”呼び捨て”は禁止、なのでは?
私には、小学校時代のちょっとした思い出がある。
小学校中学年の時、担任の先生に「呼び捨て禁止令」を発令された。
同時に、「あだ名禁止令」も発令された。
例えば、宮川典子という友達を「のりこ」とか「のんちゃん」と呼んだ場合、
先生は「友達同士であっても敬意を払って”さん”を付けなさい!」と
それはもう烈火の如くお叱りを受けた。
男子に対しても”くん”でなく、”さん”を付けて呼びなさい、と。
もちろん、TPOに対応して”くん”や”さん”を付けるのは当然だが、
休み時間まで他人行儀な話し方をしなくてはいけないことに、
私たち小学生は大変な違和感を感じたものだった。
まぁ、今考えれば、「”くん”ではなく”さん”にしなさい」とかいう指導は
日教組の指導方針だったのかも?と推察もできるのだが・・・(苦笑)
しかし、私がこのように「敬称」の大切さを体感した小学校で使われる
教科書に、今、異変が起きている。
小学校6年生の教科書の中で、天皇陛下に対する敬称が削除され、
その教科書が検定をパスしているというのだ。
記事によれば、、、
「天皇」という地位自体の説明は、憲法や法律、指導要領でも
敬称を付けずにただ「天皇」と記述し、新聞や出版物も同様。
しかし、陛下ご自身の行動や表情などを伝える際には
必ず敬称をつけるのが一般的。
しかし、教科書は陛下に敬称がなく、
一方で一般国民や外国人らの名前には
「被爆体験を持つ○○さん」
「緒方貞子さん」(元国連難民高等弁務官)などと敬称があった。
(産経新聞より引用)
こんなところにまで、不敬の姿勢が表れているのだろうか?
中国の習近平氏の突然の訪日で”1ヶ月ルール”を無視、
「早く座れよ」というとんでもないヤジを飛ばす国会議員、
恐れ多くもお呼ばれした「講書始の儀」で居眠りする官房長官。
ご皇室の存在に対する不敬をこんなに目にする毎日。
高齢や体調不良をおしてもご公務に徹せられるそのお姿を見て、
自らの襟を正すことができない日本の現状を嘆かわしく感じる。
憲法にはこう明記されている。
【日本国憲法】 <第一章 天皇>
自国の象徴であり、「無私」の存在である天皇陛下に敬意をもつこと。
何の疑問があるのだろうか。
国家国民の安寧をひたすらに願っていてくださる陛下に対して、
敬意をもつことを子供たちに教えないとは、何事か。
「象徴」と位置づけられているからこその、そのご姿勢。
そこから私たち国民が学ぶことは多くあるはずだ。
その学びの機会を子供たちの目からはずしてしまうことは、
国民として学ぶべきものを学ばせず、
国民としての成長を妨げることにもなりかねないのである。
学校教育の現場で使う教科書の問題は多々ある。
山梨県でも歴史教科書採択の問題を改善しようと、
積極的に活動をされている団体もある。
指導要領などの改善もさることながら、
もっと細かい検定(チェック)機関を設定することが必要だ。
子供たちの、人生における「芯」をつくる教育の場。
教科書問題に関しては、これからもチェックの目を光らせたい。