このblogだけをみると、おそらくものすごく、スピリチュアルな感じに思われるかと思うんですが


私自身、大学、大学院と栄養学を学んでいたこともあって、元々は科学的根拠、エビデンス、なんていう世界の教育を受けてきました。


なのでどちらも踏まえた上で思うことは

科学的根拠が全てではない。ということです。


科学的根拠というのは、私たち人間が知り得る範囲の方法で、この無限の宇宙の摂理の中の一点の現象を捉えたもの、なのです。


森が宇宙だとしたら、科学的根拠やエビデンスというのは、ひとつの木であったり葉っぱであったり、石であったり、葉っぱの一部であったり、ひとつの木の中の下の方であったり、といったような


どこか一点を切り取って証明されたものです。

(研究方法によって様々あるので一概には言えないですが、、)


ざっくりいえば、そんな感じなわけです。


だからといって、科学的根拠は全く意味がないわけではなく、その一点一点を見ながらも、この宇宙の仕組みを考えながら、点と点を繋いでいくと全体が見えてくる、という使い方ができるというわけです。


私たちがこの世界の仕組みを理解していくための一つの参考資料のような。



私たちは無限の宇宙の中に生きていて、私たちひとりひとりが創造主であり、この世界の全てがエネルギーであるということをベースに考えたら


これは科学的根拠といっても表面的だな、とか、あ、そういうことか。みたいな発見が出てきます。


科学的根拠が正義。としてしまうと、今人間が知り得る科学で証明できないものはこの世に存在しない。ということになり


本質を見失ってしまうと感じます。



私はなぜか大学時代から、健康や幸せについて興味があり、探求してきたのですが


大学院の頃、食事はものすごく大事だけれど、ここに真理はない気がする。と思ったのです。

私自身、食事を変えたことで、13キロの減量や鼻炎の改善など、かなり体質改善されたので、食事の重要性は身をもって理解しているのですが、幸せに生きるという部分においては、何かが足りないなと思ったのです。


その意味が当時は分からなかったけれど、今思えば、そのもっと広い視点が当時の私にはなかったから、捉えられていなかったのだと思いました。



科学的根拠が正義でもなく、もちろん科学的根拠が無駄なわけではなく、自分自身の感じる力を磨きながら、情報を取捨選択していく、というのが、今の私にはしっくりきています。


ここからの10年ほどで、量子力学のような(全てはエネルギーである)学問が更に更に一般的になり


エネルギーを感じられる人も格段に増えるだろうと予想します。


今の医療も変わると思いますし、多くのものがエネルギー視点に重点を置かれるようになると思います。


なので、権威のある先生が言っているとか、テレビで言っていたとか、すごい研究者が言っているからといって、鵜呑みにする必要はないですし


だけどその情報を自分で感じて、これは今の自分に必要だと思ったら活用すればいいし、


ということだと思っています。



ということで、今日は珍しく、科学的根拠のお話でした。


それではまた!