わたしは読書家と言うほどではないですが
それなりに本を読むことは好きで
これまでは読みたい本は手元に置いておきたい
場合によっては”積読:ツンドク”でもよい、という思いもあって
※いまや"tsundoku"は、"tsunami"などと同じ様に英語になっているのですね!
基本的にはすべて買って来て読んでいました
別には、新しいデバイスが好きなこともあって
ソニーのReader、楽天Kobo、そしてアマゾンKindleと
取り敢えずは一通りの電子BOOKリーダーも購入して使ってみました
たしかに場所を取らないとか、持ち運びに重さやガサがないのは旅先には良いのですが
それでも、わたしはやっぱり実物の本がいいなぁ~なんて思っちゃうのです
なんでだろう???
昔々、最初の会社での最後のシステムつくりで14ヶ月京都に通った時には
基本的には毎週月曜はこちらの事業所に出社して
火曜から金曜まで京都の外注さんの処で作業していました
この時通常は往復に在来線を使っていたので
一週間の一往復で文庫2冊
それにトマム往復の青春18で、往復に10冊くらい等々で
この一年チョイで本棚一台分増えちゃったりしていました(^O^;)
雑誌なんかは、引っ越しの都度廃棄してきたりしているのですが
本はなかなか廃棄しきれないのですが
それでも資料的なものは、仕方なく廃棄してきました
そういうわけで今は文庫の読み物が主体なのですが
本棚を設置する場所もなかなか取れないので
昔からチョコチョコとおトイレにも書棚を作り付けてきたのですが
それも手狭になってきました
それに経費の問題もあるしと
昨年暮くらいから近くにある市の図書館を使うようにしました
この半年くらいで66冊借り出しました
でも心配した通り図書館から借り出して読むのは
読みたいと思った時、必ずしも読めるとは限らないのですよね(*_*)
待ち順位40番目なんていうと何か月待ちになります
出来るだけ何かの本が借出せるように順序も含めて予約しているのですが
それもこの間から一カ月ほどは予約待ちで一冊も借出せなくなってしまいました(^O^;)
そんなことで少し前からスマホで
「薬屋のひとりごと」関連のYouTubeコンテンツを見ていたのですが
その合間にいくつかのコンテンツの紹介が流れ
その中には日本というか日本人の特性、良さ/美点を称える
それも二つの隣国との比較だったり
両国の反日教育された人が来日して、その教育の嘘がバレるという
ある意味日本人として気分のいい内容の記事を読み出すと
ついつい引きずられるのです(^O^;)
引きずられながらもその裏で
わたしは少し心配になってきていました
それはよくネットの問題点としての
”自分に都合の良い/心地よいモノのみを読まされる”ということ!
確かに2つ3つと同じ趣旨のコンテンツを見ると
途端にその関連のコンテンツだらけになるのです
そしてそのコンテンツの真偽は??
誰が(何国人が?)誰に向けて・・・・日本語にしているから日本人向け?
何のために、つくっているのかな、と!
まだ本人というか、実際の人が出て来て撮影しているのはまだしも
静止画とか動画と言うより絵を背景として繋いで
テロップをボーカロイドに読ませているコンテンツでは
同じ内容を(表面上は)別の作成者/提示グループが記事UPしているのですが
ボーカロイドの性能のせいか読み方もあちこちとおかしいし
時によっては内容的にも??ということもいくつかはあります
それ以上に
わたしが観ている記事の内容は正しいの?
記事の中で揶揄されているような反日教育にそまって日本を毛嫌いしている人と同じ様に
わたしもこれらの記事に影響されて間違った想いを植え付けられてはいないだろうか、と!
まぁ、わたしは最終的には自分の目で見ないと信じない様にはしているつもりですが
それでも知らず知らずのうちに色眼鏡で見ていないだろうかという不安があるのです
わたし自身はそれほどの回数はありませんが
シンガポール、モルディブ、ケアンズ、サイパン、サンディアゴ、香港と
海外には行ってきました
※サンディアゴのみは仕事絡みでしたが、それでもわずかなプライベートでは独り歩きしてきました
どこの都市でも(モディブだけはクラブメッド)一人だったり、彼女と二人で
メイン通りだけではなく(裏通りまでは行きませんが)一本隣りのサブ通りくらいまでは
昼間だけですが、個人的にフラフラと散策してきました
当時はシンガポールと言うと、規制が厳しくて道に唾を穿いたら罰金とか
道路を渡るのが、下手をすると殺されそうで大変だと言われていました
でも実際には国内で道路を渡るのと変わらなかったし
お店でワンピの試着をさせてもらったり、初めてお化粧品一式をいただいたり
香港でもいろいろなお店に入ったり、有料トイレも使いましたが
特にはそれほど嫌な記憶がないのです
これからも最終的には自分で見たこと、自分で体験したことを基本とし
実体験できていないことは、出来るだけ多くの視点からの情報を束ねて
総合的に判断して、それでもあくまでも実体験するまでの暫定情報として
受け入れようと、改めて思い直しました
本とYouTube、ある意味
他人が書いた/つくったものを見るという意味では一緒なのですが
わたしの感覚としては
”本を読む”ということは、自発的、積極的な行為だと思っています
でも”YouTubeを見る”のは、実体験として受け身にしか感じられません(*_*;
また本が借出せるサイクルに入ってきましたので
そろそろYouTubeは卒業はしないまでも
どこかで待ち時間が出来て、ご本も持っていない時の時間つぶしぐらいにして
また本読み主体の生活に戻っていきたいな、と思っています
そんな5年前の今日は、お試しで「一日Tバックを穿いてみた」日でした(^O^;)