塩見有輝の日本と海外のデュアルライフ

塩見有輝の日本と海外のデュアルライフ

シンガポールに12年住んでいました。現在は、月の半分が日本、半分が海外です。仕事ではインドネシア、シンガポール、マレーシア、フィリピンに行くことが多いです。2025年5月にマサチュセッツ大学を卒業しMBAを取得しました。(International Business専攻)

経済産業省様支援のセミナ-内の一コマです。(海外高度教育協会HPに記載)


 2026年あけましておめでとうございます。


今日は、


シンガポールは移民に厳しい国だった。
でも、野蛮ではなかった。
という話をしたいと思います。


本年もよろしくお願い致します。
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最近、日本では
シンガポール移民政策に成功した国だ
という言い方を耳にするようになりました。


同時に、「あの国は
移民に対してとても厳しく
差別的なのではないか」
という印象を持つ人も
増えているように感じます。


確かに、制度だけを見れば、
そのとおりです。


シンガポールは経済のために
移民を受け入れ、
その条件から外れた人には
例外なく厳しい判断を下す国です。


人間的な事情(恋愛・妊娠)でも
例外はありません。


なお、ここで時々話題にされる、
シンガポールの外国人メイド
妊娠に関する事例については、
私はすでに 202210月23日 に、
このブログで取り上げています。


2022年10月23日公開
メイドさんの恋愛と妊娠


シンガポール人の雇い主と恋愛して、
たとえ子どもができたとしても、
そのまま結婚できません。


ビザは即時にキャンセルされ、
本人は母国へ帰国しなければならない
というケースです。


この事例は、
シンガポールの制度が、いかに
経済合理性を最優先し
個人の事情を考慮しないかを
端的に示しています。


ただ、私が12年間、
シンガポールで暮らしてきた中で
感じていた空気は、
いま日本で語られているイメージとは、
少し違うものでした。


私がシンガポールで学んだことは、
制度の厳しさと日常の態度は、
完全に切り分けられている事実です。


結論から言うと、
「制度としては外国人に
容赦なく厳しいが、
他民族を侮辱することは
タブー中のタブー」

という空気でした。


シンガポールで印象的だったのは、
リー・クアン・ユー
一貫して進めてきた
「民族の融合」の考え方でした。


それは、異なる民族同士が
無理に理解し合うことを
求めるものではありませんでした。


理解できない部分があっても構わない。
ただお互いを、けなしあわないこと。


逆に、無理に変に擁護したり
持ち上げることもしないです。
ただ、
そこに存在すること自体を認める。


そのようなスタンスが、
日常の空気としても、
はっきりと示されていました。


それは、多様性万歳や、
多様性が素晴らしいという
左寄り思想とは違いました。


いろいろな人々が違う文化で
狭いところで生活しているから
しょうがないよね、
でもお互い生活の為だよね
だから
誰にでもわかる公平なルールを
シンガポール人の為に作っておこう、


ということでした。


シンガポールの社会では
FAIR(公平)


という言葉が
とてもよく出てきます。


頑張ったら頑張った分だけ
得をするのがフェア、


誰かが他の理由で守られて
得したらアンフェア。


決まったルール内で、
努力して優れていたら得する。


負けても、頑張った分量の
ある程度のリターンはある。


それがフェアという社会でした。


 






日常の会話の中で、
もし少しでも他の民族について
否定的なことを
公の場所で口にすれば
周囲の人たちも
「そんなことを言うなんて信じられない」
という反応をする。


その感覚は、私が暮らしていた
当時のシンガポールでは、
ごく当たり前のものでした。


相手の国や民族に対して
しっかり距離や警戒心を持つことと、
言葉で貶めることは、
本来は同じではないはずです。


その二つが混ざってしまったとき、
議論はいつの間にか
感情の発散に近いものになってしまう。


政府もそうした懸念を明確に示していました



  • 公の場で他民族を貶めることは「最悪の行為」

  • 野蛮で、恥ずべきことだと教えられてきた

  • 冗談でもアウト、という空気

がありました。


シンガポールでは「言論の自由がなくて
民主主義的ではない」との反発もあり、
公園で国民がスピーチできるよう
制度が変わったことがありましたが、


スピーチ内容は事前報告し、
監視の下での発言でした。




それじゃあ「非民主的だ」という
批判があるのも理解できますが、


その国の成り立ちを見れば、
「民族・宗教の話題が暴発した時の破壊力」
を、
シンガポールは誰よりも知っていたのです。




 




リー・クアン・ユー
民族統合への強烈な意志と
それによって
国益を守る意思がありました。






経済で負けない制度を引いて
でも「悪口を言うこと=愛国」
ではないという
「線引き」が極端に明確な国でした。






経済政策と人間の尊厳を混同しない。




制度は冷酷なほど合理的。




しかし日常生活では、


人種・民族への敬意が絶対ルール


そんな国でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクを
ご明記いただけると幸いです。
https://bit.ly/4qwwiCn

感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。




もし心に響く部分がありましたら、
ぜひ引用元として、
このページの存在も添えて
伝えていただけたらと思います。


 


 


 





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今日は予算3000円で、
素敵なクリスマスを過ごす具体案を
男性に向けて書いてみようと思います。


大変にシンプルでありますが、
大事なのは、
前置きと演出にありますので、
恥ずかしがらずに
口説き上手なイタリア人になったつもりで
小さな演出を全力で楽しんでみましょう。


