こんにちは、ゆかいです。

今日は私の適応障害になった理由と自己紹介をさせてください。


私は家族の中で1番のお調子者でおしゃべり。そして勉強は大の苦手で運動も苦手。好きなことは食べることと寝ること、アニメを見ることぐらいですかね。あ、あとコーヒーも好きです。


私は転勤族だったので小学生の頃に1回、中学の頃に1回転校しています。小学校の頃はなぜか学級委員をしたがり毎年学級委員をしてました(笑)中学の頃になるとクラスのリーダー的役割が面倒くさく、従う楽さを覚え平生徒でいました。高校では持ち前の明るさで男性生徒が引くほどのやかましい生徒でした。姉妹の中で逞しく育っていたので性格は男勝りな学生時代を過ごしていた気がします。明るい性格でもあったのでよく友達のいじりに乗って笑わせていました、当時は笑ってくれることが嬉しくて仕方なかったのです。

そんな学生時代を過ごす私ですが人生の分岐点がやってきます。

それが進路選択。正直やりたいことなんてなかった私。文系の科目が苦手すぎて理系に行こうと思っていましたが、理系のクラスは男クラと呼ばれるほぼ男子生徒しかいないクラスになってしまうんですよ。私の学校は進学校ではなかったので総合学科という謎の学科が存在していました。そんな中で女が多い理系は、、と選んだ先が『看護科』でした。別に5年一貫校でもないんですが、簡単にいうと看護師や、理学療法士、歯科助手、栄養士など医療従事者になりたいと思っているような生徒が集まる科がそのクラスでした。

その時に私は思ったんですよね、、(下手に大学行ったり美容師とかの専門学校出るよりも看護師になった方が将来給料もいいぞ。)と。

子供のくせに夢がないなと今でも思います。ただ母にはよく「女もこれからは稼げないといけない。手に職をつけるといい。看護師も給料いいわよ。」そんなことを言われていたのをずっと心の片隅に置いていたのです。

そんなこんなでたっかい学費を払わされる両親のことなど考えずに看護師になろうと決心するわけです。


そこからまあ猛勉強の日々で大学に無事合格し、不良生徒でしたが国家資格も無事に取得しました。

はじめは新生児集中治療室というところに配属になりました。いわゆるコウノドリみたいな現場です。人間関係も仕事の質も厳しい環境でしたが同期と尊敬する先輩に支えられながら働いていました。当初は看護師になったプライド、家族からの期待もありかっこいい自分でありたかったんですよ。なのでもっと幅広くできることを増やしたいと思ったので転職をしました。新しい分野です。成人看護に移りました。既卒といえども学生以来の成人、勉強してもしても足りない。今まで先輩たちに守られすぎていたのを痛感するほど自分の未熟さが露わとなりました。どうしても指導が新卒に向いて私は手薄になってしまい、カバーできないという理由で小児科に異動しました。私にとって心はズタズタでした。自分が情けなくて仕方なかったのです。小児科でも新生児とは異なるので勉強しましたが環境の違いも大きく、新生児は重症度は高いものの業務量は少ないのに対し小児科は重症度は低いものの業務量が多すぎて度重なる減らないミス。日々できなかったことリストを作られ共有され、高頻度で師長さんに呼び出され怒られ呆れられるようになりました。

当時の私はできなかったリストを共有されている時に私の背後でされることもあり目の前で悪口を言われているような感覚でした。そして、ミスすると鬼のような顔で師長さんのところに行って報告する先輩に怯えるしかありませんでした。

そして病棟の全体に私のミスが知れ渡るんですよ(笑)

『情けない恥ずかしい周りの目線が怖い。きっとみんな私のことを呆れて見ているだろう、きっとみんな救いようがないとでも思っているんだろう。』と被害妄想のような感覚に襲われるようになりました。全て自分が悪いし、ミスが減らない自分が悪いのですがね、わかっているんですよ。

でももう周りのプレッシャーに毎日押しつぶされそうで上手くいかなかったんです。心が弱かったんですよ私(笑)

師長さんに呼び出されるたびに「こんなんで本当にみんなの信頼が取り戻せると思っているの」と言われていました。当時の私はわからなくなっていました。逆に自分で周りの信頼をなくした反面私も誰も信頼できなくなっていました。何故かって私が話したこと話されたくないことをみんなが知っていたからです。

次第に出勤すると吐き気と動悸に襲われ、息苦しくなるようになりました。

そんなこんなで自分で自分の首を絞め続けた結果「適応障害」と診断されてしまいました。自業自得ですよね(笑)我ながら情けないです。(笑)


現在は治療中なんです。回復傾向にありますがね!

ただ、まだ社会復帰ができていません。

怖いんですよね、時々蘇ってくるんですよ師長さんに言われた言葉を。

「こんなにできない人はじめて」って(笑)

何もできない私がまた働けるわけないじゃないかって思っちゃうんですよ。そうしたらまた思い出したくもない辛かった日々が鮮明に蘇ってきて息ができなくなっちゃうんですよ。


まあでも新しく踏み出さなきゃ自分は変わらないんですよ。だからもっと勇気を出さなきゃなって思ってます!!


落ちこぼれな自分だったのに、看護師になったら家族や親戚に喜んでもらえたんですよ。期待されたんですよ。将来安心って言われたんですよ。それが心から嬉しかったのに、今となっては期待に添えれない自分が辛くて悔しくて悲しくて…

でももう命の責任を負うことがキツくて逃げたいんですよね。

どこまでも落ちこぼれな自分に嫌気がさしてるんですが、周りの期待に答えられるようななりたかった自分を諦めたいんです。そして自分が誰に言われてもなりたかった自分になりたいと今は思うんです。何が正しいのかわかりませんがやりたいことやる人生のほうがきっと後悔しない気がして。

自己肯定感って自分が挫折した時に必要なものだと思ってて、ダメな自分を認めてあげられる強さってのが自己肯定感なんじゃないかと。

これは私をこの挫折モードから脱却させたいからなんですけど、戦うも強さだけど逃げるも諦めるも強くないとできないのではと思っています。みんなに認められる自分になるために頑張り続けるのも諦めるのも勇気がいるんです。嫌々続けるよりも自分に合ったものを見つけてそこを伸ばすことも悪い選択じゃないと思うんですよね。

そう思うようにしてます。


かなり長くなってしまいましたが私が適応障害になった理由と自己紹介兼ねて書かせてもらいました。


心折れてますけどまだ希望は捨ててないんです。

頑張っていきます!!


私の情けない話と暗い話ばかりになってしまいましたがまたこれから癖強い家族の話をしていきますね(笑)

よろしくお願いします。