バーソ様、ヨシュアさんへの記事へコメントと応答。

https://ameblo.jp/myehoshusiah/entry-12866142768.html

 

バーソ様、ヨシュアさんへの記事へコメントと応答2

https://ameblo.jp/myehoshusiah/entry-12867410313.html

 

バーソ様、ヨシュアさんへの記事へコメントと応答3

https://ameblo.jp/myehoshusiah/entry-12868642124.html

 

 

追記8

 

バーソ様、ヨシュアさんへの記事へコメントと応答3

についたコメント

 

 

barsoさま

 

またまた丁寧な説明をありがとうございました。よく聖書を読み込んでいることに感心しつつ、興味深く読ませていただきました。またひとつだけ、感想です。

 

 私はウザはレビ人だと思い込んでいました。ユダの領地に住んでいたユダ族であっても、それこそレビの血筋も持っていると考えていました。なぜならウザは神の箱を運ぶ任務を与えられたからで、その任務は律法に定められているからです。

しかもイスラエルは、その直前にはペリシテ人とのからみで神の臨在する箱の威力を目撃したばかりでしたから、レビ人以外の人に運ばせるなんてことは神罰が恐ろしくて、考えもしないだろうと思っていたからです。

 

 サムエル​記​第​二6章によると、神の箱を運ぶ兵士は「精鋭三万(1)」という大軍団でした。彼らは「主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた(5)」とある通り、静かに黙々と行進したわけでなく、楽団を伴った大変華々しい大行列でした。

 

ペリシテ人を滅ぼした後でしたので、ダビデ以下、みんな精神が高揚していました。だから「主の御前でダビデは力のかぎり踊った(15)」わけでしょうし、「サウルの娘ミカルは(バカみたいと)心の内にさげすんだ(16)」のでしょう。

 

 アビナダブの子ウザとアフヨが牛車の管理担当でしたが、「アフヨは箱の前を進んだ(4)」とあるので、ウザは牛車の後ろを歩いたようです。牛は車の前にいます。牛の足をよろけさせるには牛車の前のほうに行って、棒か何かで牛の足を突っつかなくてはなりません。人間の手ではちょっと無理です。

しかも大勢の軍楽隊と兵士が周りにいるのですから、そんな一番目立つときに神の箱を開けようとするのは非常に愚かしいことです。

 

ウザに箱の中を見たい気が以前からあったのなら、こんな大行列のときに見なくても、もっと前、家に置いてあったときに夜中にでも忍び込んで、こっそり見たらすむことです。と思いましたが、どうでしょう。

 しかしそれにしても聖書の神は、自分の尊厳に関わることは厳しいですね。すぐ罰で人を殺します。アカンもアナニヤとサッピラも殺人罪ではないのに(見せしめのために)殺されました。アダムの罪は全人類も同罪にされました。

 なお、ペリシテ人は律法の下にはいないので、神の箱を触っても律法で裁かれることはないはずです。

   

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コメントに対する応答。

 

>barsoさま、

 

おはようございます。

 

ご訪問とコメントありがとうございます。

管理人代理です。

 

だいぶ涼しくなって、しのぎやすくなりました。

季節の変わり目で、風邪を引かないように御自愛下さいね。

 

Answer

 

ユダ族はアロンの妻が、ユダ族からお嫁に行ってるので、婚姻関係により、相互に行き来して、ユダとレビの血筋を両方持っている人が多くいたのですね。

 

レビ(アロンの家)に嫁ぐときはレビとして、祭儀を行うときもレビとして。

 

家督を受け継ぐとき、通常はユダとして戦士、、みたいに。血統の交差があった特別な血筋でしたので。

 

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契約の箱は、、

 

民数記10章

33 人々は主の山を旅立ち、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱はこの三日の道のりを彼らの先頭に進み、彼らの休む場所を探した。

 

 

ヨシュア記3章

3 民に命じた。「あなたたちは、あなたたちの神、主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。

 

4 契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。」

 

 

14 ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、

15 aヨルダン川に達した。

 

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これらの故事にならって

契約の箱を運んでいたと思われるので。

 

アフヨが先頭。牛、荷車、ウザ、彼らといくぶん 間をあけて、氏族ごとに旗を立て、王のダビデを先頭に兵士たち、がついて行ったと思われます。

 

なので、ちょっとした曲がり角、とか、

大きな物影(例えば、むぎ打ち場に、、麦束が干されてたら)があれば、後ろの人にはウザ達は見えづらくなります。

 

牛2頭と書かれてないので、

牛は1頭で、ペリシテ人のときもよりも小ぶりの荷台だったと思われます。

 

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Douay-Rheims Bibleからの引用

サムエル下 6章

 

9And when they came to the floor of Chidon, Oza put forth his hand, to hold up the ark: for the ox being wanton had made it lean a little on one side. 

