富士は日本一の山~♪ | 宮川典子オフィシャルブログ「きょうの典気」Powered by Ameba

富士は日本一の山~♪


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日本一の、いや世界一の山、霊峰・富士。

しかし、いまだ立ち入ったことのない、未開の地でもありました。


山梨県人の私にとって、富士山はとても身近な存在です。甲府盆地に住んでいても、少し高く見晴らしのいい場所に立てば、 美しい富士山を望むことができます。『東海度9ウ五十三次』や浮世絵の影響が強く、「富士山って静岡でしょ?」と聞かれることもしばしばですが、お札の逆さ富士は富士五湖からしか見ることはできないし、おそらく皆さんが「富士山ってキレイ~」とウットリしている写真も、山梨側から撮影されたものだと思います。私も山梨・静岡両方向から富士山を眺めますが、やはり山梨側の美しさにはかないません!(ちなみに、富士山を等分に分けるように、山梨県と静岡県の県境は設定されています^^)


・・・と、富士山に対する思い入れは強いものの、登山があまり好きではない私は、30年の人生の中で一度も富士山に登ったことがありませんでした。しかし、仲間ともひょんな話から「富士山に登ろう!しかも0合目(北口浅間神社)から!」との提案があり、意を決して富士登山に挑戦することとなりました。とっても大きな不安を抱えながら・・・。


私は、過去の激しい運動のしすぎから、膝に脱臼癖を抱えています(このために、政経塾の必須プログラムである「100km行軍」でも苦戦しました・・・→詳しくはhttp://www.mskj.or.jp/kanso/miyagawaout0710.html をご覧ください)。いくら大好きな山だといっても、見ているのと登るのとでは訳が違う!みんなで登ろうという企画は嬉しかったものの、不安からドキドキが収まりませんでした。そこで、大学時代に応援団に所属し、学ランに皮靴という考えられない姿で富士登山を経験した弟に助言を求めました。


私:「富士山に登ろうと思っているんだけど・・・」

弟:「はっ?!やめたほうがいいよ。絶対、やめたほうがいいよ」

私:「いや、登れる!だって100kmだって歩けたもん」

弟:「・・・まぁ、やれるっていうんだったらやってみたら?

  僕は止めたからね、やめたほうがいいって」

私:「え~、そんなこと言わないでアドバイスちょうだいよ」

弟:「だから、やめたほうがいいって言ってるじゃん!」


不安は増大するばかりでした・・・。


しかし、決めたからにはやるしかない。

装備をきちんと確認し、低酸素にも対応できるように準備し、仲間と綿密に計画を立て、無謀ながらも0合目からの登頂に臨みました。


「山の天気は女の心模様に似ている」と言われるように、この時期の富士山の天気は不安定。登山前日には激しい雨が降ったり、滑落して亡くなる方が出るなど、決して安直に「楽勝~♪」なんて考えてはいけない環境でした。しかし。0合目で神社にお参りし登山の成功を祈ると、不思議と力が湧いて安心し、仲間と楽しく登山を開始しました。


登山の経過を書き出すと、それはもう・・・。「筆舌に尽くしがたい」とは、このことを言うのだと思います。0合目からの登山はやはり困難で、1合目がなかなかやってこないことに精神的に凹み、しかし5合目くらいまでは楽しく登り、6合目から見上げた急斜面にまた凹み、疲れから極端にペースが落ち、山小屋では緊張と不安からか一睡もできず、8合目は行けども行けども終わらないし、酸素が薄くなって苦しいのに風と雨が強くて寒いし、異常にお腹が減るし、足は痛くて動きにくくなるし、疲れはどんどん溜まるし、でも仲間で励まし合うと苦しくても頑張れて・・・。登山の最中、ずっといろいろな出来事がありました。富士山が「霊峰」と言われる所以、仲間の大切さや温かさ、山梨県人として富士山に対する誇りの高まり。たくさんの感情が胸をよぎりました。


そして、いよいよ山頂!


あの瞬間のうれしさは言葉にすることができません。政経塾の仲間がみんなで迎えてくれたあのうれしさ・・・。足の痛みも消えぬまま、少し場所を移動して全員で唱和した「塾是・塾訓・五誓」の響きやその時の感動は、決して忘れることができないと思います。不意に頬を流れた涙が、その感激を証明してくれていました。一人では絶対に登れなかったことを痛感するたび、仲間のありがたさを感じたのも、私にとっては大切な財産となりました。


山に登れば、必ず「下り」がある・・・。もう動きそうもない体にムチ打って下った御殿場口下山道での出来事は、今はまだ思い出したくありません・・・。そこは「死のロード」のように、ただただ足を進めて霧の中に飲み込まれていくような感覚だったからです・・・。本当に泣いて座り込んでしまいたくなるほど、無事に下山できたのが信じられないほど、精神的にも肉体的にも限界でした・・・(涙)・・・あぁ、思い出したくない・・・。


とにもかくにも、山梨県人として、日本人として、日本一の山を制覇したことは、非常にいい経験となりました。今はお金を積まれても登りたくないくらいに苦い思い出も残りましたが(苦笑)、あの日見た御来光のパワーを胸に抱きつつ、これからの研修に臨みたいと思っています。


この混迷する日本に、日本人の心に、富士の神のご加護がありますように・・・