わたしはメンタルが強い! かな・・・ | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

わたしは自身のメンタルについて

  強いんだろうな、と思っています

勿論いろいろなことで一時的に落ち込むことはありますが

  それを引きずって引きこもることはないし

  元々落ちこむこと自体が少ないかな、と思っています

 

それは起きたいろいろなことに対してというか

  わたしに対しての評価を

  自分の都合の良いように解釈する癖というか

  思考パタンが

  ある種の心の防御方法というか手段として身についている

  からかなと思っています

 

でも、その同じ頭の片隅で

  本当にわたしってメンタル強い?と

  チェックし続けているわたしも居ます(^O^;)

 

そんなわたしが次のような記事を見つけました

えらせんさんの『実はメンタルが強い人の特徴7選』です

  この記事を読んでみて

  基本的にはここで挙げている7つの特徴のすべてにわたしは該当しています(^O^)

だからやっぱりわたしってメンタル強いんだ!とは結論付けませんが

  少なくとも強くありたい、あろうという思考は抱いているのだなと確認できました(^O^)/

 

次に7つの特徴を転載します

①自分の弱さを理解している

④人の長所に頼れる

  わたしは、パーフェクトなスーパーマンではありません

    学校も身体や感性を使う音楽/体育/美術/英語と言った科目の実技には苦労し

    それを座学(筆記試験)でカバーするといった状況でしたし

    お仕事になってもネットワークやデバイス関係だとか得意な人に任せていました

  代わりにわたしは

    筆記試験ではそれなりの成績を取っていましたし

    お仕事では、お客様の問題点を抽出して、システムに纏めるのは

    それなりに頑張りもしたし、結果も出してきました

 

  何でもかんでもではなく

    わたしの得意なことと苦手なことはしっかりと選別して

    得意なことに関しては、自分から声を上げてでも人様以上にのめり込むという

    メリハリをつけた意思/行動をしています

    好きなことに力を注ぐようにしてきました

 

  人は出来るものがなくて

    あれもこれも人に頼む/聞かなければ分からない状況だと

    次も分からないと、他人に聞くことが出来なくなるのではないかなと思っています

  それが”これは誰にも負けない”というものを一つは持っていると

    その他の知らないコト/出来ないコトがあっても

    素直に聞く/支援を受けることができるし

    自分を卑下していじけることがなくなるのかなと思っています

 

  だからこそ自分の子にも、後輩たちにも

    なんでもいいけど”自分は何屋なのか/何が得意なのか”を

    出来るだけ早くに見つけられるといいね

    と言っています

  わたしは自分で天職と言ってのけるだけのものを見付けました(^O^)/

 

②人の顔色を気にしない

③無理に好かれようとしない

  一時は浮浪さんに憧れていましたが

    もちろん成れるわけもなく、それなりに他者の目も気には話なりますが

    それでも根底にはすべての人に好かれなくてもよい

    一人の中でも全面的に好かれるわけではなく、好かれる部分が多いように

    時によっては一人であっても構わない、という気持ちがあります

  中学二年の時の担任からも

    「□□君はクラス全員と違って一人であっても突き進むことが出来る」

    と評されたことがあり

    なにか物事を進める時の覚悟として

    ”一人であったとしても”という感覚はいつでも持ち続けています

 

  そこにはわたしの考え方として

    わたしがある人と知り合った時

    その人に全面的に好かれなくても

    いい処といやな処の比率が51:49で

    結果として気に入ってもらえればいいかな、と思っています

  そんなわたしの周りに100人の人がいたら

    100人全員に気に入られることは考えていなくて

    51人に気に入ってもらえればいいかな、と!

