超新未来神学
「洗礼者ヨハネの秘密。」
今回は洗礼ヨハネについてです。
聖書に記録されなかった事、または削除された事を含めて記します。
ヨハネの父はアロン家の祭司ザカリアで
母はザカリアの妻のエリザベト。
アロン家はイエス様の母で聖母と称されるマリア家とも親族です。
実はマリアはエリザベトの妹です。
マリアは末っ子でエリザベトは長女、石工ヨセフの先妻は次女でした。
マリアはソロレート婚でヨセフに嫁いだのです。
洗礼者ヨハネは本来は祭司の家を継ぐはずでしたけれど、何らかの理由によって
祭司にはなれず、家を出てヨハネ教団をつくりました。
イエス様の父は法的には石工ヨセフでしたけれど、実際の父は祭司ザカリアでした。
イエス様は母マリアが幼いときから12歳
ぐらいまで神殿に奉仕したように12歳まで神殿で奉仕していました。
腹違いの兄ヨハ ネと実の父ザカリアの家に寝起きして神殿に通っていた。
その間ザカリアからユダヤ教についてすべてを叩きこまれ、、いや、、教育されていたので聖書に精通していました。
ザカリア家には他に親族がいて、べタニアのマルタやマリアとラザロの家がそうです。
ラザロたちの両親はこの世を去っていたのでマルタとマリアとラザロの三人で暮らしていた。
ラザロが祭司になり家督を継ぐはずだったけれど病気のため祭司規定によって、祭司に任職できなかった。
小さな時から、マルタとマリアはヨハネとイエス様との婚姻を望まれていた。
祭司家は祭司家の嫁を望みますから。
マルタとヨハネ、マリアとイエス、
またはマルタとイエス、マリアとヨハネ、
の組み合わせがありますが、
明確な4人の組み合わせは、
決まってはいなかった。
成長過程で病気になったり、早期に帰天する可能性があるからです。
それで最終的な組み合わせは4人が成長してから決めるという事で、月日は流れていった。
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以前、洗礼者ヨハネのいいなずけは、、へロディアです、と私は記しました。それは他の親族が希望した事で、
正式決定では無かった。ただ、、へロディア自身はそうなる信じていたようだ。
へロディア
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ザカリア没後、ヨハネが教団を創った。
後、イエス様が合流し、しばらくたった
頃、イエス様はヨハネ教団を退会した。
25歳ごろから会堂を回っている。
イエス様は30歳ごろメシアとしての
公生涯を開始する。
べタニアのマリア=マグダラのマリアは
イエス様と行動を共にするようになった。
4人の組み合わせは、本来は親同士が決めるのが慣習でしたけれど、マルタの家には既に両親は帰天していたので当人たちが
決める権利がありました。
ヨハネは(べタニアの)マリアを望んでいたけれど、マリアがイエス様に常に付き従い離れようとしない。
聖書はサラっとその様子を記録した。
ルカによる福音書/ 10章 38節
さて、一行が旅を続けているうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタと言う女が、イエスを家に迎え入れた。
ルカによる福音書/ 10章 39節
彼女にはマリアと言う姉妹がいた。マリアは主の足元に座って、その話を聞いていた。
ルカによる福音書/ 10章 40節
マルタは、いろいろともてなしのために忙しくしていたが、そばに立って言った。「主よ、姉妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
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マリアが家事や給仕ができない、または
、しない女性では無いと思います。
姉マルタの居る目の前で、この行為をした理由は、、?。
マリアは何がなんでもイエス様と共に居たい(結婚)との主張をしていたのですね。
「主よ、姉妹は私だけにおもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」は、容認を含めた、多少あきれた感じで言ったのだと思います。マルタのこの時の心情は、言葉には出さないまでも、「まぁ、、この子ったら、
そんなにもイエス様を、、、という事です。そうなら、私はイエス様を諦めますよ、そしてヨハネは貴女を諦めないといけなくなるのよね。」
さて、ここで洗礼者ヨハネの死因。
聖書で記録された事は、当時の領主へドレ・アンティパスとその妻のへロディアの
婚姻を批判したため、捕らえられ、その後
へロディアの連れ子のサロメの踊りの褒美として、ヨハネの首を与えた事による。
へロディアは、ヨハネに対して愛ゆえに憎さ百倍となって、、サロメをそそのかし踊りの報酬をヨハネの首をとと、言わせたのでした。
へドレ・アンティパス妻のへロディアは元はへドレ・アンティパスの異母兄弟のヘロデ・フィリポの妻でした。
ヨハネの批判はレビ記の規定にヘロデが違反しているというものでした。
レビ記/ 18章 16節
あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟を辱めることである。
罰則は、
レビ記/ 18章 29節
これらの忌むべきことの一つでも行う者は必ず民の中から絶たれる。
この規定に当てはめると、
兄弟とはヘロデとフィリポです。兄弟の妻とはへロディアの事です。
全くそのものずばりでヨハネにとっては
批判の対象です。
しかし時の権力者はヨハネのこの批判を知りヨハネを捕らえ殺しました。
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ヨハネのこの批判自体は正当でしょう。
でもここで、私はお話します。
ヨハネはヘロデの件を使って、イエス様に当てこすったのです。
でもヨハネはヘロデを批判するなら、もっとほかの事がありました。
大祭司の任命権を強奪し、悪用して本来終身職の大祭司を帰天していないのに勝手に次々と新しい大祭司を創っていったのです。
でもそれは批判していない。
再度言います。
ヘロデとへロディアの批判は、実はイエス様への嫉妬から始まった批判です。
洗礼者ヨハネはマリアを望んでいたけれど、それができなく
なりそうだから、。
ヨハネがあれほど、イエス様を当初は神様の小羊とまで賞賛していたのに、結局は付き従わなかった理由がそれです。
皆さまは、いや、、あんなに偉いヨハネがそんな人間的な事に煩わされる事はないだろう、と思います、、でしょう?
私も、以前そうでした。
しかし、どんな偉人でも間違うときはあるのです。
特に愛が関係した場合、人は自分を見失う事があります。
カインとアベルの時もそうでした。
カインはアベルの妻をほしがったのです。
でもヨハネはあのレビ記の規定にイエス様とマリアが正確には当てはまらない事に気づかなかった。
へロディアは婚姻した後の規定違反でしたが、マリアはまだ婚姻前でした。まだヨハネの妻にはなっていません。
だから、イエス様は規定違反にはなりません!
洗礼者ヨハネはイエス様を当てこするためにヘロデを批判した事で、結果的に死ぬことになりました。
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リチャードさんは55歳。
32歳の時から或る学校で清掃員をしていて
この時まで23年間仕事を続けていました。
でも55歳までずっと夢を持っていました。
歌を歌う仕事です。
今、、それが叶えられる!
感動です。
リチャードさんが歌った元歌はこちらです。
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グレイテスト・ショーマンの'Never Enough'をご存じですか?
劇中の場面が以下。レベッカ・ファーガソンさんが演じるジェニー・リンドが歌っています。
映画の中ではレベッカ・ファーガソンさんが歌っていることにしていましたが、
口パクだった。
本当に歌っていたのは、ローレンさんだったのです。