国府台遺跡見学 | B級せいかつ わんだーらんど

B級せいかつ わんだーらんど

しがないB級な日々をトボトボ綴った、B級ブログ。ラーメン→時々、映画→時々、ミリタリー→時々、アニメ→時々、チェンクロ→時々

6/3(土)PM1:30
週末のセカンドハウス(笑)弟宅の真裏。
弥生時代の竪穴式住居等の遺跡が出土したというので、見学会が開かれております!
歩いて10秒(笑)なので、行ってまいりました。
団地が建っていただけあって、けっこう広い・・・。
長い溝は側溝、中央の広いところが道路跡、一番低くて、穴が幾つもあいているところが弥生時代の竪穴式住居跡。だいたい2軒1組との説明がありました。
所々の穴は、いわずもがですが柱を立てるためのもの。
もう1つの側溝。
道路や住居群は向こうの住宅や市川国府台野球場の方まで続いている様子だそうです。
なんと、昭和の団地の基礎と、
明治時代の砲兵連隊の兵舎の基礎と、
奈良平安時代の下総国府国庁の基礎が混在とか・・・。
今のところ出てきたもの。
欠片ばかり。
たぶんゴミのようなものらしい。
もう少し調べるそうです。
ここから歩いて10分くらいの近所の市川下北遺跡からこんなものも出ているそうで。
考えてみれば、
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際、コウノトリに導かれて、
陣を張ったのがこの真間山の台地だそうで、
『鴻之台』の当て字で『国府台』となるとか、
ここには結構、物凄い伝説もあります。

また、幕末には新政府軍と新撰組がどっ突きあったところでもあり、
勝海舟がここに国家議事堂を建てるよう進言した場所でもあり、

確かに、いつ見てもJRの江戸川の鉄橋を渡る際に望むこの台地は、
相当に威厳に充ちた要害に見えなくもないです。