3000円の内訳はだいたいこんな感じです。



  • 可愛いピースケーキ 2つで1,000円

  • 500円の無名シャンパン

  • バラ一輪 500円

  • 1,000円のアクセサリー

  • そして一番大事なのは、“前置き”の魔法



女の人が高価なプレゼントを欲しがるのは、
自分が愛されるに値する価値ある女だと
感じたいからです。


それを転売して換金したい訳では
ありません。


気持ちがどう立ち上がっていくかを
大事にする生き物なので、
前置きと演出を照れずにしてみよう。


12月23日までの前置き
「明日のプラン、もう完璧に作ったよ」
「ギフト買ったよ。何だと思う?」
「明日は3か所に行くよ。今は言わない」
など、
自分自身が計画を立てて
ワクワクしている様子を
相手に伝えましょう。


実際に行く場所が、
お金がかからない
もしかしたらありきたりの
イルミネーションスポットでも、


前置きをワクワクとしておけば、
「適当にミッドタウンでも行くか~」
とその日に適当に言われるよりも
全く見え方が変わります。




ギフトの形当てクイズ
ギフトはアクセサリーにしてください。
アクセサリ―が一番嬉しいです。


まさかこんな安いアクセサリー、
綺麗な彼女に笑われちゃうと
そういう心配を、
演出で消しましょう。


素敵なイルミネーションを見ながら
手つなぎお散歩をしながら、


アクセサリーを触らせて
「何だと思う?」「Guess?」と
言って女の子の気持ちを
盛り上げましょう。


ディスプレイ

三角のケーキではなく、
こういう形の華やかな形のものを選び
ペーパーをとってお皿にのせます。


ケーキ屋さんで、プレートに、
MY LOVE 〇〇
彼女の名前を書いてもらいます。



シャンパンのようなスパークリングワインは
ロゼでシュワシュワしていれば
それだけで素敵と思う女性が多いと思います。
プロの女性でなければディスプレイ次第で
素敵に見えると思います。

このようにディスプレイします。


バラは花びらにすると
一輪でもボリュームが出ます。




ギフト色当てテスト
女性のアクセサリーは店頭にも
ネットにも山ほど売られていて、


イヤリングネックレス
特に低予算でも見栄えがよくて
彼女の雰囲気にあうものを
見つけられると思います。


「何色だと思う?
間違えたら1回キスだよ」
とカラー当てごっこをして、
絶対に当たらない色を
正解にしましょう。


乳白色、クリスタル色、
オーローラ色など、
絶対にあたらないし、
どんな洋服にも合う色です。


彼女が色当てを間違うたびに、
「ノー」と言ってキスをしましょう。


相手が喜ぶ工夫
忙しく働いたあと、
限られた時間をなんとか作って
“3000円のロマンティック”を
恥ずかしがらずにやってみよう。


“今あるリソースで工夫する”
という姿勢は、
恋愛だけでなく、
仕事にもつながる。




私は昔、とある会社を見たことがある。
最初は誰もキラキラした経歴なんて
持っていなかった。


学歴も職歴も弱いと言われるような
人たちばかりだった。


でも、その社長は
“今いる人材と環境で何ができるか”
の天才だった。




リソースが弱い時期は、
やっぱりみじめになりがちで
カッコ悪い時期になりがちです


その時に当たり前でも工夫を実践して、
ひとりひとりが“必要とされている”
と感じる空気を作った。


その積み重ねで会社は伸び、
やがて本当に
キラキラした経歴の人たちも
集まるようになっていった。




それを見たとき、
最初の段階で工夫ができる人こそ、
本当に強いと感じた。






だから、3000円クリスマスで
相手を楽しませられる人というのは、
実は未来の伸びしろがとても大きい。




そのときはまだ
小さな世界にいるように見えても、
数年後、
いや実際は、そんなに簡単ではなく
もしかすると
十年かかるかもしれないけれど、


気づけば本当に素敵なレストランに
背伸びせず連れて行ってくれる
温かい大人の男性になっている。




お金がある時期が来たときに、
“どう使うか”を知っているのは、
こういう地味な工夫を
積み重ねてきた人たちだ。




そして、
二人で歩いてきた年月は、
誰にも見えないけれど、
静かで深い“物語”になっていく。




高級レストランのテーブルで
二人は思い出すだろう。




初めて一緒に過ごした、
あの小さな3000円のクリスマスのこと。




そして、心の中で静かに思うはずだ。
「ここまで一緒に歩いてこれてよかったね」





🎅 メリークリスマス



素敵な夜を。
あなたにとって
温かく幸せな時間でありますように。


本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクを
ご明記いただけると幸いです。
https://bit.ly/4pOvRDi
感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。




もし心に響く部分がありましたら、
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伝えていただけたらと思います。




 





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今日2025年10月21日に、
日本初の女性の内閣総理大臣
誕生しました。


そういうわけで今日は、
私にとって印象深い
2名の女性リーダー
の話を
させて頂こうと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今から20年も昔の話だ。
その頃はスマホ登場前のガラケー時代
そのガラケーのオンラインショップで、
DeNAが行っていた「モバオク」があった。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


通信速度が遅くて、ガラケー画面に出てくる
主にアパレルの商品写真は
カクカクしていた。
(この表現では今の若い方にはわからないかも)


