一時保護所にきた、ある小学生の男の子。
父親と二人暮らしをしていた。
不器用で体の使い方がうまくない。
能力がそもそも高くないのか、
丁寧に育ててもらえなかった事が原因なのか。
生活能力が身についていなかった。
いつも下着が出ていて。
顔も洗わない、歯磨きもしない生活習慣。
洗うと洗面台も床も自分も、水しぶきでびっしょびしょ。
食べこぼしもひどく、食べ方も汚い。
言葉遣い、話し方、仕草。
全てが小さい子のまま、体だけ大きくなってしまったようだった。
一定期間の観察期間を設けた後、
ひとつひとつ、教えていった。育てなおしだった。
歯磨きは、こうやるんだよ。ぶくぶくぺーは、強く吐き出すと飛んじゃうから、かがんで静かにやるんだよ。
顔はこうやって洗って、やさしく拭くんだよ。
寝癖はこうやって直すんだよ。櫛はこうやって使うんだよ。
お風呂の入り方も、トイレの使い方も、男性職員に教えてもらった。
ゆっくりだったが、どんどんできるようになった。
(できないことも多かったが、それでもできるようになったことの成長は大きかった)
きっと、育ててもらえていなかったんだ。
家庭で、まるで当たり前のように行われている「育てる」という営みのすごさを知り、
こちらも学ぶことが多かった。
これまでそんな出で立ちだったから、クラスでもいい扱いを受けられず、コンプレックスをたくさん抱えていた。
些細なことで、すぐにイライラし、部屋にこもってしまう。
「悲しかった」「傷ついた」「嫌だった」そんな思いを、
誰かに聞いてもらう経験もしてこなかった。
だから、相手が自分の言い分を聞いてくれるなんて、知らなかった。
彼のいい所は、とんでもなく素直だった。
コンプレックスが原因でひねくれていたり、育ててもらえなかったことで一見すると野蛮に見えてしまっていたけれど、こころの根っこはとても優しくて純朴だった。
「寝癖を直して、シャツをズボンにしまうと、カッコいいんだよ。○○君のことも、かっこいいな~すてきだな~って、思うよ」というと、目をキラキラさせて「そうなんですか?ホントですか?!」と大慌てでシャツをしまい、「どう?」という様子で嬉しそうにこちらを見つめてきたり。
「このご飯嫌い。まずい」と言い捨てて、怒ったように部屋へこもってしまったことがあったが、落ち着いてから「○○君が喜んでくれるかな、って思って作ったんだ。だから悲しかったな」と話すと、くずれるように座り込み、大泣きし始めた。「ごめんなさい。俺のために・・・ごめんなさい」と言って謝っていたり。
「俺の事どうせ嫌いでしょ」「嫌いじゃないよ。優しいなって思ってるよ」そう答えると、目をうるませて、「そうなんだ・・・うれしい・・・」とつぶやいたり。
「(職員A)小さい頃の○○君、かわいかっただろうなあ」「(職員B)違うよな、今だって○○はかわいいよな!(頭をわしわし撫でた)」それを聞いて、大号泣。嗚咽の隙間から発した言葉は「かわいいなんて、言ってもらったことない・・・」と。ボロボロ涙をこぼしていた。
職員の小さい優しさ、愛情を、素直に受け取ってくれる子だった。
100%の愛、親子のような理想的な愛をあげられなくても、
拗ねたり疑うことなく、受け取ってくれた。
そんな姿は、私に一人の人として、自分の中にあった拗ねている心に気づかせてくれた。
不器用さはあったけれど、歯磨きや洗面で、床も服もぬらしてしまうことはなくなった。
洋服もちゃんと着られるようになった。
お風呂で体を清潔にすることができるようになった。
とても成長した。
ある日、みんなで散歩をしていると、
手の届くあぜ道に、生い茂る雑草の中にハルジオンの花が咲いていた。
きれいだね~と会話した後、彼は立ち止まっていた。
他の子と先に進んでいると、彼は走って追いかけてきて、
「ん」と言って、ハルジオンの花を差し出してくれた。
花といっても、ひっこぬいてきたまま、根っこごと。
土が塊になってついていたし、
草丈も60センチほどとかなり長く、
それをぎゅっと握りしめて、
言葉も「ん」だけ。
草取りしたようにしか見えない、野生の花の野性味を存分に表に出したプレゼント。
おもしろくて、いじらしくて、かわいらしくて。
純粋で素朴な気持ちが愛しかった。
父親の帰りをいつも一人で待っていて、
仕事で疲れた父が帰ってくると、一緒にお惣菜の夕飯を食べて、テレビを見て、寝る。
毎日がその繰り返し。
愛情を感じる心の触れ合いはなかったという。
ただただ、生きてきた。
父親も、どう育てていいか、わからなかったんだろう。
もしかしたら、父親も親から手をかけられずに育った人なのかもしれない。
誰にも目をかけられず、手をかけられず、
誰にも本気で関わってもらえないまま、
世界の隙間で生きてきたようだった。
いろんな寂しい経験を経てきたその子が、純粋さを失わなかったことは奇跡だと思った。
愛されていると感じずに生きてきたのに(生きてきたから)、
人からの愛を本当に素直に受け取ることができる子だった。
その点で、人への信用を失っていなかった。
人の言葉を疑わず、拒まず、素直に受け取る純粋さ。
時々、本当にハッとした。
最初は表情もなく、心のドアを閉めきって、怯えるような顔をしていたけれど、
だんだん力がぬけ、安心して笑えるようになっていった。
もっと丁寧に育てられてきたら、どんな子供だったのだろうと思う。
保護所にいた短期間ではできないこともまだたくさんあったけれど、
今後どんな人間に育っていくのかな。
いつかまた会えたらいいなあと思う。