私は自己肯定感が低めなのでみんなより劣っていることを自ら主張しがちで「私はこれ苦手だから」といろんなことを決めつけてきた。
運転ひとつとっても、免許をとってすぐ慣れない運転を繰り返していた頃に母に下手だ、運転するなと言われ、自分は下手なんだと思い込んで10年弱やらずにいたが、いざやってみたら普通にできたし、やらないと怖かったものがやってみたら楽しかった。
運転と同じように、潜在的に勝手に苦手だと思っていたことで、はなからあきらめてきたことが私のこれまでの人生にはたくさんあったように思う。
でも最近「人には得意不得意があって、自分の不得意は誰かの得意で、自分の得意は誰かの不得意」「自分の良し悪しを人に決められる必要はない」と思えるようになってから割と「私はこれが得意です」と頭にプラスな言葉を持って来られることが増えた気がしている。
その思考に至ったきっかけはいくつかあるけれど、その中のひとつがここ最近だだハマりしてるcreepy nutsの影響だなと週末彼らのライブに行って改めて感じた。
(私が全力で愛する松永の薄い見た目に反した複雑な中身やエロい指先について、私の家族の中で“R教”と呼ばれるほど素晴らしいR指定のMCの話など、彼らの魅力はいくつもあって語り尽くせないので何回かに分けたいと思う)
ことあるごとに彼らは、自分達はクラスでも目立たない存在で、歌詞にできるようなドラマチックな出来事も何もなく、ごくごく普通の人生を送ってきたけど、そんな中でも社会の期待を受けながら自分達が何かに抑えつけられていたもの、伝えたかったけど伝えられなかったこと、そんな、そもそもの自分達の価値観や思想みたいなものを自分達なりにやりたいように表現できる方法をHIPHOPに出会ってやっと手に入れ、それが今生業になっている、というような類の話をしている。
そして歌詞やメッセージ、いろんなところでそんな想いがリンクしてくるから話を聞くたびに、曲を聞くたびに、あぁきっと私にも謙遜も背伸びもしなくていいぴったりななにかがあって、それはみんなと一緒じゃなくてよくて、それに出会えたら2人みたいにめちゃくちゃ楽しいんだろうな、自分の大好きな場所や手法を生業って呼べるようになるんだろうなと思うようになった。
2年前、私が初めてcreepy nutsに出会った代表的なこの曲も、まさにそんな歌だなと。
よく考えもせず、こうすることが当たり前、というよくわからない常識や他人の意見に頼りながら生きてきたから、「生まれてこの方一体いくつ分岐点を見過ごして来たんだろうか?墓場に入るまで後一体いくつ可能性の芽を摘んでしまうだろうか?」という歌詞にハッとした。
墓場に入るまでチャンスはあると思ったらそれに気づいた今からでも、私も「時がきたらかませ」るように、毎日意味のある時間を過ごしていきたいと思った。
そして、いつか私に子供が生まれたら、そう伝えたいと思う。特別じゃなくていい、秀でてなくていい、人より偉くなくていい、人と違っていい。
だからこそ、自分の根っこにある想いだけは怖がらずに忘れずに自分の好きなやり方で外に出し続けてほしい。
全ては自分次第だから。
「かつて天才だった俺たちへ」
苦手だとか怖いとか気づかなければ俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか思わなけりゃきっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃずっとコマつきのチャリをこいでた
力が弱いとか鈍臭いとか知らなきゃ俺が地球を守ってた
破り捨てたあの落書きや似合わないと言われた髪型
うろ覚えの下手くそな歌が世界を変えたかも…
かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて見る影も無い
いまだかつてないほど入り組んだway
悩めるだけ悩め
時が来たらかませ
風まかせ
どっちみちいばらのway
俺らは大器晩成
時が来たらかませ