私は、未来を感じて


会社に勤める傍ら、副業
モバオクで洋服を売ることにした。


密かに自分の会社を設立し、
本業で行った台湾出張の空き時間に
洋服を縫ってくれる業者さん2か所を訪問し
よさそうな方と業務提携した。


モバオクで売れている洋服の写真を
台湾のお裁縫やさんに送り、
それと同じ生地とデザインで
同じように製作してもらって
日本へ送ってもらっていた。


DeNAという会社は、
今では野球チームさえも所有して、
知らない人はいない会社だが、


20年前は、一般には知られていなかった。


私が不在中に、
勤務している会社の自分の机の直通電話番号に
電話がかかってきても、


「ディーエネー??というような名前の
会社から電話がありました。」
という伝言メモが置いてあるくらいの
そんな知名度だった。


ある日、私は、DeNAの本社での、
モバオクのテナント向けのセミナー
参加した。


綺麗なオフィスで、
紺色のスーツを着たスマートな若い男の方々が
立派な講堂のようなセミナールームに
連れて行ってくれた。



40分か50分のセミナーの後、
社長の南場さん
(DeNA創業者、
現会長の南場智子さん)
が紹介された。


南場さんは、今から思い出しても、
当時もそのままの風貌で、


(DeNAホームページからお写真拝借しました↑)


セミナー中はずっと
講堂の一番後ろの壁の前で、
他の社員と一緒に立ったままだった。


紹介されると、ずっと頭を下げながら
後の壁からセンターのステージにつくまで、
2回くらい腰も曲げて
ゆっくりお辞儀しながら出てきた。


20年も前のその光景を覚えているくらい
私にとっては印象的だった。


お話の内容も、私たちを「テナント様」と
呼んでくださって、
とっても謙虚で、今まで見たり
頭の中でイメージしがちな、
勝気な女性リーダー像と
全然違っていて、

とてもびっくりした


その頃、私は会社の営業部にいて、
とても狭い「世界」とも呼べないような
とても小さな金魚鉢の中で、
数字競争をしていた。



 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


自分のことを有能だと思っていて
自分にも人にも厳しかったし、
周りにもそういうタイプの
女性リーダーしかいなかった。


人としての温かさ
という言葉を使って、
諭してくれたんだろうと、
今となって気づく男性上司の話も、
「ばかみたい~」とスルーした。


人としての温かさを持ったその男性上司は、
私に、はっきりと
「お前が欠如しているところだよ」
ということは優しさから言わないから、


なんだか、話に具体性がなくて、
核の周りをぐるぐる回るような話で、


いったい何の話で、誰の話で、
いったい何が言いたいのかが
当時の私には全然わからなかった。


「私のことを言いたいのかな」と思っても、
だとしても私も納得できないし、
一生懸命やっているし、はっきりしないし、
抽象的過ぎて頭の中に
?マークしか浮かばなかった。


そういう当時の私から見て、
南場さんの頭を下げながらの登場は、
新鮮でびっくりしたのだ。



金魚鉢の会社に戻って、
この「びっくり話」をしたかったのだが、
なんせ秘密の副業なので、
会社内の誰にも、感動をシェアできなかった。


とは言え、
会社の本業も頑張っていたので、
会社以外の友達に話す暇もなかった。


副業を始めたのだって、
「仕事で認められることが一番大事」
と当時の自分は思っていながら、
でも「お金」も大事だよな、という、
たぶん迷いが出ていたからだろうか。


少しの間、洋服を売っていたが
台湾から送られてくる洋服に、
あからさまに生地を節約して
短い丈になっているものが
混じってくるようになった。


極めつけは、


オフショルのトレーナー生地の
黒のミニワンピの大人気商品のはずが、


生地が節約され小さいサイズで納品され、
単なるダボダボの
ダサい黒トレーナーになっていたこと。


 


 


 


 


 


 


 


クレームの電話が何本もかかってきて、
謝罪して返金したり、
毎日の発送作業などなどで、
イライラしていた私は、
同居の彼と毎日喧嘩になって、
ハッピーになれなかった。


モバオクはやめたし、
家族や彼と一緒の仕事をするのは、
今後一切しないと決めた。


あれから20年以上たって、
悲しいこともいろいろ体験し、
そんな傷の中から、
私の温度を持った心が生まれてきた。


 



 


 


 


 


 


 


 


 



20代から付き合ってきた
バセドー氏病という甲状腺機能亢進症を、
放射線治療で直したおかげで、


とても早かった脈拍が、正常になったのも、
性格変化に少し貢献していると思う。


体と心がつながっているのを体験した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


高市さんを見たときもいろいろ感じた。


政治の方針についてはいろいろ考え方があるし、
そことは関係なく、外見から伝わるものに、
共感するものがあった。


をアピールした雰囲気ではないけれど、
ウィッグ眉のタトゥをしていた。


随分前のテレビで、
「緊急事態の際に、
15分で身支度を整えられるように
練習した」と言っていたのを見た。


確かにその佇まいは、


かわいく見せたい♡
若見せして票がほしい♡とか、


そういう感情からずっと離れて、


本当にすぐ準備するために
仕様を変えているように見えた。


危機に直面した場合に、
評論家ではなく
当時者として仕事する気概が見えた。


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本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクをご明記いただけると幸いです。
http://bit.ly/4qn5s0k


感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。




もし心に響く部分がありましたら、
ぜひ引用元として、
このページの存在も添えて
伝えていただけたらと思います。







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インドネシアから、
毎朝の銀行口座のスクショとともに、
「幽霊が階段でスタッフを押した」
という一文が並んでいました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日は、
東南アジアでの宗教儀式などに絡む
具体的なエピソードをお話しながら、
考えや習慣が違う人々とのお付き合いについて
書かせて頂こうと思います。


「幽霊が階段でスタッフを押した」
「それ以外にも最近同じお店で、
不思議なことが起こっている」と
もし言われたら、あなたはどう思いますか?


