「虚もなしつづければ実となる」 | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

昨日ですが『八犬伝』を観てきました

 

『南総里見八犬伝』は中学の頃に知って

  その中で女田楽として振舞わっていた犬坂毛野や

  女性的な線を醸し出していた犬塚志乃が出ていて

  ドキドキしながら読んでいました

映画は過去に何度も造られていますが

  わたしが観たのは薬師丸ひろ子が静姫(元ネタは浜路姫か)を演じた

  深作欣二監督の作品ですが

  この時の犬坂毛野は志穂美悦子、そして犬塚志乃は京本政樹が演じていました

    ※ちなみに今回は、犬坂毛野は板垣李光人、そして犬塚志乃は渡邊圭祐でした

 

予約した上映時間は1440からだったので

  先ずは朝一で循環器クリニックに

  年に一回の循環器科での血液検査のための採血をしに出掛けました

いつもの定期診察と血液検査の結果は二週間先なので

  この日は採血のみです

それで、以前にヨガ教室でもご一緒した看護師さんに採血されたのですが

  ここしばらくは献血もしていないせいか・・・単なる老化??(^O^;)

  いつも採血する血管が見つけられず

  今まではめったに使わなかった左腕で採血しようとしたのですが

  結果はうまく血管を捉え切れなくて

  途中で断念!

  最終的に、もう一度右腕で取り直してなんとか採血終了(^O^;)

 

そして採血中の雑談で

  今日のわたしのコーデで、ワンピに合わせてマスクも花柄でそろえたのですが

  「マスクもおそろい? かわいいね!」と言われちゃったので

  「中身がかわいくない分、お洋服をかわいくしないと!」と返したのですが

  「そんなことないよ! 女子力高いんだから~」といじられちゃいました(^O^;)

ここのクリニックは、先生はじめ看護師さんや技士さんも全員女性で

  わたしがトランスを開始したころからお世話になっているので

  みなさんわたしのことは了解していて

  そんなこともあって、行けばいろいろといじられているのです(^O^;)

 

採血が終わってもお時間はまだまだありますので

  一度お家に戻って、お食事してからシネコンに向かいます

STORY

なぜ彼は、失明しても諦めなかったのか?
「八犬伝」に込めた馬琴の想いにあなたは涙する

江戸時代の人気作家・滝沢馬琴は、友人の絵師・葛飾北斎に

構想中の物語「八犬伝」を語り始める。
里見家にかけられた呪いを解くため

八つの珠を持つ八人の剣士が、運命に導かれるように集結し
壮絶な戦いに挑むという壮大にして奇怪な物語だ。北斎はたちまち夢中になる。
そして、続きが気になり、度々訪れては馬琴の創作の刺激となる下絵を描いた。
北斎も魅了した物語は人気を集め、異例の長期連載へと突入していくが

クライマックスに差しかかった時
馬琴は失明してしまう。

完成が絶望的な中、義理の娘から「手伝わせてほしい」と申し出を受ける──。
失明してもなお28年の歳月をかけて書き続けた馬琴が「八犬伝」に込めた想いとはー。

***************************************************** 公式HPより *****

上の説明でも分かるように

  今回の『八犬伝』は、馬琴の書いた『南総里見八犬伝』のお話しそのものの映画化ではなく

  『南総里見八犬伝』のお話しは劇中劇として”虚の世界”を表し

  それに対し実の世界で『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴の生き様を描いています

 

馬琴の周りには

  虚に生きた北斎、実世界は”虚”だと喝破した南北

  理想の実を目指しながらも、虚にしか生きられなかった馬琴

  その馬琴に「虚もなし続ければ、それが実になる」と馬琴を諭す崋山

そして誰にも認められず、何のために生きたのか分からずに亡くなった妻のお百

    ==>わたしも母に「何のために生きたのか?」を聞いたことがあります

  親に敷かれたレールの上を最後までは到達できなかったけれど、走り抜いた息子の宗伯

  宗伯と同じ様に馬琴に尽くしきった嫁のお路

 

でも同じように馬琴に尽くしきったけれど

  宗伯とお路には大きな違いがあるように感じています

それはお路が誰からも期待されていたのではないのに

  自分の意思で馬琴の手伝い、『八犬伝』の完成に尽くしたのに

    ==>でもこれは宗伯の遺言か?!

  宗伯が自分の意思というよりも

  親の敷いたレールの上での呪縛か??

    ==>そのレールから最後まで下りなかったのは、尊敬する親に対する自分の意思か?!

 

いかに生きるか?

  なぜ生きるか?

    どのように生きるのか?

この作品は人それぞれの生き様を問うているのかな??

  それは馬琴や北斎といった実の世界の人だけでなく

  八犬士や伏姫、そして里見義実らを通しても!

 

里見家の呪いの大元は

  義実の軽口なのだから・・・

自分の発する言葉の重みは

  いつでも大事にしていきたいですね・・・