お知らせ


このアメーバーブログで「島根半島四十二浦巡礼」を掲載していましたが、都合により、移転します。ライブドアのブログに移転していますので、そちらでのアクセスをお願いします。

URLなどは次のとおりです。

URL http://blog.livedoor.jp/myk16/
ブログ名 島根半島四十二浦巡礼

なお、このアメーバーブログは、内容を変更して継続します。移動のため、少なくとも年内はこのままにしておきます。
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美保関





島根半島四十二浦巡礼

 「美保神社」( 三保関美保大明神 )

垢離取歌  ―― 眞帆に行く船もほのかに美保津姫守り給へや行末の空 ――

・・―― つつじ「ヤマツツジ」 ――・・

(  山越えて遠津の浜の石管自わが来るまでに含みてあり待て  )



船酔いをしたのか頭が痛みました。船の揺れに任せながら、目を瞑りお地蔵様のように静かに座っていました。そのうちに次第に慣れたのか、周囲が見渡せるようになりました。

海岸にせり出す断崖絶壁が、半島に沿って遠くまでうねっています。緑濃い樹林に覆われた森が、高く低く続いています。二羽の鳶が風に飛ばされて、船の後方へと消えました。波しぶきをあげて蒸気汽船が追い越します。魚箱に沢山の野菜や金物類と、いろいろの物が溢れんばかりに積んでありました。境港から生活用品を運ぶのでしょう。遠くに数隻の帆船が浮かんでいます。

舵を取る若衆の背中を、ウメは見ていました。船への乗り降りの度に、ウメを抱いたり、手を握っていてくれた人です。身をまかすしかありませんでした。船への乗り降りには、幅の狭い一枚板を渡らねばなりません。慣れた船乗りには何ともないでしょうが、ウメにとってはサーカスの綱渡りでもするようなものです。ウメは若い男に握られた掌を見ました。体の中を心地よい稲妻が走ります。それを消すかのように、乗客を乗せた汽船が、エンジン音を轟かして擦れ違いました。

 若衆よりかなり年配で、ウメの親のような齢に思える船乗りが、声をかけました。

「お嬢さま、もうすぐ港に着きます。今夜の宿は『美保館』です。女独りでは泊めてくれませんし、怪しい他国者もいて危ないので、一緒の部屋で休ませてもらいますよ。和尚様から頼まれています。なーに、心配はいりませんよ。みんな遊郭の方へ行って朝帰りです。ハハハ。若い衆が宿に帰る頃には、お嬢さまはお立ちの後と思います。道中、お気をつけてお巡り下さいますように……。」

 美保関は古くから、海上交通の要所、風待ちの港として栄えて来ました。北前船の寄港地で松江からの宿場町です。芸者の三味線に歌い踊る船乗りの豪遊する歓楽街もあります。

「お嬢さま、和尚様から口止めされていましたが、あの舵を取っている若衆は、与三郎様とは何がしか、遠縁にあたるそうでございます。豊漁祈願に立派な甘鯛を持参しました。船乗りとしてなかなかの腕扱きのようです。内緒にしといて下され」



 船を降りたウメは、細長い小舟が揚げられている狭い路地を行きました。汐汲みする浜辺を探し、石段から水際に漂う藻を採り、竹筒に塩水を汲みました。

「巡礼のお方、お参りを済ませてからお寄りなさい。ほれ見なされ、一夜干しの真っ赤な焼き鯛。甘塩で美味いですよ」

 白く長い顎鬚のある仙人にも似た店番が、ウメの前に立ちはだかりました。背後には、七輪から立ちあがる炭火の赤い炎。何本もの火柱が、高く燃え上がり揺らいでいます。

「焼きイカをくださいな」

 お客さんの声に踵を返した店番に、ウメは胸を撫で下ろしました。

土産物や魚介類などを売る小屋が並んでいます。神社の境内に咲く山ツツジを見つけました。学校帰り、通学路の山際に咲いていました。花を摘んで蜜を吸い、今度はそれを両手で擦り、口に入れると、甘酸っぱい香りがします。これって、初恋の味かしらと、学校友達と楽しんだ光景が浮かんで来ます。

 青石が敷き詰められた狭い道の両側には海産物、醤油、塩などを商う店や船問屋、旅館などが軒を連ねています。路地の奥まったところにある弥陀ヶ谷と呼ばれる地には、仏谷寺が静かな佇まいを見せていました。