日本だったら、きっと、


「私はスタッフから頭が悪くて
不安に脅かされがちな【情弱】だと
思われているのかな?」 

と不安になるかもしれませんよね。


あるいは、
dukun(ドゥクン。インドネシアの呪術師)
を呼んで現金払いしたことにして、


会社の現金をもらうつもりなのかな?
キックバックをもらうのかな?


と考えたりもします。


ですが、東南アジアでは時々
このような祈祷リクエストを
言われることがあります。


サラリーマンの時に
シンガポールで売上が下がった理由を
まじめに話してあっていた時に
「今年は、新年のドラゴンダンス
祈祷をしなかったからだ」
という話題になったこともあります。





ショッピングモールでは毎年、
ドラゴンダンス(獅子舞)を呼んで、
申込みをしたテナントのお店を回って
景気付けをしていきます。


お店の入り口に生の野菜をかけて
待っていると、ドラゴンが食べに来て、
お店の中を歩いて景気付けをしてくれます。


モール管理部からは上中下の3段階の値段の
御祈祷パッケージ案内があったりして、
会社が申込をして経費で支払います。


日本の営業会議で、
「新年の法人祈祷を今年しなかったので
売上が落ちた]と意見する人は
あまりいないと思いますが、
東南アジアでは、
そのようなこともたまにありました。


そんな言い訳を言える雰囲気にしていることに
自分にがっかりしたり、反省したりもしました。


そして、そちらに話が流れないように
「来年はちゃんと申込みをしようね」と
話題を切り上げたりしていました。


================




マレーシアでは、
2014年のマレーシア航空MH370失踪事件の時、
クアラルンプール国際空港で祈祷師が、
消えた飛行機を探すための儀式を行いました。

これは政府による「公式会見」ではなかったのですが、
大勢の記者団が見守る中で“公開儀式”をしました。

ココナッツや竹の棒、魚をとるかご(いけす)を
使って儀式を行って↓↓↓





それが、とてもなんというか
非科学的で笑ってしまう雰囲気でしたが、
世界の有力メディアで大きく報じられました。


墜落事件で各国記者が集まっている
KLIA空港で行ったため、
まるで政府公式会見に見間違うくらいに
話題になってしまいました。


この報道について、
マレーシア国内からも
「恥ずかしすぎる!」
「マレーシアが世界からバカにされる!」
との非難も多くありました。


さらには、
ここまでおかしなことをするということは、
逆に、この事件には政治的に
何か隠したいことがあるので、
あえてこんな突拍子もないパフォーマンスで、
気をそらせているのでは?
という陰謀論さえも出ました。


とは言え、このエピソードは、
こういった祈祷儀式が
マレーシアにも根付いているのを
表すものだと思います。


======================




マレーシアでは近隣諸国と比べて
イスラム教の戒律スタンダードがやや高く、


会社で食事会をするときには、
通常のレストランでチキン
メインメニューにするだけではなく、
イスラム教徒のハラルのケータリングを
レストラン内に設置する場合が
多いと思います。


レストランで出てくる、素敵なお皿に
ローズマリーとともに盛り付けられた
すてきなチキンよりも、



運ばれて、くちゃくちゃになった
銀色のビュッフェトレーのチキンに
行列しているムスリムのみんなを見てると、
それが
リクエスト以上のニーズだったのだと
認識しました。


ただ、あまりにこちら(私達)の方が
過敏に反応して頑張ってあわせても、
いろいろ支障が出やすいこともあった。


「なんでも【宗教】に絡めて騒げば、
自分たちの要求が通る」というふうな
雰囲気になってしまうと、
とっても困ってしまうので、


いつも淡々と振舞うようにしていて、
その方がうまくいくことが多かったと
個人的には感じています。


非公式な慣習のリクエストも
不正やコストのリスクを意識しつつも、
モチベーション低下や不信感につながるような
完全な否定はしないで、
受け入れた方が結果よくなりそうならば
淡々と受入れるときもあってもいいかなと、


前述した幽霊祓いは、経費でしました。


いくつかのレシートと、
dukun(呪術師)
儀式のビデオが送られてきました・・・・汗


 



本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクをご明記いただけると幸いです。
https://bit.ly/482H65h




感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。




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伝えていただけたらと思います。





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若い時に、こんなこと↓

















を伝えられても、




「うわ~~~~、いかにも~なメッセージ。」




とウンザリ思っていた。




そういうあなたは、できていたの?とも。




でも、計算式でみると、




貯金でも何でも、こういうものなんだろうなと




納得できる。





今日、若い皆さまにお伝えしたいことは、




以上です。








本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクをご明記いただけると幸いです。
http://bit.ly/4lUIydh




感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。




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Scene① あの頃、マスクが手に入らなかった。
それでも人々は、
「スタッフがマスクをしていないお店なんて論外」だ、
「高性能なN95でなければ感染を防ぐ効果がない」
「医療機関以外でも少なくとも 「サージカルマスク
は絶対だ。」と
企業や店舗に求めました。



