中学入試は「親と子の入試」と言われていて、他の熱心な親御さんと比べると、私は何をした、ということもなかったのだけれど、やはりドキドキした記憶は鮮明に残っています。
それなので、電車の中で、それらしい親子を見ると心の中で「頑張れ〜!」と叫んでいるし、それが2月4、5日に見かけてしまうと、まだ決まらないんだ、、疲れているだろうなと、かける言葉も思いつかないような感じ。。。
末っ子の長男の中学入試、合格発表は、もうずいぶんと昔の話だけれど、今でも忘れられません。
試験場から「落ちた」と浮かない顔で出て来た小学6年生の彼
理科で難しい問題に時間がかかって、やさしいのは後でやろうとしたら、もう時間が無かった。塾で、やってはいけないと教わったことを見事にやってしまったわけです
合格発表で自分の受験番号があって、それでもこわばった顔している彼に、泣いていいのよ、と声かけすると、本当に号泣してしまって、親子で泣いた、というドラマのような
次女の時のことは、あまり細かくは覚えていないけれど、第一希望の学校に番号が無かった時に悔しさを噛み締めている顔は鮮明に残っています。
実は次女の中学受験に関しては、親として、あれで良かったのか?という後悔があります。
ほとんど姉と同じ中学に行くつもりでいて、他の学校をあまり見に行っていなかったため、第二志望の学校のことをイメージでしか知りませんでした。。それなのに私は、中学受験で頑張ったのに、また高校受験は可哀想、入れた中学に行くべき。という頭しかありませんでした。公立中学→県立高校という選択肢は思いつかなかったのです。
国立・共学の大学でとても楽しんでいる姿を見て、モヤモヤと出て来た気持ちは、
"この子は公立共学校向きだったかもしれない。。。"
中高時代その女子校では、周りに嫌われないようにと、そんなことに気を遣っている姿が多く見受けられました。
あの時、こういう選択肢もある、ということを話し合った結果、本人が私立女子校に行ったなら、私も問題ないのです。家の近くの県立共学校にテニスの試合か何かで行って、あんな高校に行きたかったなぁ、とつぶやいた時から抱えていたことでした。
最近次女に謝りました。公立中学っていうのも有りって気づかなかったことを。
そうしたら、「えっ!?そっち行っても受からなかったかもしれないじゃない」
そうそう、内申書重視(当時)の圧力の中での3年間はキツそうだ、とも思ったのでした。
親は子どもに幸せになって欲しい、といろいろ考えるのだけれど、この子にとって本当に良かったのか?後になって悩みます。
東大ばば門sの一人の方が言っていました。
「親のすべきことは、間口を広げてあげること」
本当にその通りだと思います。私は次女の中学受験でそれが出来なかったと後悔しています。
それに対して大学受験は「本人の受験」なので、今思うといろいろなことが笑い話です。
合格発表後、息子は空メール(と思った)を送ってきて、「どういうこと?」と返信すると、「下にスクロールして」と返ってきて、そうすると、底の底に「合格してた」と書いてありました。
イタズラを仕掛けてきた訳です。怒るより嬉しかったから、不問にふしたけれど
合格発表について、あるママ友の面白かった話は、息子さんから「OK」と送られてきて、これはどういう意味?合格したからOKなのか、不合格だけど大丈夫だよ、気持ちはOK.ということなのか?と考えこんでいたら、一斉メール(当時)だったので、パパが「それでどっちなんだ?」ときて、それからやっと合格したと分かった、という。。
まったく男の子って
でもウチだけじゃない、と思えるところがママ友の有難いところです
娘2人の方は、ちゃんとドラマに出てくるような、涙涙の合格発表でした。それも、お母さん、なんであんなに人前で泣けるの?とか、よろよろしちゃってた、とか笑い話になっているけれど
受験は、悲喜こもごも、懐かしいです
今は合格発表はネットで見るのかな?昔の感激の合格発表風景が無くなっていくのは、もったいないように思います。