私が生まれたのは夕張の紅葉山っていうところ
すでに3歳上の兄がいて、2つ上に姉がいたのちに3歳下に妹が出来た
父の仕事は開発といえば聞こえはいいがようは工事の仕事で会あった
だから、あっちこっち転々とした・・・短気な父が仕事を辞めてくることも多く
転々としたから私には故郷という概念がない
まず記憶に残っていることは、父の飯場暮らしに同行させられたことだ
また甘えたい2歳頃の事、2個上の姉と父と飯場暮らし・・・たぶん2週間か3週間までは居なかったと思うけど
母の思惑は父が遊んで働いたお金を使いこまないように二人の子供を同行させたのでないかと思う
それでも一度父はお酒を飲みに私たちを置いて出掛けましたよ・・・
私に「用事があるから出掛けるけどなんか欲しいものが有ったら買ってきてあげる」と父
私はその時「ミルキー」を頼んだのだけれど翌日ミルキーは無かった
本当だったら母親のもとで甘えたい盛りだったと思うし、この時から何がしかの搾取される人生が始まっていたのかもしれない
そんなことに気が付いたのは61を過ぎたころ・・・遅いって!
今で言うところのネグレクトみたいなものだったと思う、小さな子を母の元から離して平気とか考えられないもの。