今でも思い出すと涙がでる | 児童養護施設で働いて思うこと

児童養護施設で働いて思うこと

元会社員で、転職し、児童養護施設と一時保護施設で働いていました。
そこで考えたこと、思ったこと、願ったこと、綴っています。

一時保護所に何度も保護された、3歳の男の子がいた。

お母さんのメンタル不調。鬱病だった。

その子は寝付きが悪く、寝かしつけに毎日2、3時間かかったので、そういう部分も疲れてしまったのだろう。

 

とても人懐っこく、人見知りせず、甘えん坊だったから、誰からもかわいがられた。

1か月くらいの短期間の保護を、何度も繰り返した。

 

当然だが、初日には大泣きした。

「ママぁー・・・ママぁー・・・ママに会いたい、ママに会いたいよぉー」

日中泣きやんでも、夜、布団に入ると、また泣きだす。

「ママに会いたい、ママに会いたい、おうちに帰る、かえるー!」

ずっと繰り返して涙を流していた。

なかなか寝付けない子なので、2時間くらい、ずっと泣きっぱなし。

隣に寝て、とんとんしていると、胸が苦しかった。

つられて一緒に泣いたこともあった。

その子の保護初日が泊り勤務にあたった職員は、みんな心が辛かった。

 

半年くらいたつと、

「ママに会いたい、ごめんなさい、ごめんなさい」

と、泣きながら謝る言葉がでるようになった。

あなたが悪いんじゃないんだよ、悪い事したからここにいるんじゃないんだよ。

そう伝えても、どこまでわかったのか。

謝れば良いことがある、と、3歳なりに覚えた生きる知恵だったのだろう。

みんな心配した。かわいそうで、悲しくなってしまって、心がひりひりした。

児童相談所にも伝えて、心配もしてもらったが、だからといって、お母さんは引き取れず、家に帰れるようにはならなかった。

 

1年それを繰り返し、最終的に、施設に入所になった。

家と保護所を往復する、この不安定な環境は、子どもがもう限界であること、

ちゃんと安定した環境での生活をさせてあげること。

最初は嫌がっていたお母さんも、結局ダウンしてしまうとどうしようもなくなり、入所を受け入れた。

 

里親は、以前一時保護でお願いしたことがあったが、里親さんに「いたいいたいされた」ことがあった。それで、施設入所となった。

 

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私は最初の頃、しゃくりあげて泣き続けるその子を抱っこしながら、お母さんを恨んだことがあった。

こんなに泣いて、悲しんでるよ!

本当に鬱なの?

早く元気になって!

 

お母さんにだって、どうしようもないことなのに、そう思わずにいられなかった。

子どもの涙が辛かった。

でも、ある日。それは違ったと心から反省した。

 

保育園のイベント日で、お弁当持参の日。

お弁当はお母さんが作ると連絡があり、保育園に直接届けてくれることになった。

お迎えに行き、お弁当の確認をすると、先生が

「ちゃんと届けてくれましたよ。頑張って、かわいく作ってくれたんです。おかずも3種類いれてくれて。頑張ってくれたんですよ」と。

施設に帰って、お弁当箱を洗うために開けてみると、冷凍食品の、かわいらしいおかずカップやピックが入っていた。

全部食べてあった。

 

ああ、そっか。

その時、気持ちがすとんと落ちた。

子どもを思う気持ちはあったんだ。

おかずが冷凍食品だけだって、何種類も買って入れてあげてる。

体がついてこないんだ。

それを、私は責めるようなことを思ってしまった・・・

本当は、自分の手で育てたいんだろうな・・・

みんなが辛いこの現実を、誰にもどうしようもない事が悲しくて悔しかった。

 

お弁当箱を洗う時、おかずの紙カップは捨てたけれど、プラスチックのピックは洗ってお弁当箱と一緒に返した。その頃は、元気になったらまた次も、お母さんがお弁当を作ってくれると思っていた。

 

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あの子の泣き顔が、頭に沁みついて離れない。

必死にお母さんを求めていた。

 

大人が思う以上に、頑張っていたんだろう。

後半は、無気力に、ぼうっとする事があった。

3歳児らしくない、無気力で寂しい顔。

小さい体で、本当に頑張っていた。

たくさん抱っこしたけれど、抱っこしてほしかったのは、職員にじゃない。

満たされない心は、大人になって、どんな影響がでるのだろう。

 

今でも時々、ふと思い出す。

かわいかったな。

そして、胸が痛くなって、涙が出る。

幸せであってほしい。