おはようございます!
ポンコツ夫(ポンさん)の妻、おこめです。

昔の日記を取り出して、ポンさんとのこれまでをシリーズにして書いています。

おこめの昔のお仕事記事です。
ポンさんがようやく…ニヒヒ

前回のお話はコチラ




都合の良い条件を伝えて知り合いを入社させ、会社の備品を持ち出してトンズラしたT石さん。

道具を返して欲しくて架けた電話は着信拒否されていました。

このあと2〜3ヶ月して、T石は結婚式の招待状を送りつけてきます。見なかったことにして放置してたら、T石から電話が架かってきました。早く返信が欲しいということでしたので、都合が合わないので欠席すると伝えました。本社への出張が決まっていたのは本当だったし。すると、欠席でも返信葉書は送り返してお祝いするのがマナーだよ!と言うので、欠席で葉書を出し1万円の現金書留を送って、今度はこちらから着信拒否しました。お祝い返しはありませんでした。

怒り心頭の中途入社Y沢さん、それでも1ヶ月くらい働き続けていましたが突然来なくなり、結局そのまま辞めてしまいました。

22歳になりました。
同じ歳には大学に通っている友人もいるなか、わたしは異世界に住んでいるような感じがありました。

住んだことないけど(笑)

入社したときとY沢さんが中途で加わったときは3人いた技術者も、おこめ1人となってしまいました。

当然2〜2.5人分くらいの仕事はあるので、本社の応援に行く余裕はなくなっていました。

そんな中、ありがたいことに性犯罪者のM本も自己都合で退職していきました。

元からあった仕事に加えて、おこめが開拓した仕事も増えていてひどいときは会社に20時間くらい居たし、休みが2ヶ月のうち1日だけということもありました。

完全なるブラック会社ですチーン

日給月給制でしたので、お給料はまぁまぁでした。
1日1万として、月30日出勤。
それに、楽器修理や物販が加わると数%の手当が付きました。

会社はどんどん売り上げを要求するのに、手当をどんどん削ってきました。

例えば、本社への応援手当。
初めは「1ヶ月間おこめはアパートを留守するのに家賃は払わなくてはならないから何割か負担する」みたいに言っていました。
だけども、応援に行く前になってもはっきりと割合は決められていなくて…。
とうとう、応援期間も終了間近になって「全く負担出来ない。手当は出さない」と言ってきましたチーン

修理や物販の手当も見直され、引き下げられました。

また、ある支社の技術部の人が営業車をぶつけて報告をあげていなかったことがありました。
そうすると全支社の技術部員の給料を一律で3万下げてきました。
これは後におこめが退職するまでずっとでした。

営業車の修理代は運転者の給与天引でした。
初めの頃はよくぶつけたので大変でした。




そうそう。22歳の春、会社近くでストーカー被害を受けた郊外のアパートから電車で数駅離れた街中のマンションに引っ越しました。

その年の春から短大生になる妹とルームシェアで住み始めたのです。

終電で帰れないこともザラだったので、車も購入しています。





Y沢さんが会社に来なくなっていた頃、わたしはちょうど応援で本社のある都市に滞在中でした。

仕事が終わって寝泊まりしている施設に戻って、ホッとひと息付いていると、携帯が鳴っていることに気付きます。

ディスプレイにはポンさんの文字。

えっ!なにチーン

しばらく放置すると、メールが入ってきました。
18歳で別れて、22歳のこの日まで一切連絡は取っていませんでした。

ポン『久しぶり〜、元気にしてる?
(おこめの苗字)さんが、どうしてるか気になって』

後に分かるのですが、ポンさんは彼女と破局すると元カノに連絡をとりたくなる習性があるようです真顔