用語解説 ~ライヴ・エイド~ 第二回
昨日に引き続いて「ライヴ・エイド」をみていきましょう。今回はウィキペディアを参考にしたいと思います。
(このページにあるリンクは一番下のDVDを除いてすべて無効です。注意してください。)
ライヴエイド(LIVE AID)は「1億人の飢餓を救う」というスローガンの下、「アフリカ 難民 救済」を、目的として行われた、20世紀 最大の「チャリティー・コンサート」。「1980年代 のウッドストック 」とも、一部でいわれていたが、その規模をはるかに超越したものとなった。2004年 にDVD として発売された。
経緯
「バンド・エイド」を提唱した、「ブームタウン・ラッツ」のリーダー「ボブ・ゲルドフ」が、中心となって開催されることとなり、その呼びかけに賛同した、多くのミュージシャン たちが、国とジャンルを越えて参加した。
概要
- メイン開催場所:
- イギリス 、ロンドン 郊外ウェンブリー・スタジアム
- アメリカ合衆国 、フィラデルフィア 、JFK スタジアム
- なお、フィル・コリンズのようにロンドンの会場に出演した後、超音速旅客機のコンコルド で移動し、
- フィラデルフィアの会場にも出演したミュージシャンもいた。
- 日本での放送は、同年、7月12日 夕刻から7月13日午前中まで。
- 開催総時間:計12時間に及ぶ。(「計16時間」と記載されているものもあり。米英間の時差による、コンサート開催時間のズレを含むものと推測される。)
- 計84ケ国に衛星同時生中継。録画放映分を含めて、140~150ケ国ともいわれている。
参加ミュージシャン
順不同。一部のみ
ミック・ジャガー 、キース・リチャーズ 、ロン・ウッド (共に、ローリング・ストーンズ )、ボブ・ディラン 、ティナ・ターナー、ポール・マッカートニー (元ビートルズ )、レッド・ツェッペリン (3人による再結成。)、ザ・フー 、エリック・クラプトン 、デビッド・ボウイ 、ブライアン・フェリー 、エルトン・ジョン 、スティング 、ダイアー・ストレイツ 、フィル・コリンズ、クイーン 、U2 、ブームタウン・ラッツ、フォー・トップス、デュラン・デュラン 、プリンス 、マドンナ 、ジョーン・バエズ、クロスビー・スティルズ&ナッシュ 、ニール・ヤング 、ビーチ・ボーイズ 、B・B・キング 、サンタナ 、ホール・アンド・オーツ、ウルトラ・ヴォックス、ブラック・サバス、ジューダス・プリースト、など。
各ミュージシャン1組当りの持ち時間は、正味約20分
追記
その年の、ノーベル平和賞 候補として、「ボブ・ゲルドフ」の名が挙がる。
問題点
放映(企画)面
- 不可抗力の部分もあるが、長時間の衛星生中継のため、回線切れが何度もあった。
- 「国内では、民放 による放映のため、やむをえないことではあるが、進行予定表があったはずなのにもかかわらず、演奏途中でCMが入る。」「英米2会場の衛星生中継と、日本での生放送、及び、録画による演奏シーンや、スタジオでの解説といった部分にみられた、連携のうまくいかない箇所」などが随所にあった。
- 日本では、深夜にまたがってしまったために、テレビ放送が終了し、朝の再開までラジオ中継しか行われなかった。
- 黒人歌手の出演が少ない。白人主体。ライオネルリッチーやティナターナーはがんばっているが、Mジャクソンやプリンスが出ていない。
- 視聴者の多数に及ぶ、邦楽ファンにも楽しめるような企画や構成が、一方では、英米現地での放送シーンの寸断や中断にもつながり、(貴重な生映像という点でも)洋楽ファンからの不満ともなったといえる。
コンサートの目的や結果として
- 後に、開催者側の金銭がらみのトラブルが発生した。
- 支援物資が、末端まで行き届かず、アフリカの港の段階での腐敗等、使い物にならなくなった食料も少なくなかった。
- アフリカ数カ国では、国家側の政治的目的のために利用されてしまった。
- などといった、21世紀 現在、国際援助や民間支援に伴う問題点と同様のトラブルが、既に露呈していた。
事実、ライヴ・エイドの後実際にエチオピアに向かったのはU2のボノただ一人だったようです。