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児童養護施設で働いて思うこと

元会社員で、転職し、児童養護施設と一時保護施設で働いていました。
そこで考えたこと、思ったこと、願ったこと、綴っていきます。

全員ではないんだけれど。

多くの子は、どれだけ愛を注いでも、注いでも、いっぱいにならない。

本当に底なしで、抱えているものの大きさを知る。

 

穴の開いたバケツなんだって、研修で言ってた。

愛情のバケツに穴が開いていて、いつも空っぽ。

穴からどんどんもれていくけど、私達はただひたすら注ぎ続ける。

できることはそれだけ。いつか気づく時が来ると信じると。

気づいた時に、愛されていたと気づくようにと。

 

私はそれに納得できなかった。

そういう無償の愛は素敵だと思うし、忘れちゃいけないと思う。

でも、もっと現実的に救う方法はないの?

精神科の先生とか、心理司さんとかは、その方法を知ってるんじゃないの?

そう心理司に聞いた。

「あるけど、それは本人がそうしようと思った時に役に立つ方法で、本人にやる気がなければ自分を見つめることはできない」と言われてしまった。

 

「自分は愛されてない」「自分なんて価値がない」って、いう思い。

どうやったら満たされるんだろう。

親や、職員に愛されたからって、満たされるのだろうか。

もっともっと、まだ足りない、ってならないだろうか。

 

私は、「自分で自分を愛する」しかないと思うんだ。

「○○に愛されたから、私は価値のある人間」って。

それって、人に依存している。

その人が愛さなくなったら、その人は価値がなくっちゃうの?

「誰がなんて言おうと、私は私が好き!私は価値がある人間!」って言えるのが、最強じゃないだろうか。

私は子供にそうなってほしいと思うし、自分もそうありたいと思ってる。

 

愛に関して自立していたい。

親に嫌われたって、友達がいなくたって、恋人がいなくたって、結婚しなくたって、子供がいなくたって、

自分が自分を好きならその人の人生は最高にハッピーにできる。

それをハッピーと言っていいと、私は思うんだ。

一人でも幸せだけれど、誰かが友達になって、恋人になって、家族になってくれるから、もっと幸せなんだと言えるようになりたい。

人と思いあえる幸せで、自分の自信・自己肯定感の欠乏感を埋めようとすると思い通りにならない。

人がくれる愛も、感動的に幸せなものだけれど、それで寂しさは埋められない。

愛を他人に依存したくない。

愛の自給自足ができるようになりたい。

 

これを読んでくださる方にも、そうお伝えしたい。

自分の事、大好きで、幸せでいてください。