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とある総合内科医の苦悩

ある関西の中小病院で働く総合内科医の独り言です。
ちょっと毒もありますがご注意ください。

京都のとある病院で感染症と総合診療と時々リウマチを学んで過ごしています。


※なお、原則的に医療的な内容の相談はいっさい御受けしません。

自分自身を売り込もうとするときにブランディングしようとする人もいますが、果たしてそれは本当に良い事かどうかは疑問です。

経験を積むにつれて、時に人は何かを手に入れる。または手に入れたような気になって大切な何かを無くしてしまうのかもしれません。

ぼくは自分自身をブランド化していくというかすごく見せようということにはあまり興味がなくなってきました。

それよりも一つのところでコツコツ診療して行くことが自分の性には合っているようです。

昔は目立ちたがりだったですが、最近はどちらかというと地味に生きていこうと思います。
検査を担当している先生方にお願いがあります。

それは検査の前処置を変更するのであればぜひとも検査に関わる人たちだけではなく、病院全体のことを考えてください。

前処置の変更をするのであれば、病棟や外来での検査の手順はこのようにしますという周知が必要ですし、院内にマニュアルがあるのであればそれは必ず改訂してから行う方がよいです。

今日はとあることで患者さんに不利益な結果になってしまいました。

しかも、患者さんがもし難しければ日を改めてと言っているのに強引に希望しない方法でやるのであれば、それはあまりにも身勝手な振る舞いだと思います。

検査をこちらが頼んでいるとはいえ、患者さん目線で検査をお願いしたいと強く思います。
医学教育の中ではおそらく大きな誤解があります。

それは「いい研修」を受けられる状況にいけば「いい医師」になれるという幻想だ。

そして、それは「いい医師」というのは一般的には「たくさんの知識と技術をもった医師」に過ぎないということ。

だいたい「いい教育」・・質のよい講義やレクチャーを受けてくれば医学部に入る確率は高くなる。

その大学受験のノリでいるもんだから「いい研修」という幻想にとらわれている。

そんなもの探しているひまがあったら他の分野にいく同世代の友人や社会的に困っている人たちの支援など、大学生のうちの今しかできないものをした方がいい。

おおむね「いい医師」とされる患者さんや他の医療従事者からの評価は知識や技術ではなく、コミュニケーション能力であったり、ヒューマニティーの部分であったりする。

医師側からとみた医師と患者側からみた医師とがもっともっとあわさって行かないとイケナイのだとそう思います。