がきた。

イチ社員のおこめに断る勇気はなかった。
本社は数人技術者を抱えていたが、家庭があったり、妊娠していたり、彼女や彼氏がいるといくらか出張は優遇されていた。

そんな中、結婚もしていなければ、彼氏ナシ、文句も言わずにバリバリ働くおこめは恰好の的だった。

◯◯と□□に1ヶ月、これは住んだことも行ったこともない遠い土地で慣れないながらも、意外と楽しかった。◯◯と□□の間には、元々の支社に戻って働いた。

△△が鬼門だった。高速自動車道を使って2時間半ほどの距離。車を運転しての往復5時間。
その土地に拠点を構えた方が良いと訴えたが、売り上げと予算の関係で無理だった。
孫請けどころかひ孫請けレベルの仕事で、単価は激安でどんなに数をこなしても高速代とガソリン代に更にはわたしの人件費で赤字だった。

疲弊していくなか、わたしは24歳になっていた。

短大を卒業した妹とは、妹が就職してもルームシェアしていた。加えて、当時フリーターだった妹もマンションに転がり込んできて、姉妹3人の生活になった。

会社員の妹は調理師の資格を持っていて、栄養のある食事を作ってくれていた。フリーターの妹は、家事らしい家事はしないけど、家が明るくなった。

姉のおこめは△△に通う激務で、家には寝に帰るだけ。あんまり家にいないので、個室はフリーターの妹が使うようになり、おこめはリビングで寝るようになった。





半年と言われた△△の仕事は、部長の目測を大幅にオーバーしてそれから更に1年近く続いた。

誰がやっても赤字かと思われた。でも社長が付き合いで取ってきた仕事らしく、降りることが出来ない。もうボランティアだと思ってモチベーションを保つのが精一杯だった。

25歳になった。
疲れの取れないままの激務を繰り返し、いつしか生理は止まっていた。

もちろん妊娠などしているはずもない。
産婦人科に行かなくちゃ、次の休みはいつかな?あぁ、しばらく休めない…滝汗

やっとの思いで産婦人科に行くと、多嚢胞性卵巣症候群の疑いが分かった。
将来、子どもは授かれないかもしれない。


限界が近づいているのも分かっていた。
鎖帷子着てますかってくらい身体が重かった。
着たことないけど、きっと重いよねクサリカタビラ。

もう辞めたいな…初めて思った。
競艇見てる所長に仕事を押し付けられたときも、T石さんに嫌味を言われたときも、
H田さんにストーカーされたときも、
M本から身体を触られたときも、
頑張らないといけないって踏ん張ってきた。
でも、もう頑張るの辞めたい…。

26歳になった。技術者はここに自分ひとりしかいない。代わってくれるような後釜もない。そう思って会社を辞められないでいた。

それに学歴がないわたし。再就職は出来ないかもしれない。もし、再就職できたとして、今より酷い会社だったら…?
わたしが世間知らずなだけで、世の中の会社はこれくらいが普通なのかもしれない…。
思考はぐるぐるぐるぐる同じところを回っていた。


ある日。深夜にシャワーを浴びていた。
シャンプーしていると、ある部分で指先に伝わる感覚が変だった。

ハゲている…チーン
10円より大きい。500円くらいのサイズだった。

わたし「うわーっっっ!!!」
それが分かると、漫画みたいな大声が出た。

寝ていた妹達が起きてくる。
風呂場から全裸で飛び出るわたし。

わたし「ちょ、ちょっと見て!!」

妹達「うわっ、禿げてる!」

会社員の妹は職場でのいじめで円形脱毛症になったのを機に、仕事を辞めてしばらく経っていた。

元会社員妹「これは円脱です。間違いありません!」

わたし「うそーっ!」

妹達と笑いながら、泣いた…笑い泣き