ウクライナ戦争を理由に、NATOはロシアにミサイル、もしくは核兵器を撃とうとしています。

NATOは1949年に設立し、もともとソビエトに対抗するために生まれた軍事同盟だそうです。

ミサイルを撃てば兵士だけでなく、一般市民も巻き込まれジェノサイドになり、違反になるのではないのでしょうか。

NATOがウクライナに対して行っているのは

・武器の提供
・資金の調達
・ウクライナ兵士の訓練

 


とにかく世界のどこかで戦争の話が絶えず、この地球は一体どこへ向かうのかと思うばかりです。

そんな中、世界の皆さんに知ってほしい話が配信されました。

 


先日、スロバキアのフィッツオ首相が銃撃(暗殺未遂)され被弾、一命をとりとめました。

普通なら死刑もしくは終身刑に罰せられてもおかしくありません。

しかしフィッツオ首相は

「私がいますることは赦すこと、彼を刑事訴追しない」

と発言しました。

彼はクリスチャンでLGBT・移民政策に反対し、家族の価値を大切にされている首相です。

国内ではヒーローと呼ばれており、このような方がいる限り世界自分の利益だけをもTメタは滅びないと希望となっています。

クリスチャンが持つ心の強さを感じると共に、そうでない日本の首相の外圧に流される弱さを感じました。

WHOに抵抗する方、原口一博議員、プーチン大統領、トランプ大統領、政治家を職業とする方は命を懸けれる方ができる仕事だと思います。

自分の利益だけを求めた議員がはびこってしまったことで今の日本が存在しています。

あらためて投票の大切さを感じますね。

これまでクリスチャンを公表する立候補者がいましたが、ことごとく落選してきました。

しかし、神道、仏教を信じていた議員が変わりクリスチャン議員が増えたらどんな国になるか見てみたいです。


スロバキアのフィッツオ首相が見せた「赦す力」

これはも日本に必要な教えです。


僕が、聖書から最初に学んだのも「悪霊の存在」「赦し」でした。

世間では被害者になると「絶対許さない」「同じ目に合わせてやる」そんな思いでいっぱいになると思います。私も事故当初は加害者を憎み、恨み、殺してやりたいと思っていました。しかし今はイエス様を受け入れ、聖霊のバプテスマを受けて悪霊と戦い、赦す力を得た事で、私の憎しみは消え、加害者を赦すことができ、和解へと導かれました。

フィッツオ首相がなぜ赦すか、それは撃った人の後ろにいる悪霊の存在を知っているからでしょう。


あなたを悩ませ苦しめてきたのは、目に見える人間や体に現れる病気、立ちはだかる現実問題だと思ってきたかもしれませんが、目の前の人は敵ではなく、私達の本当の敵はサタン、悪霊です。全ての問題を引き起こしているのは悪霊であることを知って下さい。

この世は、聖霊対悪霊の戦いです。

悪霊は人間を地獄に道連れにしようと、ありとあらゆるものを使い攻撃をしてきます。

サタンの目的は、人間をだまし、苦しめ、争わせ、盗み、殺し、滅ぼす事です。

私達の敵はDSではなく、「DSをとらえている悪霊」なのです。

そして敵の存在を見極め、戦う力が必要なのです。


エペソ人への手紙6:10~20
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。
 

アーメン。

国のトップが、選択を間違えないように、何を基準にするのかで進む道が決まります。

自分の価値観、基準、プライドで道を間違えないように、世界のベストセラーである『聖書』を基準として、国を建て上げることを祈ります。

日常生活でもそうですが、自分達の主張ばかりを言わないで、お互いが歩み思いやること、それが和解の糸口となるのではないでしょうか。

ぶつかり合い憎しみあうのではなく、お互いに赦しあい、「平和のきずなで結ばれて一つになる」こと、平和が広がる世の中が皆さんの本心でしょう。


エペソ人への手紙2:14~17
キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。

エペソ人への手紙4:1~6
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。


アーメン。

台湾有事もささやかれる中、被爆国日本は参戦するのではなく中立に立ち終戦させる側に立つべきです。

そうでなければ世界平和を軽々しく言うな


聖書は人にとって何が大事かを教えている事を知っていただきたいと思います。


テモテ人への第二の手紙3:16~17
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。

アーメン。


聖書は宗教本ではなく、人間が知るべき神の真理の言葉であり、神の力が書かれた本です。

そして、神の言葉は生きており日常の中に成就しているのです。

聖書は神からのラブレターであり、人生にとってかけがえのない書物です。

この世で生きていく中で起こる災難や悩みの解決法や、これから起こることを教えてくれる預言の書物でもあります。

戦争が生み出したのは《多くの犠牲者、悲しみ、苦しみ、憎しみ、恨み》です。

二度と起こしてはいけないからこそ「無条件の赦し」を皆さんに知っていただきたいです。


ローマ人への手紙14:13~19
それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。



アーメン。

世界平和へのカギは『聖書』だけです。

全世界が聖書の言葉によって一つとなり、平和を祈り求めていきます。

自分の愛する家族、恋人、日本を守るために、自分の命をかけ大切な人達を守ろうという思いで立ち上がりましょう。

イエス様によって新しく生まれ変われたこと感謝します。

声に出して読んで下さい。

<救い主・イエス様を受け入れる>

「愛する天のお父様、イエス様。私がこれまで犯してきたすべての罪をお許しください。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって下さり、3日目に神が死人の中から、イエス様をよみがえらせたことを信じます。イエス様、どうぞ私の中に入ってください。イエス様が、私のこれからの人生を導いてください。イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」  ※アァメンとは、“そうなったと信じます”という意味です。

<カルトからの解放>
「愛する天のお父様、イエス様。私が今日まで犯してきたオカルト・宗教の罪をお許しください。今まで信じてきたこと、教えられてきたことは、すべて間違いだったと認め、たった今捨て去ります。イエス様の十字架の血によって、私を清めてください。罪が許されたことを感謝し、イエス様の御名前によって祈ります。アァメン。」 

<聖霊のバプテスマを受ける>
「愛する天のお父様、イエス様。私に聖霊と火によって、バプテスマを授けて下さい。そして私の全身を、すみずみに至るまで、聖霊で満たして下さい。たった今、聖霊をいただけたと信じます。また、私に異言(いげん)も下さい。いただいたと信じ、舌を動かします。(ラララララ・・・・と声に出して舌を動かして下さい。それがあなたの異言です。)

イエス様、ありがとうございます。これからはあなたが下さる通り、信じる者に伴う新しい言葉=異言(いげん)を語ります。すべての栄光はイエス様に帰して、イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」

※「異言」とは、神と直接会話できる言葉です。私たちが知性で考えて言葉にして祈る時は、サタン(悪霊)も聞いています。すると、祈りがきかれないように先回りしてしまうことがあるのです。異言はサタンが分からない言語です。聖霊の力によって語りますから、いつでも何時間でも祈ることができます。何と祈ってよいのか分からない時、まだ分からない未来のことも神はご存じですから、祈らせて下さいます。