実際の状況は、
ほとんどの転売ヤー達が
通常の10倍の仕入れ値を覚悟しても

手に入れることが
できなくなってきていました。


私は、その頃、ある会社から
「マスク、どこかで調達できない?」
と聞かれました。


海外関連実務をしているので、こんな時こそ
「頑張ってここは何とかしないと」
と私は思いました。


そうしないと店舗に支障が出てしまうので
とにもかくにも、何とかしないと!
と思ったのです。

そこから始まったのが、
マスク売買に明け暮れた3週間でした。


この騒動を通して、


私は社会に潜む、
矛盾した「感情」と対面しました。

「感情」が「事実」を上回ることも
学びました。


正しさの沼が社会に広がっていると感じました。
人々の「一面的な正しさ」や、
矛盾した願い」に
企業が押し潰されそうになっているのを感じました。


それはあの春だけの話ではなく
今もなお、違う形で、
対企業以外にも様々な場面に顔を出します。


今日は、
その体験を
書いてみたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


Scene②「マスクがない」は、
通用しない


マスクは世界中から簡単には探せなくなっていても、
お店を営業するなら、
「マスクがない」は、通用しなかった。

顔につけていないだけで非難され、
会社の信用も失われかねない。


コロナ感染防止効果が 布マスクにはない、
という事実とは関係なく、


 


人々が、「布マスクでもいいよね
という 感情にシフトするまでは、
サージカルマスクを買うために探した。


こういう時のこういう商品は、詐欺ばかりで、
お金を払っても納品されないなどは
当たり前すぎる
支払い前に納品してくれること
を条件に いろいろなルートで探した。 


そんな都合のいい業者が、世界中どこにいるのか?
でも、いた。必死に探した。ついに見つけた。

私は合計500万円分のマスクを仕入れた。

 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


Scene③


「私達はそのような不正ビジネスの
お手伝いはできません!」

初めての取引にもかかわらず、
商品が支払い前に届いた。


すぐに銀行に支払いに行った。


窓口でいろいろ細かく聞かれたので、
請求書を見せたところ、
購入商品がマスクだということを
窓口の若い女性が知った。


その瞬間、彼女は目を見開いて、大声でいきなり、


「私達はそのような
不正ビジネスのお手伝いはできません!」
とヒステリックに言った。



私は、転売で稼ぎたくてこんなに必死で
数日間走り回っているわけでもないし、

理解されがたいのは承知だけれど、

私なりの立場があり
正義もありでやっているので


「そんなに余計な一言
(不正ビジネス)
を添えて、
大声でしかりつけなくてもいいじゃない!
中国に送金するわけじゃないのに!」


私は、心の中で憤慨した。


が、顔に出さずに黙って退散し、
10分後には違う方法で送金した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


Scene④「あんまりやりすぎちゃうのもアレだし、 いらない」

私の手に入れたマスクは、
その時の相場感では完全に安い方だったし、
すでに納品されているし、

すぐに、その探していた会社に報告した。


、驚いたことに、
「あんまりやりすぎちゃうのもアレだし、いらない」
という、よくわからない言葉で
買ってもらえなくなった。
布マスクを買うらしい。
 


こういう生ものの件で、
通常の決裁をする時間もなく
よく知っている会社だったので急いだのだが、

なんちゃって役員

ラインに会話が残っているだけで
PDFの約束書面はなかった。

なんちゃってはすぐ逃げるだろうから、
騒ぐよりも、早く他の売り先を探すことにした。


相手を見ないで動いたのは、ミスだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


Scene⑤


「良心はおありですか?」
なんとか売り先を見つけようと、
オークションに出品した。

すると、出品した瞬間に取り消された。


何度も繰り返してやってみたが、
出品と同時に何人にも報告されて、
出品がブロック
される。
その瞬殺具合から、彼らの怒りが伝わってくる。



 


「良心はおありですか?」
という慇懃なメッセージが、
画面に残っていた。


私には、良心があった。
「営業を止めたくない」
「現場を守りたい」

そのために奔走した自分の良心を、
私は信じていた。


「良心がおあり」なので、
仕入れ値で出している。

でも、世の中は
「マスクを売る人=悪」と定義した。


マスクがないことが分かっている時にも、
マスクをしていない店舗スタッフを責めるから
マスクを仕入れたのだ。


「完璧な衛生対策をして」
「でも値段は上げないで」
「倫理にも完璧でいて」


……企業は魔法使いにならないといけないな。
数か月分も備品を在庫で抱える経営を
みんなは望んでいるということなのか。

誰がどんな風に仕入れて、
どうリスクを背負ったかなんて、
誰も想像していないように感じた。


みなし転売ヤ―となった私は
マスク在庫を抱え、 みんなが望んだとおり
”ざまあみろの状態”になった。


私は損失を政府や誰かに補償してほしいと
願ったことはないし、
ただ、ほしい人に 仕入れ値で
買ってほしいだけだった。


でも、その手段も奪われてしまった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene⑥ 私の大金500万円

知り合い達に「マスク売ってくれない?」
と頼んだ。

優しい友人たちは
本当に一生懸命に動いてくれた。

「今日ね、10箱売れたよ!」
そんな報告がうれしくて、
心が救われた。

でも、私は同時に気づいていた。

「このままでは終わらない……
    あと495万円分ある……」


やさしさは尊くてありがたい。
でも、それだけでは救えない現実もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene⑦ 謎の人たち、朝飯前

そこで私は2人の“なんだかすごい人”
同時にラインした。


情報商材屋さんのような胡散臭さではなく、
むしろ、寡黙なミステリアスな実力者タイプ。


ひとりからはラインした直後、
売り先があるよと返信があった。


そのため、もうひとりに
「もう大丈夫です」と伝えたら、
その方も、すでに新幹線でその日、
売り先に会いにアポを既にとったとのことで
在庫の半分をお願いすることになった。

