新札が出回って一か月。
気がついてみれば、5000円札の津田梅子さんは
まだ一枚もおみかけしていないが
財布の中の1000円と10000円は、全て新札になっていることに
気が付いた。
5000円札は 古いお札も ない。
そこで もちあがっているのが 渋沢栄一論争。
渋沢さんといえば 女性に相当な人気だったのか
数多くの 愛人説がある。
何十人もの愛人が いたという。
明治の時代は 許されたというか
”芸のこやし”だったのかもしれない。
英雄色を好む
は、今でも 言われる。
だが、そこで
結婚式に この渋沢さんを 持っていくのは
何だか 縁起が良くないのでは?という論争である。
確かに 結婚式に 愛人たくさんの人の絵柄のお祝いは、どうなんだろう?
ただ一人の人に とりあえず、永遠の愛を誓う場である。
私も 少し納得してしまい
先日は 古い福沢さんを用意してしまった。
経済発展の意味では 渋沢さんを持つと 何だかお金が増える気もする。
まあ、知らない人も多いのだし
気にすることもないし
まして 家庭は お金が増えて 経済発展すれば 愛も深まり
家族も円満になるのだろうから 良いのかもしれない。
私生活と 社会貢献や業績は 関係ない。
ただ、結婚式のお祝いは。。。と言われると
うーーーん
と まだ 抵抗がある私であった。
こうやって 紙面上で 論争が起こるところをみると
きっと 昔の古い道徳に心が縛られている人が 少なからずもいる、ということだろう。
世の中 たくさんの愛が生まれるのは ハッピーなことだ。
愛が愛を産み どんどん 人が幸せになれる。
どんな愛も許されるのだ。
そして 渋沢さんは どの愛にも 真剣に
きっと 責任を持っていただろうから、そこは ただの
遊びの浮気、と考えてはいけないだろう。
明治男は、愛人にも 充分な責任を 持っていた。
そう考えれば 結婚式に渋沢さんも、
悪くはないのだろうと
ようやく 自分を納得できたのだった。
じゃあ、誰が一万円に相応しかったか、
それは、難しい。
全て百点の人は、いない。