今年締めくくりのごあいさつ | 宮川典子オフィシャルブログ「きょうの典気」Powered by Ameba

今年締めくくりのごあいさつ

いよいよ、平成23年もあと一日となりました。
皆様、どのような気持ちで今日の日をお迎えでしょうか。

このブログが今年最後の記事となります。
一年を締めくくるにあたり、12月23日、天皇陛下がお誕生日に際して
述べられたお言葉を
謹んで引用させていただきます。
産経新聞のWeb版にも全文掲載されています。

皆様もぜひご高覧ください。

<産経Web
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111223/imp11122308260003-n1.htm

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(以下、引用)


3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12年、
10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、
死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。
更に後日この地震に誘発された地震が
長野県の栄村を始めとして各地で起こり、
犠牲者が出たところもありました。
家族や親しい人を亡くした人々の悲しみは
いかばかりかと察しています。
また住まいや生活の場を失った人々、
原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった
人々のことが深く案じられます。
震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた
被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、
これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、
決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って
困難を乗り越えようとしていることが感じられ、
そのことを非常に心強く思いました。
また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、
何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。


厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、
警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、
また原発事故の対応に当たった、
東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。


諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。
また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、
災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、
被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。
震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、
自分たちは被災者と共にある、という言葉が
添えられていたことが思い起こされます。


歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害と
ほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29年の「三陸地震」を始めとし、
これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙ってきました。
しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が
薄れてきてしまっていたように思います。
私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5年「北海道南西沖地震」の
お見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。
島は地震と津波で大きな被害を受けており、
200人以上の死者、行方不明者が生じていました。
少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、
自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、
歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。
記録には津波の高さは青苗の市街地で
10メートルを超えた所があると書かれていますから、
もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を
更につまびらかに知っていたならば、
一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、
より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。
この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が
十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、
施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、
災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。


私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、
風光に恵まれた島国です。
一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、
地震が多く、火山や急峻な山川、日頃は人々に幸を与えてくれる海も、
時に荒れ、多大な被害をもたらします。
この厳しい現実を認識し、
災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、
常に工夫と訓練を重ね、
将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。


今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。
住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。
寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。


今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、
9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。
9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、
森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊という
これまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。
こうした災害により100人以上の生命が失われたことは
本当に残念なことでした。
ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、
7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より
更に多くの降雨量があったにもかかわらず、
前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。
これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、
様々な対策が講じられた成果であり、
防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。


水害はタイ王国でも起こりました。
国王陛下は長らく御入院中で、
この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。
タイの水害は日本の産業にも影響を与え、
タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、
生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、
生産を再開することになりました。
言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活を
つつがなく過ごすことができるよう願っています。
この度の日本における災害及びタイの水害は、
改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを
感じさせるものでした。


今年は先の戦争が始まって70年になります。
この戦争における死者はおびただしい数に上り、
戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
日本の人々は、真摯に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、
営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。
戦争の記憶が薄れようとしている今日、
皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、
平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。


振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。
しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、
多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは
本当に心強いことでした。
日本人全体がこの震災に向き合い、
被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。
本年もあと僅かになりました。
新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。
来る年が少しでも良い年となるよう願っています。

 

(引用終わり)

 

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来年の干支は「辰」です。

故郷の偉人・武田信玄公は、かつて「甲斐の龍」と呼ばれていました。

群雄割拠の激しい戦国時代にあって、
龍のごとく活躍した力強さを称えられてのことです。

日本と故郷の隆盛を真剣に考える「甲斐の心意気」を、
信玄公は教えてくれています。

 

平成24年は私にとって登竜門となる、挑戦の一年になると思います。

日本全体が登り竜のように飛躍飛翔し、

皆様にとって幸福な一年となりますよう心からお祈り申し上げます。

 

平成23年12月31日 

宮川典子