ティト・ジャクソン(Toriano Adaryll Tito Jackson、1953年8月15日 - )
ジャクソン一家の次男。
常に太っていて丸い顔が特徴です。とても温和な性格で、レコーディング中「いつも食べているんだよ」と公言しインタビュアーを笑わせたこともあるそう。趣味は野球にジャンクフードを食べることに寝ること(笑)
ジャクソン・ファイブが出来るきっかけを作ったのがティトでした。
幼い頃、父ジョーがギターを弾く姿に憧れを抱き、いつも興味津々で父の演奏する姿を見ていたそうです。
ティトは学校でサックスを習っていましたが、ギターにもとても興味がありました。ジョーが大切にしていたギターをこっそり借りて、ジャッキーとジャーメインと3人でいつも隠れて弾いていました。しかし、ある時アクシデントで弦が切れてしまい、それを知ったジョーは怒り狂ったそうです。ティトの泣き声に気付いたジョーは、ティトに向かって『どのくらい弾けるのか、見せてみろ』と言い、ティトの演奏を聴いたジョーは、母キャサリンの助言もあり、彼らの音楽の才能に気付くのです。
そしてある日、ジョーはティトに真っ赤なギターを見せ『この新しいギターはティトのだよ。練習したいという他の兄弟にも貸してやらなくちゃ駄目だぞ。』と言って渡します。それから他の兄弟にも、ベースとアンプ、シェイカー、マイクロフォンと買い与え、様々な楽器で部屋を埋め尽くすようになり、ジョーの子供たちへの音楽指導が怒涛のごとく始まったのです。
ジャクソン5としてデビューし、出演したテレビでのコント↓
【Tito Jackson's Day Dream】
http://www.youtube.com/watch?v=8WBdrVQZ910
兄弟たちがソロ活動をする中、ティトはほとんど行っておらず、カバーアルバムをソロ的なバンドで1枚出したのみで、純粋にギタリストとして活動しようとする意図しかないのではないかと言われます。
1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのコーラスを担当します。
結婚したのはきょうだいで一番早く1972年6月17日、ジャクソン5時代であり、父親から猛反対される中結婚をするのです。(1988年離婚)
【Tito Jackson in concert】
子供はタジ、タリル、TJ。
マイケルは甥っ子たちをとても可愛がっていて、ツアー先の海外にも連れて行ったりしていました。
長崎ハウステンボスもマイケルと一緒に遊びに来ていた3人。
彼らのイニシャルは全員Tで、マイケルのプロデュースで“3T”としてCDを出しました。
【3T - I Need You(1996)】
http://www.youtube.com/watch?v=WvcmUcFBF9U
マイケルと協演した曲も♪
【Michael Jackson & 3T “Why”】
http://www.youtube.com/watch?v=bJmHYu20w3g
ティトはマイケルととても仲が良く、マイケルから“TT”と呼ばれていました。
そんな可愛い弟マイケルの身に起こった2003年の忌わしい裁判でも、ティトは常にマイケルを支え続けていました。2005年に無罪判決が出た日のことをティトはこう回想しています。
『あの日、マイケルは少しナーヴァスになっていた。当然だよ。でも、マイケルは自分のことよりも子供たちのことを心配していたんだ。法廷に向かう車の中でマイケルは母にこう言ったんだ、“母さん、もしも間違った判決が出てしまった場合、子供たちの世話を頼むよ。必ず、元気づけてあげてね。”って、凄くナチュラルな言い方だった。もしかしたら刑務所に入らなければいけないかも、その可能性を考えると怖かったと思うよ。でも、マイケルは絶対に泣き言を言わなかった。正統性の無いこんなゆすりで、投獄されるはずがない、彼はシステムを信じていたし、信じたかったはずさ、彼は恐れてなかったんだ。僕は一瞬も彼を疑ったことはない。くだらない。金目当てのゆすりなんだ。』
『無罪判決が出て、ネヴァーランドに戻ったら、マイケルが僕が彼をサポートし続けたことに何度もお礼を言ってくれた。僕が彼の愛しか見返りを求めなかったことにも、誇りを持っているって言ってくれた。弟は“TT、プレゼントがあるんだ。”と僕に言ってくれた。だから"ありがとう、でもなんにもいらないよ、本当に”と言ったら、"そんなこと言わないでよ、兄さんは今まで一度だって僕に何かくれって言ったことないでしょ、お礼がしたいんだよ、ちょっと来てよ、こっちこっち、おいでよこっちだよ”ってしつこいんだ(笑)彼は僕をガレージまで連れて行くとそこに2台のベントレーがあった。“どっちでも欲しいのをを選んでよ”って・・・。マイケルはそういう奴なんだ。1台の方には車の中に彼のサインがしてあったから、僕はそれを選んだ。今も大切に持っているんだ。』
『マイケルは昔と同じじゃなくなった。あの裁判が変えたんだ。悲しい想い出が焼きついたネヴァーランドを去って、心地よく暮らせる場所を探してた。すべてを乗り越えられる場所をね。』
と、2005年6月発行の英国紙『ミラー』に語っていました。
マイケルが亡くなった今これを読むと、やはりあの裁判がマイケルに与えたダメージの大きさに対する怒りを感じずにはいられません。
ティトを含め、心優しい家族に恵まれたマイケルは、きっと幸せだったのかな。