その方々にとっては、朝飯前すぎのようだ。

こうして私のマスク在庫はなくなった。

それがありがたくて、
私も、自分なりの力を
磨いていくようにしている。

それが、誰かを助けるための、
奇妙な方法になるかもしれないから。

 
後日、マスクを数社に直納したが
みんなある程度の規模の会社だった。

このとき、
人々の「一面的な正しさ」や「矛盾した願い」に
企業も必死に、
こたえようとしているのを感じた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene⑧ 今思えば、

ここまで書いた人々の正義感は、
私は、もちろん理解できます。


オークション画面の前に
複数名がスタンバイしてガードして、


マスク出品を瞬時ブロックしていたのは、
素晴らしいことだと思うし、
私も通常はそちら側に共感する人間です。


ですが立場が変われば、
反対の理由もそれなりにあると思いました。


世の中の現実の中では、
それぞれの立場の正義が
両立できない場合
が、
ほとんどであると思いますが、


そうした批判や声があるからこそ、
少しずつでも理想に近づいていけたり、


一面的でも、それが繰り返されることで、
透明性が増したり、 改善が進んだりすると思います。


そういうわけで、私はこのマスク紛争記により、

転売する人も何かの役に立っていて、


不思議な仲介者も何かの役に立っていて、



一面的視野の正義を主張する人も役に立っていて、


 


結局みんな役に立っているので、


あまりお互いに対して
過剰に批判的にならないでいたいな、


そう考えるようになりました。



 


本記事の内容を引用・ご紹介いただく際は、
出典として下記リンクをご明記いただけると幸いです。
https://bit.ly/44J7XkB


感じ方や言葉の紡ぎ方には、
その人だけの色があります。


もし心に響く部分がありましたら、
ぜひ引用元として、

このページの存在も添えて
伝えていただけたらと思います。







 






こちら












こちら    














こちら


「人間の二面性」に直面してびっくりしたり
ショックを受けたり、それを憎んだり、
達観しすぎてクールになりすぎたり、
そういう過剰反応をやめたら楽になったよ
という話を、

 

今日は、
先週(2025年6月)に行ったパリの旅とを交えて
お話したいと思います。

 

"Je suis la plaie et le couteau,
Je suis le soufflet et la joue,
Je suis les membres et la roue,
Et la victime et le bourreau.”
訳)
わたしは傷口であり、同時にそのナイフでもある
わたしは平手打ちであり、同時にそのほおでもある
わたしは手足であり、同時に車輪(拷問器具)でもある
そしてわたしは犠牲者であり、同時に処刑人でもある

 

 

仏文学科の大学生だった私は、
テニスもスキーもするフワフワなサークルや
バイトもいろいろしたりと、勉学に励まず
フランス語は全然できないままだったが、
進級はして、大学3年になっていた。

 

 

フランス語の発音を独特の口元で、
上品に教える姿がかわいい
金子教授の
ものまねを、
学生間でしていたりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その教授の講義で、
3年と4年を通して、週に何日も
シャルル・ボードレール
『悪の華(Les Fleurs du Mal)』
を読んだ。

 

横浜の金沢八景の公立大学は、
年に25万円の学費だったが、

設備のしっかりした教授の部屋で、
赤茶の素敵な一本木のテーブルに本を広げて
7、8名の学生が授業を受けていた。

 

 

 

 

 

 

その時に初めて、ボードレールに出会い、
その”洞察力”に、
無垢な私はとても興味を持った。

 


先ほどの詩の本質は「人間の二面性

  • 私達は、被害者にも加害者にもなりうる

  • 傷つきながら、誰かを傷つけてしまう

  • 善と悪、美と醜、愛と憎しみが、
    すべて自分の中に同居している
     

人間という存在の矛盾と悲しみと深さ
切り出されているように見えた。

 

 


私はまだ社会経験もない甘ちゃんで、
実体験と特に結びついていないからこそ
そんな文章を読んでも痛みはなく
鋭さがとても面白く感じて読んでいた。

 

 

エロスについても、20年間同棲したり
離れて生活したりしながら付き合い続けた
エキゾチックなハイチ系の舞台女優のことを
黒いヴィーナス」「のような魅力」、
快楽と腐敗を運ぶ存在」「堕落の象徴
と書いた。

 

 

 

最後はボードレールは梅毒で亡くなった。

 

 

 

 

 

 

この「悪の華」は
 1857年に発表。
(日本の幕末頃。ペリーが来たのが1853年)

● モラルに反するという理由で、
  6篇が発禁処分に(のちに復活)

● 社会からの非難と称賛が同時に寄せられた

 

という、話題作品で、
パリでの都市生活の憂鬱
アブサンという幻覚作用ありの
緑の悪魔と呼ばれたお酒※のこと

などが書いてある。

 

 

 

※ 現在は成分調整されて
成城石井などでも販売されている。

 

 

ボードレールの生い立ちが独特で、
実の父親が6歳の時に亡くなり、
母親(美人で知的)が厳格な軍人と再婚し、
この継父のことをボードレールは嫌って、
家庭内で孤立していた。

 

 

名門高校で成績は優秀だったのだけれど、
実のお父さんの遺産で、
芸術家や詩人たちと、アブサンを飲んで
娼館で遊んだり美術と恋愛に没頭したりした。

 

 