 

機械翻訳

9 彼らがキドンの平地に着くと、オザ(ウザ)は手を伸ばして箱舟(契約の箱)を支えた。牛がわがままで、箱舟(契約の箱)が少し(片側に)傾いていたからである。

 

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oxは雄牛で、単数形です。

2頭いたら複数形のoxenのはずです。

 

ペリシテ人のときは、神の箱と賠償の金の置き物の入った箱と、大きな箱が2つだったから大きい荷台に2頭の雌牛だったのでしょうね。

 

牛1頭用のは、それの荷台ほどは大きくない小さ目な荷車で、荷台を少し後ろを持ち上げるとか、荷台を手足で抑えつけて車輪を急に止めるとかすれば、バランスを崩して、牛をよろめかせれたのではないかと思っています。

 

もちろんウザが物陰に入って見えにくいときに、こそっと、。

牛は、ゆっくり動く動物ですし。

馬よりは鈍臭い?苦笑

 

神の箱のサイズ。

長さは130cm、幅と高さがそれぞれ80cm。

牛がよろけた程度で、そう簡単には荷台から落ちないと思います。

 

荷台の端までズレて落ちそうになったわけではなく片側に少し寄っただけで、落ちかけては居ないです。

 

なのでウザが箱に触れる理由がありません。

 

少し片側に寄ったから、

落ちそうと自分(ウザ)が思って箱を支えたと理由付けするつもりだったのでしょう。

 

本当に箱が、落ちそうになったなら、神様御自身で、箱を浮かして戻すくらいは起こり得る、神様の御霊が強く働いていた時代です。

 

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出エジプト記 27章

21 常夜灯は臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に置き、アロンとその子らが、主の御前に、夕暮れから夜明けまで守る。これはイスラエルの人々にとって、代々にわたって守るべき不変の定めである。

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夕暮れから夜明け、人が寝静まった時間は、ウザの兄弟エルアザルが明かりを灯して箱を守り、それ以外は箱の置いてある部屋もそうでない部屋も、人が起きていたから、人目がある状態でした、それで箱に触れれるチャンスはなかったんですね。

 

ウザにとって、荷台のそばにいれるその日、その時が、ラストチャンスでした。

 

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アカンについて

 

ヨシュア記7章

2 ヨシュアはエリコからアイへ数人の人を遣わし、「上って行って、あの土地を探れ」と命じた。アイはベテルの東、ベト・アベンの近くにあった。彼らは上って行ってアイを探り、

 

3 ヨシュアのもとに帰って来て言った。「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」

 

4 そこで、民のうちから約三千の兵がアイに攻め上ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退した。

 

 

21 分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、わたしの天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」

 

ーーー    

アカンは、敵のスパイになっていたんです。

 

イスラエルがアイを攻撃するときの偵察のことを敵に内通していた。だから最初に偵察したときと違って、イスラエルは大敗したんです。

 

欲しくて取って隠したと言うしかないです。

 

スパイをしてたと言えば、家族も殺されます。でも、スパイをしていたと神様は見抜いていたので、。

 

美しい上着(外套)も、銀も金の延べ棒も、イスラエルでは売ることはできません。

 

指導者ヨシュアが、金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。と命じているので、金や銀を持っていたらおかしいからです。

 

宝物殿に納めるべきものを抜かすと、滅ぼし尽くす、焼き払うべきものはシンアルの外套1枚だけです。

 

たかが外套1枚のために、

家族皆殺しは、おかしいでしょう?理由があるのです。

 

戦利品はイスラエルで売って食料にも替えれない。

服以外は土に埋めて、隠していた。

 

戦争が終わって、イスラエルが負けて去ったら、上着はスパイの印、アカン達は受け入れて貰う約束で。

 

アカンや妻、大人が動けば目立つので、自分の子供達をスパイとして使って、敵に手紙を渡して内通していた。

 

だから家族も皆殺しなんです。

家族ぐるみで、イスラエルの民と神様を裏切っていたわけだから。

 

レビ記5章

15 主にささげるべき奉納物のどれかを過ってささげず、主を欺いて罪を犯した場合、その償いとして、聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊を群れから取って、主にささげ、賠償の献げ物とする。

 

16 彼はささげるのを怠った奉納物に五分の一の割り増し分を加えて祭司に渡す。祭司がその賠償の献げ物の雄羊をもって彼のために罪を贖う儀式を行うと、彼の罪は赦される。

 

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アカンがスパイをしていなければ隠していた金銀を奉納し、言いつけに背いたことの割増し分5分の1を加えての金銀の追加賠償、もしくはそれと等価の無傷の雄羊。