  そしてそんなグループが100あったら

    51のグループでわたしを気に入っていてくれている人が多ければ

    それでいいかな、と思っています

  ですからわたしを気に食わない人が居ること自体は織り込み済みなのですが

    それでも一人でも

    そして一人の中でも少しでもわたしのことを気に入ってもらえる部分が増えるように

    意識はしています

 

⑤自分の意見をハッキリ言える

⑥自分の軸をしっかり持っている

  正しい/正しくない、一般的/特異的は別として

    わたしは自分の想いを持っています

  この想いは、その判断が必要な時にあわてて考えるわけではなく

    いつでも何かの折に考えたり/整理していていて・・・時として変化はしえます

    その出来上がっている軸に基づいて

    判断が必要な時に導いています

  ですから多くの場合

    わたしの判断は(一般的には重い事案でも)早いし

    あとでその判断をウジウジと引きずることはあまりありません

      ※結婚するず~っと前に、こどもとの向き合い方を考えていたし

        今は余命宣告というか重病にかかった時の死との向き合い方を考えています

 

  それはわたしの評価は

    選択しなかった方の判断をうらやむよりも

    (たとえ選択しなかった方がよかったちしても)

    ”この選択も悪くはなかった”とね、と思うように

    そして思えるように努めようにしているからです

 

  そういう思いを背景に

    自分の想いは必要ならばどこでも表明するし

    無記名アンケートであっても場合によっては記名して意思表明をしています

    多くの見ず知らずの人の前での意見表明もそれほど気にはなりません(^O^;)

 

⑦ストレスとの付き合い方が上手い

  わたしは身体が受け付けない、ということはないのですが

    特にはそれほど好きというわけでもないので

    やけ酒でストレス発散ということはないです

 

  それでも(独身の時は余計に)

    現実の関わり合っている時間が多くても

    ”精神的には仕事がすべて”というわけではなく

    いろいろな趣味に手を出していたので

    何かのストレスがあっても、遊んでいるうちに消えていたかな(^O^)

  最初の会社で、まだ独りの時

    仕事でストレスが溜まってくると

    仮病で翌日の会社をお休みにしたうえで

    後方の山々の見ず知らずのすれ違いの出来ないような山道にも分け入って

    人工の灯の見えない平地を見つけては

    真っ暗闇を確認したうえでテントを張って

    バーナーで沸かした湯で淹れたてコーヒーを楽しんでから

    テントで就寝

    翌日も夕方まで一日ハンモックでゆられながらの読書

    こんなプチ逃避行も何回かやりました(^O^)

 

  徹夜/休出もしょっちゅうやっていましたし

    現実的には仕事をしていた時間はかなりの時間を締めていました

  それでも(周りの人がどう思うかは別として)

    本人の意識としては”生きがいは考えること”という考えの元

    ”遊びに仕事は持ち込まないけれど、仕事は遊べ”

    仕事を遊んでいた部分もあり・・・・元々は仕事なので嫌なこともありますが!

    会社の規定にはなくても自宅で仕事をしたりと

    かなり自由に自分のしたいように仕事の枠組みを創っていました

  それに仕事とプライベートの予定を天秤にかけることも出来たので

    お客様は神様ではなく、対等な取引相手という関係を創り上げていました

 

  わたしは仕事の場でも、プライベートの場でも

    いずれも自分の居場所を創ってきましたし

      ※結果、会社の規定/職務分掌が変わったこともあります

    それをいつも意識していました

  多分この居場所を持ち続けられたことが

    わたしがストレスを受け流せた大きな要因のひとつかな、と思います

 

そして記事本文では「まとめ」として次のように書かれています

  どうでしたか?

  実はメンタルの強さって、自分や他人に対しての優しさでもあります。

  完璧を目指す必要はありません。

  等身大の自分でいることが、実は一番のメンタルの強さなのかもしれませんね。

 

わたしは自分には優しいですよ~(^O^;)

  なんたって優先順位が 自分>子供>パートナー>親

        もしくは 自分>客>会社 なのですから

  そして隣の人も、隣の人自身が一番大事にしているのだから

  気にかけなければいけないのですが

  そういう気持ちの余裕が持てるのは

  自分自身が落ち着いていなければいけないのだと思っています

 

そして上でも書きましたが

  端から完璧を目指したことなぞなくて

  ”出来ないことは出来ない”として

  出来ないことを出来るように努力するのではなく

  出来ることをより一層高まるように注力してきました

 

これからも

  わたしは私

  ジェンダー問題もわたしの一側面でしかなく

  生まれた時から途切れることなく繋がったわたしの一部でしかありません

 

わたしが私自身のすべてを肯定し、受け入れて

  これからも私の居場所を創り続ければ

  ストレスにも耐えて行けるのかな(^O^)