ときどき訪れる昭和の少女漫画読みたい病。
テレビで昔の歌謡曲を懐かしむ人達がいるのと同じ感覚なのかもしれません。
同年代でカラオケへ行くと、だんだん若いころに流行った歌を歌ってしまう、あの空気。
当方、特別有名ではないのに記憶に残っている漫画があります。
忠津陽子先生の「お金ためます!」です。ストーリーがどうなったのかは覚えていません。(忠津陽子先生の代表作は「美人はいかが?」)
ただ、どの少女漫画も上級生に憧れたり、王子様系からアプローチされるのに、この「お金ためます!」は全く違いました。父親は大金持ちなのにタバコを爪楊枝に刺して吸っていたような。手元に漫画がないので確認できません。
当時の少女漫画は、舞台が海外であることが多く、令嬢っぽいのが一般的でした。
というか、四畳半~八畳の畳の部屋、家具によってもっと狭くなった中で、友達と体育座りで、或いは一人で寝っ転がって少女漫画を読んでいたのです。
漫画の中には学校ほど幅の広い階段、体育館のような高さの天井、暖炉、応接セットの世界が広がっておりました。「ロリィの青春」のロリィのように実は高校へ進学できないくらい貧しくても、昭和中期の日本人にとっては夢のような暮らしぶりだったのです。
恋愛がメインの少女漫画に「お金」が登場したことにびっくりです。
小学生のときにはなかった Wikipedia で、ふと忠津陽子先生をググってみました。
衝撃です。
札幌の同じ高校に、いがらしゆみこ先生、山岸涼子先生、田中雅子先生が通っていらっしゃったようです。はぁ?!
同じ高校から3人も漫画家に? しかも年代が別とかではなく、3人とも知り合い。スゴイです。
別の高校だった大和和紀先生とは田中雅子先生を介しての知り合い、大和和紀先生と松久由宇先生が同じ漫画研究会だったので、松久由宇先生とも知り合い、そこから繋がった我妻ひでお先生とも知り合いだったようです。札幌に濃い漫画家卵の輪があったのですね。
上京後、忠津陽子先生は、中野区のアパートで大和和紀先生と生活なさっていたようです。
なんかもう豪華すぎです。
さらに、大和和紀先生の Wikipedia を読むと、山岸涼子先生と2人で手塚治虫先生にネームを見てもらったことが書かれていました。
高校生のときに札幌から東京のプロの漫画家のところへ行く―――眩しすぎます。
大和和紀先生と山岸涼子先生は札幌の別の高校。今のようにSNSなどありません。人伝に知り合ったのでしょうか。ドラマです。
山岸涼子先生は花の24年組のメンバーです。
生年月日から、山岸涼子先生と大和和紀先生は同じ学年、忠津陽子先生が1学年下、いがらしゆみこ先生と田中雅子先生が更に2学年下です。(大和和紀先生は札幌の別の高校出身)
ここにもあった輝ける青春。
デビューは、1966年大和和紀先生、1967年忠津陽子先生、1968年いがらしゆみこ先生、1969年山岸涼子先生。田中雅子先生については調べられませんでした。
ちなみに、北海道出身ではありませんが、一条ゆかり先生は山岸涼子先生、大和和紀先生と同じ学年、デビューは1964年?。
青池保子先生はその1つ上の学年、デビューは1963年。
おそらくこの時代、日本全国に数多の少女漫画家志望の少女がいて、その中のほんの1握りがデビューして活躍なさったのだろうと思いました。時代のエネルギーを感じます。
Wikipedia を読んでいると、
大和和紀先生と山岸涼子先生は高校時代に手塚治虫先生を訪問(前述)、
青池保子先生は中学生のころ、お姉様と一緒に水野英子先生宅を訪問、
この情熱と行動力。
子供のころ「漫画家になりたい」と言う漫画の上手な人はいました。
いったいその中の何人がコマ割りをしてストーリー漫画を描いたのでしょう。そして投稿できる状態の紙とインクを使って仕上げたのでしょう。
出版社に投稿するとか、原稿を持って「アシスタントをしたいです」とプロのところへ行くとか、中学、高校時代にそこまでできたというだけでも、プロになる素質があるのだろうなと思いました。
時代が変わった今、ネットで自作漫画を発表することができます。
媒体は変わっても、そこまでできる形に仕上げる人は、プロになる素質があるのだと思います。ってか、それで広告収入を得られているとしたら、既にプロですよね。