昨日は次女と二人で公園と海に行きました


海でヤドカリをたくさん見つけて遊んでるこの景色




ここは楽園だ〜


って思う


今、ここに居る瞬間


幸せと感謝しかない。




最近、私の中で常に意識して確認してるのは


どんな些細な会話でも


自分が発する言葉に「愛」があったかどうか


自分のエゴや恐れではなく相手の事を思っての愛で話したか、話してるか




真の親塾の講師の方との出会いから今に至るまでに経験、失敗をして学ばせてもらい



私は自分が精神的に成長していなかった事に気づかされました。


精神的に未熟な私が子育てしてきたんだなって



子どもが感情をぶつけてきたら

私も感情的になって腹を立ててぶつけ返す



子どもじゃん



肉体だけ成長しただけで

精神は子どものまま



小さい頃、私が癇癪起こした時

周りはうんざりしたり怒ったり、、


そんな記憶があります。



子どもが泣いたり怒ったり暴れたり騒いだり

そうなると

大人もイライラして感情的になる



逆に感情に蓋をしてる人は、そんな行動さえも

イライラはしなくて受け流してる無関心の場合もある




感情的になるのも無関心なのもどっちにしても

「愛」ではない



「愛」は相手の幸せのために発するもの


自分のエゴや恐れや不安からのものではない




同じ言葉でも

愛から発する言葉とエゴや恐れから発する言葉では全然違う



確認し始めてから

私は日常でエゴや恐れで言ってる事が多かったな〜って反省しました。




家族との会話で

話しながら、あれ?これは私のエゴや恐れで話してるだけだ、、って気づく事も


今までは、そんな気づく余裕なく

とにかく私の事を分かってほしいでぶつけてきたんだな。




4歳の次女の癇癪に私も同じようにイライラして返してるうちは

私は精神的に成長した大人ではない



どんな感情をぶつけてきても

次女は、今どんな思いなんだろう?って観察して

次女の幸せを思って

私は愛で返す




癇癪中の次女を見てたら私も小さい頃そうだったなって思って

「ママも小さい頃、暴れて泣いて、みんな嫌いって叫んでたんよ〜」

って話したら、急に顔が変わって

ギュッて抱きしめてきました。



愛で返した時

次女の行動が変わり始める

それを体験させてもらってます




真の親塾の講師の方が

相手の事を思って本音で伝えてくれるから

魂に響き、変わりたいって本気で思って行動を変えようとすることと同じなんだなって思う

その本音は、変わりたくない人からしたら耳が痛くて受け入れれない場合もあるし、腹を立てる人もいる、本当の自分に蓋をしていたら時間が経ってから気付く人もいるし気付かないままの人もいる





私は

自分を成長させて精神的に大人になった自分で生きたい


家族や周りの人のおかげで

成長する機会をたくさん頂いてる事がありがたいです。






今日も

あの有名なCMのように、、


「そこに愛はあるんか?」と

自問自答します♡





ゆき