それが、この継父により、
財産管理を制限されて、
成年後見人付きの、

勝手にお金を使えない状態に置かれ、
これにずっと屈辱と窮屈を感じて反発していた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その後、実社会に出た私は、

こういうアンニュイなボードレール自身の
洞察力に影響されてか、

人間や物事の裏側をあえて
一生懸命見ようとしていたように思う。

 

 

 

そして、それが自分の鋭さだと思い、
{なんでみんな気が付かないんだろう}
イライラしたりした。

 

そして何十年も働いている間、

たくさんの人々にふれ、年を取るにつれ、

疑いではなく
理解しようとするまなざし
が大事なのでは、と思うようになった。

 

分析ばかりするのではなく
信じて共に生きようとする姿勢」が
大事なのでは、と思うようにもなった。

 

そうするとうまく行くことも多くなった。

 

だから今度パリに行ったら、もう
ボードレールにはお別れを言いに行こう
そう思っていた。

 

私は、サン・ラザール駅
すぐ隣のホテルに泊った。


 

 

(↑モネ「サン・ラザール駅」
マネ「鉄道」)

 

 

ボードレールの詩の中にも
サン・ラザール駅が何度か出てきた。
そこからボードレールの眠る
モンパルナス墓地に行くには、
地下鉄13号線1本で行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンパルナス・ビヤンヴニュ駅
(Montparnasse – Bienvenüe)で降りたら
当時の退廃詩人や画家、思想家たちが集まる
モダンな場所ーモンパルナスの丘として、
教授のお部屋で想像していたものよりも
普通の雑多な印象がした。

 

 

道に沿って、緩やかな坂を歩いていくと
緑が多くなってきた。墓地が見えた。

 

 

 

お墓の入り口に、著名人の墓地の場所が
記されたマップがあった。


 

 

 

ボードレールは、6区画のBCエリアにいる!↓

 

 

 

 

 

 


 

 

道を進んで6区画まで来た。
そのあと、お墓をひとつずつ見ていって、

やっと見つけた!




 

 

 

 

 

 

 

 

見つけにくかったのは、
ボードレールの名前よりも
継父の名前が上に書いてあったから。

 

あんなに嫌っていた厳格で頑固な継父と、
その父と再婚して、
ボードレールに孤独を与えた母と、
結局亡くなった後は、こうして、
同じお墓に眠るボードレールは、
どう感じているんだろう、
そう思った。

 

 

ボードレールは晩年になって、
辛辣さよりも、
愛を見つめるようになってきていた。
だから、このお墓の結末に関しても
皮肉だねと笑っているかな。

 

ボードレールの名前のところに
こんなにたくさん参拝者のキスマーク💋
💋愛と官能と破滅💋を詩にした人だから
それも似合っている💋

彼が晩年にいったこと。

"Aimer, c’est voir un ange dans un démon,
ou un démon dans un ange."


愛するとは、天使の中に悪魔を、
悪魔の中に天使を見ることだ。

 

つまり、

 

人の中に光と影の両方を見つめながらも、
それでも愛を選ぶこと。

 

 

 

私は、お墓の前でつぶやいたんだ。

 

 

Merci, Charles.
Vous avez vu nos ombres, mais aussi nos lumières.

 

ありがとう、シャルル。
あなたは私たちの影だけでなく、光も見てくれた。

 

 

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どんな会社でも、国の政治でも、
前任者のしたことを全否定
することで、
自分の存在感を出す人々は多くて、
それは、
自分の優位性を示したいとか
自分の色を残したいという、
人間の自然な欲求だとは思うので、


会社くらいの規模の中でそれをするのは
理解できます。


自分のメンツやお金の為
闘うことは悪いことではないし、
民間でなら、
頑張ってやっていくのも
理解できます。
そういうことが大事な場合は、
民間で思いっきりやっていけば
いいと思います。


ですが「国の政治」の中で
プロジェクトの良しあしではなく、
「他の人が始めたプロジェクト」だから、
ということで、途中でやめたり、
自分色を出せるまで
遅らせたりするのは、


国民の税金から成り立った財源と時間を
気が遠くなるくらい無駄にする。


今日は、
マレーシアの例をあげて
お話しようと思います。

2015年、当時のナジブ首相は、
国家財政の安定化を目的として、
GST(物品・サービス税)を導入しました。
日本の消費税に似た仕組みで、
すべての取引に6%の課税を行い、
税収の透明性と持続性を
高めることが狙いで導入されました。

ところが2018年、
マハティール元首相が再選され
復帰すると、
このGSTを「ナジブ色の象徴」として扱い、
政権発足からわずか1か月後には
ゼロ税率化、
さらに数か月後には正式に廃止し、
以前自分が導入していた
SST(売上・サービス税)

戻しました。

SSTというのは、
業種によって会社に課せられる税で、
GSTよりも
課税対象が狭くわかりにくく、


さらに問題なのは、
会社からの申告ベースで
透明性に欠けるため、
結果的に税収は大きく減少し、
国の財政にはマイナスに
働いたと言われています。

  • GSTの税収(2017年):約440億リンギット

  • SSTの税収(2019年):約270億リンギット

このように、
約60%の税収に減ってしまいました。
徴収についても不公平感が残りました。


GSTの方が公平で効率的という
評価があるにもかかわらず、
廃止されたのです。

そして、もうひとつ、
マレーシアで象徴的だったのが、
シンガポール
マレーシアの首都クアラルンプールを結ぶ
高速鉄道(HSR)の

プロジェクトです。

この構想は、2000年代後半に
マレーシア側(ナジブ首相)から
提案され

2013年には
シンガポールとの間で
正式に合意されました。


350kmの距離を90分で結ぶという
このプロジェクトは、
両国の経済的な統合を促進する
画期的なインフラ計画
されていました。

その後、2016年には
二国間協定も結ばれ、
2026年の開業を目指して
準備が進められていました。


ところがやはり2018年、
再び首相となった
マハティール首相は、
このプロジェクトについて
「高すぎる」
「財政を圧迫する」として
再検討を表明し、
同年に一旦中止を発表
GSTの廃止と同じ年 。)