ウメは寺の歴史を思います。

海に三つの怪火が現れ、波風が荒れ狂い、人々は三火と呼び恐れていました。それを封じるため、仏像を彫り、一堂を建立したのです。

ウメはお寺の石段を降りながら、墓地の向こうに広がる赤い絨毯を見ました。それは、山々を真っ赤に染める山ツツジでした。

「巡礼姿のおねえさん。何を見ていなさる?」

 立ち止ったウメを追い越して行こうとした老婆が、曲がった腰を伸ばしながら振り返って声をかけました。

「はい、あの赤い花を……」

老婆は、ウメが聞きもしないのに、花の謂れを語り始めました。

「あの花はな……」

―― 昔のことよ。大火事があった時に、八百屋のお七は、寺に駆け込み、面倒を見てもらった。そこの小姓の吉三に惚れてよー。掟を破って火の見櫓に登り、半鐘を打った。火事だと木戸番が誤解すれば、扉が開かれ、吉三に逢える。動機は燃える恋。お七にとって、それがどんなことか考えなかった。浅墓なことよ。お七は火あぶりの刑になった。哀れに思った吉三は、お七の冥福を祈るために、巡礼の旅に出たのよ。長い旅の内に、吉三は労咳の病にかかっておった。それでも、この関まで辿り着いたのよのー。吉三は、ここでとうとう死んでしまった。死ぬときに、吉三が吐いた血の海の中から咲いたのが、ほら、あそこに咲く山ツツジなんじゃよ。あの色は恋の色とも言うてな、涙の証だという人もおる。お七が好きだった男が流す血の色よの。――

「お姉さんはべっぴんさんだ。男はんには気いつけなはれ。あそこの墓地に吉三の墓があるで、お参りしときなさい。女の恋は燃えると怖いのお」

老婆の差し出した杖の先に、先ほど浜辺で見た七輪の赤い炎が、天まで届く勢いで舞い上がりました。老婆の姿は消えていました。




ウメを幻想の世界に導いたのは何なのでしょうか。仏谷寺に伝わる三つの怪火。浜辺で見た七輪の赤い炎。真っ赤な血の色をした山ツツジの群落。赤という色の魔力に翻弄させられたウメ。影の私は体が震えました。多分、ウメも同じなのです。

魂を奪うような残酷と思える赤い炎の幻想。炎の中に消えた我が子と重ねていたと思い、不憫でなりません。しかし、それが巡礼の試練なのです。ウメと一緒に美保関に立つ影の私は、身の毛が弥立つ思いでした。

山つつじを詠む歌に、うら若い娘に嫁がないで待っていてほしいという男の気持ちを歌ったものがあります。  

―― 山越えて遠津の浜の石管自わが来るまでに含みてあり待て ――

 遠津の浜の石つつじよ。私がまた来る時まで、つぼみのままずっと待っていておくれ。





















あさぼらけ霞の内に百船の嵐ふくらの沖やすむらん


福浦の港                
島根半島四十二浦巡礼-三保神社









三保神社
島根半島四十二浦巡礼

島根半島四十二浦巡礼






をみなへし 咲きたる野辺を 行き廻り
       君を思ひ出 た廻〈もとほ〉り来ぬ
               
万葉集巻17の3944より


意味は、オミナエシの咲き乱れている野辺を、あちこちと廻り歩いているうちに、あなたの事を思い出して、つい回り道をして来てしまいました、ということのようです。

 オミナエシは「女郎花」という漢字です。

 万葉集にはオミナエシを詠んだ歌が10首以上あります。


「三保神社」( 福浦三保大明神 )

垢離取歌――  あさぼらけ霞の内に百船の嵐ふくらの沖やすむらん  ――

:―― ほほがしは「ほおのき」――:

  わが背子が捧げて持てる保宝葉あたかも似るか青き蓋  


島根半島四十二浦巡礼

 穏やかに見える坂浦の港だが、岩肌には何頭もの白い龍が這い登るのではないかと思えるほど荒波が、絶えまなく打ち寄せています。

 ウメは、坂浦までついて来た寺男に言いました。

「行ってまいります。父、母をよろしくお願い致します」

「和尚さまは檀家の寄り合いがありまして、お送り出来ないと申されておりました。旅のご無事を祈っているからとのご伝言でございます」

「そうですか。ありがとうございます」

「この次、四十二浦の二十八番目になる坂浦にお戻りになられるのは、いつの頃になるのでしょうか。みなでお待ち致しておりますで……。愛しなげなことでございますのお」

 日本海から吹きつける風が唸り、幾本もの大漁旗が音を立て、上下左右に揺れています。銅鑼が鳴りました。

 見慣れたはずの出航風景なのに、ウメには何もかもが、珍しく思えました。故郷の風景の中に佇んでいると、だんだん記憶が蘇って来ます。心地よさに目頭が熱くなります。

どこから来たのか、白い犬がウメと寺男にまつわり付いています。頭を撫でてやると、安心したのか波止場の船の方へ走って行きました。

「ク、ク、ク……」

 ウメが、何かを思いだしたような、嬉しそうな声で笑いました。灰色雲の隙間か射す柔らかな陽が、ウメの顔を薄赤く染めています。ウメは両親に会えたことで、堅く閉ざしていた心が和らいだのを知ったのです。

「何がそんなにおかしいのですか」

「いえ、何でもありません」

 寺男も、つられるように笑いました。

「ハ、ハ、ハ……。お父さまと、どんなお話をなさいましたか?」

「いろいろと……」

「そうですか。安堵いたしました。お嬢さまの笑顔が見られて、嬉しゅうございますよ」

「みなさんの心配りで、いい旅立ちになりました」

 船を指差しながら、寺男が言いました。

「若衆七人を船につけております。腕利きの船乗りでございますから、正午には福浦に着きます。福浦で水揚げされるスズキは美味いですからお食べください。船の料理人がホオノキの大きな葉でスズキを包んで焼いてくれますよ」

