4年まえの今日、こんな記事を書いていました
わたしは昨年まで、ほぼ半世紀に渡って、その間ず~っと(3つの)会社に属して
お仕事をさせていただいてきましたが
多くの人からしたら、ずいぶんと好き放題にお仕事させてもらってきました
もちろん組織に属しているのですから
100%自由、ということはもちろんないのですが
かなり思った通りに仕事してきたかと思います
今でこそ、このコロナ禍で在宅ワークは推奨されたりしていますが
今から40年前の頃から、一人で行える仕事はお家に帰ってやっていたり
そのためにCEの協力も得て自宅にオフコンも設置したりしていたりしていました
最初の会社の時にも、これからのCEの在り方として
ハード・メンテナンサーからソフト化したシステム・メンテナンサーへの移行ということで
現場事務所での独自対応するために、勝手に勉強会を何回も開催し
それを会社の暗黙の了承を取って、温泉地で開いたりしていました
このCEのSW化は、数年後には会社方針になりました
そして同じようなことが2社目の時も
最初の内は、必要な時には家に帰ってお仕事をしていましたが
ある時、会社の正式な措置として”主勤務地自宅”という辞令もいただきました
あとにも先にも私一人だけだったようですが・・・
そしてこんな私でも
最初の会社でも最年少で課長職に付けていただいたし
次の会社でも、グループ企業体全体の一割程度のマネージメント職にされたりしましたが
わたしに組織マネージメントをさせても仕方ないと
最初の会社では、現場の総務課長が
「事務処理は俺が引き受けるから、お前はもっと外に出ていけ」と言っていただいたり
専門職制度が出来た時に第一期生として選任されました
そして何よりも
三社に渡って「生産管理システム」を企画/開発/販売/指導し続けてきたのですが
11世代のシステムで40年以上携わってきました
これは決して会社から指示を受けたわけではなく
わたしが続けてきたから、会社は仕方なく続けてきたのだと思います(^O^;)
このやり続けてきた原点は、リブログ元の記事にも書いていますが
最初の会社で一年弱、指導を受けた最初の上司の影響が非常に大きかったのだと思いますが
さらに二年目に感じた”評価は他人がするもの”
”評価させるには発信し続けなければいけない”
と思ったこともあったかと思います
そんなんで、会社にというか問題部署の長に直訴状を出して怒られたり
後に生え抜きでの初社長になった人に、辞表を呑んでの直談判を行ったりしたのですが
取り敢えずは首にもならずに、その後も自由にお仕事させていただいてきました
もちろん、いつでもわたしがなんかを言えば、それが通る
なんて甘いことはあり得ないのですが
公式非公式の場や時は関係なく
キッカケがあれば、いつどのような時でも訴えていましたが
それがいつでもできるように、その準備は常にしていました
”出る釘はうたれて”しまいますが
”出過ぎた釘は打たれない”
でも”出過ぎると抜かれてしまう”
組織内でのバランス感
その時々の実力(貢献度)と通す想いの力学
ほぼ半世紀
なんとか走り切ったのかな(^O^;)
こんな話は、わたしの二人の子にもよく話はしていて
わたしの姿が会社員として当たり前だと思ったら、違うからね!とは言っていましたが
子供たちが学校を卒業して、それぞれに働き出したら
「やっぱりお父さんの働き方は参考にならないや」と言っていました
それでも実例ではあるのですが・・・
決して自分から発信しないでも、相手がこちらの思いを汲み取ってくれる、なんてことはなく
自分の想いは必ず口に出して
外に向かって発信しなければいけないのだろうと思っています
それは会社においてでだけでなく
生きる場でもね!