で済んだと思うけれど。

 

家族ぐるみで、子供までスパイしてたら

毒麦と毒麦の根を、共同体から排除するということになるわけです。

 

アカンとアカンの家族が、

スパイ、内通してなければ、アイの偵察後の敗北は起きないで済んだのですから。

 

ーーー

 

アナニアとサッフィラについて

 

彼らは、神様に対して

畑を売った金額を安く言ってごまかし、偽証、嘘の誓いをしたことになります。

 

 

レビ記5章

4 悪いことについてであれ、善いことについてであれ、どのような事柄についてであっても、軽はずみな誓いが立てられるようなことに関して、軽はずみな誓いを立てたならば、それを知るようになったとき、責めを負う。以上のいずれかに関して、

 

5 責めを負うときには、彼はその罪を犯したことを告白し、

 

6 犯した罪の代償として、群れのうちから雌羊または雌山羊を取り、贖罪の献げ物として主にささげる。祭司は彼のためにその犯した罪を贖う儀式を行う。

 

7 貧しくて羊や山羊に手が届かない場合、犯した罪の代償として二羽の山鳩または二羽の家鳩、すなわち一羽を贖罪の献げ物として、もう一羽を焼き尽くす献げ物として、主にささげる。

ーーー

偽証や、嘘は、してはいけないと律法で決められていて、悪いことと分かっていて、罪を犯しました。

 

レビ記の規定での賠償でも、罪を犯したことを告白することが必要です。

 

ーーー

使徒言行録5章

1 ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、

2 妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

 

3 すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。

 

4 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

 

5 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。

 

ーーー

でも、

畑の全額を売った全てのふりをして、その嘘を反省し撤回する気がまるでなかった。

 

十戒には、、嘘をつかない。偽証しない、とあり、故意に律法破りをし、神様に背いていたのです。

 

故意の罪というのは、

悪と分かっていて犯す重い罪です。

 

悔いる事が赦しの前提であるので、悔いない罪、悪いと知ってて、罪を犯したら、ゆるされないです。

 

無知ゆえに犯す同じ罪とは違うのです。

罪は、その心根次第で重くなります。

 

嘘の誓いを立てて嘘じゃないですーと彼らは、神様の名で誓い、そう言い張ったようなものですから。

 

神様を自分の嘘の保証人にしようとした、神様を利用しようなものだから、彼らは打たれたのでしょう、。

 

自分たちが信仰深い、と人から思われるように、自分たちが使う分を取り分けておきながら、全額を神様に捧げたふりをしました。

 

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おっと、、

 答えるのを忘れてました。

ペリシテ人は律法の外だから罰せられないというのは、、、私には疑問です。

 

ノアの洪水以降、ノアという、ひとつの同じ血族から全世界に分かれて行きましたし。

 

それぞれ自分たちの独自の神、人が作り出した神を持った民もいますけど、宗教、全ての教え、人の生き方の規範のの与え主は天地創造の大元の神様です。

 

スピリチュアル的に言えばワンネスの神様。全世界の生きとし活けるものの生命の与え主です。

 

人の呼び名、認識は違えど、全世界のクリエイターは、天地創造の神様です。

 

天地創造の神様を自分の神にしてなくても、クリエイターが神様で、その神様が、善なるお方ですから、良い生き方を人は選ぶべきですし、そのほうが、自分の中の良心は、苦しまないで済みます。

 

重たいエネルギー、、。

人を苦しめる事が好きな人(霊も)もいますけれど、そういう人はそういう次元に自分が好んで居るわけで、成長途上の魂なのです。

 

いわばそういう人は、過去の自分です。自分にも同じ部分があったから、その人の中にもそれが、有ると理解できるのですし。

 

魂自体は、神様からのもので清いけれど、、霊的成長によって魂の目覚めの度合い、成長の度合いは変わるので、成長が遅い人も早い人もいます。

 

でも肉体の喪失後は、基本的に自分自身と同レベルの人(霊)としか出会えないので、生きている間に、色々な人と出会い、受容能力は高いほうが、肉体の死後も成長できるでしょう。

 

聖書は、権力者が、自分の権威付けに、神様を利用し、略奪や、植民地化、奴隷制度を正当化するのにも利用されました。

 

聖書は、全世界で読まれるようになり、影響力の強いものです。

 

良い心で読むなら良い影響を受け、悪しき心で読むなら自分に都合の良い自己中な読み方をします。

 

固定概念が、何もない方が聖書は面白いと思います。私は、読む度に頭を空っぽにして読みます。

新しい発見をしたいので、聖書を初めて読む気持ちで何度も読んでいます。

 

 

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