「母が作ってくれたホウバ味噌は、温かいご飯に美味しかったです」

 ほおのきは、モクレン科の落葉高木で、甘い香りが漂っています。

 ―― わが背子が捧げて持てる保宝葉あたかも似るか青き蓋 ――

 影の私は、万葉の歌を呟きます。

 四十二浦巡礼へ一歩を踏み出すために、私からウメへ寄せる歌なのです。

和尚の差し掛ける傘の下で、泰然自若のウメの姿でした。ウメは、波止場に向かって力強い足取りで歩き始めました。寺男の唱える法の声が、潮風に乗って流れています。


旅立ち 1 島根半島四十二浦巡礼




   …―― 竜脳菊 ――…

( 父母が殿の後方のももよ草百代出でませわが来たるまで )


 笈摺を羽織り、手甲と脚絆をつけたひとりの巡礼女が白い金剛杖を手に、一畑寺の薬師本堂前で祈りを捧げていました。

 女は秋の穏やかな朝陽に包まれている仁王門を出ると左に折れ、島根半島北岸に点在する四十二浦を目指して千二百段といわれる石段を降り始めました。薄茶色になってしまった枯葉が風に舞い、その中を歩く女が身にまとっている白い笈摺の背には、〝南無大慈大悲観音〟と染め抜かれた黒い文字があります。島根半島四十二浦巡礼

 島根半島を貫く北山は出雲神話に宇迦の山として登場し、その山に連なる一畑山上に建つ一畑寺は、臨済宗妙心寺派の寺院です。日本海の赤浦海中から、漁師の与市がすくい上げた薬師如来を祀っています。与市は、後に出家して名を〝補然〟と改め、一畑寺初代住職となった人です。漁師の与市が引き上げた薬師如来が本尊で、目の見えなかった母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、目の薬師、子どもの無事成長の仏様として篤く信仰されているのです。

 私は、女の傍らを寄り添うようにして歩くのですが、女には見えず、声も届きません。私には女の呟きや思いが全て分かるのです。私は女の影。

 女はウメといい、大正2年まれで、四十二浦を巡るのは亡くなった子供の供養のためと私は聞いております。

 ウメの足取りが覚束ないのは、目が不自由だからです。かつて、不注意から住まいにしていた家が焼けました。逃げ出せずにいた幼い子を助けようとして、ウメは飛び込んだのですが、救うことはできませんでした。

そのとき、炎に焼島根半島四十二浦巡礼 かれて片目の視力を失くしたのです。

 ウメが呟きます。


「一畑薬師如来の出現の聖地。最初の行き先は赤浦にするわ。赤い石を見に行くの……」

 赤浦海岸の石は波に押し上げられて丸く、炎の色です。その石に、焼け落ちてしまった茅葺き屋根の下に残る敷石を重ねているのでしょう、いや、そうではなくて、いつも抱きしめていた幼子の透き通るような薄紅の肌を想い出しているのかもしれません。

〝父母が殿の後方(しりへ)のももよ草百代出でませわが来たるまで〟と、百代草を詠んだ万葉の歌があります。

 佐香浦へ越す峠に、百代草ともいわれる白い竜脳菊が、秋の陽を受けて咲いていました。ウメは立ち止まり、目を閉じ花に顔を寄せました。香の匂いがします。

古里島根半島四十二浦巡礼 の裏山には、幼子が眠る墓があります。その傍らに、竜脳菊の花を植えてやりたい。生まれながらにして定められたとも思える幼子の短い命に……。もう一度、百代草に命を吹き込みたいウメの思いを知る影の私は、寄り添いながら悲しみの思いが深くなります。願いが叶えられるようにと、両手を合わせました。

 自然の草花にもそれぞれのめぐりや因縁によって定めがあるのですが、どんな環境であろうとも、強い根を張り、芽を出し、枝や蕾を作り、優しく、品よく、美しい花を咲かせる姿を見る時、心に感動と安らぎを覚えるのは私だけではないでしょう。











 























島根半島四十二浦巡礼-42ura 島根半島四十二浦巡礼


++++++ 島根県古代文化センター客員研究員関和彦先生の、一畑薬師への旅 ― 四十二浦の浦々 ― のご講演を頂きました。……かつて目の不自由な、また、目を患った人びとが巡礼した道、それが、四十二浦を結ぶ道であった。その道が忘れ去られているが、今、新たな時を迎えるではなかろうか……目は健常でも、現代人は心を見る目、また自然を見る目が不自由になっているのかも知れない。小さな「浦」の旅がわれわれに見えない「裏」の世界に誘ってくれるのかも知れない。……講演資料より ++++++


「四十二浦巡礼の旅」復活を強く感じたのは私だけではありませんでした。

これを機会にして、出雲における文化遺産「四十二浦」の価値を見直してはどうかというご意見が何人かの方からございました。


平成21年8月26日(水)、一畑薬師にて、島根半島四十二浦再発見研究会がスタートしました。