その後、国際的な反響や
シンガポールとの協議を受けて
「中止ではなく延期」と
言い直されましたが、
最終的には2021年
正式に中止が決定されました。

これにより、マレーシア政府は
シンガポール政府に対して補償金
(約1億シンガポールドル≒110億円
を支払うことになり、


10年以上かけて進められた
調査・設計・交渉に費やされた
膨大なリソースは、
宙に浮いたままとなってしまいました。

そして2024年、アンワル首相のもと、
やっとまた、まともに
再検討されているところです。


この2つの事例(税金の件と鉄道の件)は、
様々な知識量の差、見識や
物の見方や考え方の相違はある中でも、
明らかに政策的にどちらがよかったかは
わかりやすい事例だと思いました。


前任者の色や貢献度を消したい、
自分の優位性を出したいという気持ちは
うまく利用すれば、自分の人生や、
人類の発展につながりますが


国の政治の政策やプロジェクトでは、
人々の財源と時間を
あまりにも膨大に浪費することもある。


政治家も同じく人間なので、
気持ちはよくわかるし、
そういう方々は民間だったら
きっとチャーミングな場合も多いかも、
とは思いますが、


でも、それ、
国でやるのは高くつきすぎる。

国の未来のためには、
「誰がやったか」ではなく、
「何が残るか」で選んでほしい。

選挙で勝ち抜いた人々は、
「そんなかんじじゃ、
政治の世界では負けちゃうよ」と
思うのかもしれない。


~~~~~~~~~~~~~~~


人は、自分の足跡を残したくて、
誰かの足跡を消してしまうことがある。

でもそれは・・・
思っているほど格好良くは見えないです。

~~~~~~~~~~~~~~~


 

 

 

 

 



こちら


 




こちら



こちら




ドバイ案件という言葉、面白いですね。
シンガポールでも、
ドバイに旅行でついていく女の子
(マレー系やMix系が好まれていた)の話は
ずうっと昔から。



帰ってきて、カフェで冗談っぽく
札束で顔を仰いでいるのを
本当に目にしたりしました。


赤面する小説エッセイを、ずうーっと昔、
書いたのを思い出し、修正しないで、
ここにリンクを置いておこうと思います。


各エピソードの1番下に、
次のエピソードへのリンクがあります。
エピソード5まで。
⇒こちらから





こちら


 




こちら



こちら






私の家は「お墓ビュー」です。


何年も前のお部屋内覧のときに
窓から外(お墓)を見ている私の様子に、
不動産屋さんは無言のままで
フォローもできずに不安そうでした。


ですが、一本大きな桜の木があり、
その桜の木によって
マイナスを緩和する以上の魅力が
私にとっては感じられて、
私はその「お墓ビュー」の部屋を
逆に気にいりました。


桜の時期はもちろんですが、


初夏から夏へのふっさふさの緑、


 


 


 


 


 


 


赤と茶の混じった紅葉、


 


 


 


 


 


 


完璧な枯れ木の「かれた」風景、


 


 


 


 


 


 


それぞれがとても素敵で、
自分のものではなくても
毎朝部屋から眺めている
自慢の美しい桜ちゃんだ。


今年2025年は3月24日が
東京の開花予想時期。


その1週間前という、
「植物にとってはありえないタイミング」で、
大きな枝が大胆に切りそろえられてしまった。
たぶん人間同士のトラブルによって。


そのお寺とマンションの間に細い道があり、
その道は、お寺の敷地のもので
お墓参りの参拝者専用ですが、
奥に数軒、家があり
袋地になっているので
その住民の方、数名だけが
通行したりします。


そこにそれ以外の外部の人が
一歩でも入らないように
チェーンやコーンが置かれて
お寺によって死守されています。


そのたたずまいや貼り紙などから
土地の境界への相当なこだわりが、
感じられます。
自分の桜も、
文句を言われないように
これみよがしに開花の前に
大きく切ってしまったよう。


不動産の権利を
「登記上」もめているなら
話は変わってくると思いますが、
そういう話ではなくて、


実生活で他の人がちょっとでも得するのを
必死に防いで、
そのために長年積み上げて
花を咲かせている自分の木を傷つけている。


私が、
借景を無料で楽しめなくなったのが、
悲しいというよりも、


ぱっくりとまだ白々しい桜ちゃんの切り口が
痛々しくて見ていられない。


 


 


 


 


 


 


 


人間がとっても愚かだと思った。


達観した、できた人間を装って
こんなそれらしい言葉を吐いて
悦に入っているのではないの。


本当に愚かさの犠牲になっている
痛々しい断面を前に、
本当にそう思ったんだ。


自分が幸せになるためではなく
他人が幸せにならないために
喧嘩している。


桜ちゃん、今年も咲いてね。
無言のまま咲こうとしている桜ちゃんを
私は応援している。








こちら


 




こちら



こちら