こんにちは適応障害の診断を受けた限界ナースゆかいです☺️✨

お久しぶりの投稿!

適応障害に至った私のおはなしを前回させてもらったので今回からユニークな私と家族のエピソード生い立ちを辿りながらここに残してきます😌😌


まずは幼少期の思い出 可愛らしい思い出から!

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私は幼い頃田舎に住んでました!

私の三姉妹はみんな歳が近かったので幼少期は家族で歩いているとよくお年寄りの方に声をかけられたものです。

幼稚園の先生にも3姉妹だったこともありどの学年の先生にも顔と名前が認知されていました。

三姉妹の当時の性格は母曰く

長女は真面目でお利口だけどおしゃべり

次女(私)はおとなしめでいつもニコニコした不思議ちゃん

三女は次女にイタズラばかりするハスキーボイスな不思議ちゃん

そんな感じだったそうです。


姉はすぐに小学生になったので幼稚園は妹と2人で幼稚園バスに乗って通園していました。

妹とは仲良しのあまり休み時間は友達と遊ぶ時もありましたが妹と遊んでいる時間が多かった気がします。

話は変わるのですが、私の家はマンションなのにエレベーターがなかったんです、、

幼稚園で遊び疲れた私と妹はいつもある作戦に出ていました。

それはなにかって

【寝てしまう大作戦&寝たふり大作戦】

自宅に着くまでに寝てしまうか眠れなかった時寝たふりをするという単純な作戦(笑)

これをお迎えで自宅下に待っている母に向かって決行するわけですよ、、毎回

そりゃあ母も幼稚園児2人を抱き抱えて階段を登るなんて不可能

そんなことはお構いなしに私と妹はその作戦を決行していました。

特に1番タチが悪いのは妹。

毎回上手くがち寝をするんですよ。ハア

そして姉である私は叩き起こされ歩かされるオチなんですが、、

まあそんなことを毎回決行するのである日からバスのおいちゃん『ライオンおっちゃん』に

助手席に妹が連れて行かれたんです。

(私は毎日寝てしまうのが悪いんだざまあみろと思ったのは内緒です)

連れて行かれた理由はただ一つ、寝る妹の睡眠を阻止すること!

妹からすると「これが大人のやり方か!!」ってきっと思ったでしょうね(笑)

それから毎回妹はバスの最前列の助手席が専用シートになりました(笑)

ですがそれをいいことに私は作戦を継続しました。

なぜかってそりゃあ階段登りたくないんですよ!!!!

それだけの思いでしてやったりなきもちで爆睡してました。

まあそんなことをしているとバチが当たるんですね

ついに妹の席の後ろに座らさられるハメになったんですね。

なので当時のライオンバスの最前列はユカイシスターズの専用シートへとなっていきました。


あの当時の母の呆れた顔とバスのおじちゃんの微笑ましそうな笑顔で見つめる眼差しと先生の困りはてた顔、今でも鮮明に残ってます。


まあこの寝たふり作戦はバスで発案されましたがそれ以降、反省することはなく家の車に乗った際も決行されるようになり生真面目な姉まで作戦に乗るようになったのはここだけの話です(?)


今日はここまでにします!

ありがとうございました!!!

また次回も幼少期のエピソードを残します!