日本を守るため、我那覇真子さん、林千勝さん、水島社長、様々な心ある方がDSに立ち向かい必死で訴えています。

魂の叫び!!

是非、この声を拡散してください。

この訴えは至極まっとうで、日本人が持たなければいけない「他者を思う心」です。

 


ぶどうの木が我那覇真子さんに注目をしたのは、3年半前のアメリカ大統領選挙の時でした。

単独アメリカへ飛び、実際の様子、真実をレポートしていた彼女をYoutubeで見て、日本の報道は何を伝えているんだ!僕たちが信じ聞いてきた情報、あのジャーナリストやコメンテーターが言ってたあれもこれも嘘?と気づかせてくださりました。

それだけでなく世界経済フォーラムのシュワブに突撃し、オランダの農家の弾圧・抵抗、日本の報道番組では一切教えられない事実を教えてくださりました。

我那覇真子さんこそが、本物のジャーナリスト!!ジャンヌダルクだと言われています。

日本のメディアは偏向報道が酷すぎて、トランプ大統領の悪い印象しか伝えませんでしたが、アメリカ国内の人気は絶大で有罪判決を受けた後も、トランプ氏の支持率は上がり続けています。

前回の大統領選の最後に、バイデンジャンプでひっくり返された時、アメリカの覚醒者は、これはおかしいと声を上げました。そして、我那覇さんの現地レポを見て「間違いなくこれは不正選挙だ」と確信出来ました。

こんな身の危険を感じることをする、必要はないと思う人もいるでしょう。

しかし黙っていれば日本がなくなるだけ、それを見過ごすことができないのであり、WHO・日本政府に立ち向かう彼らは過激派でも何でもありません。
当たり前に、間違ったことを黙ったままで入れないだけの正義の人なんです。


エレミヤ書31:22
不信の娘よ、いつまでさまようのか。
主は地の上に新しい事を創造されたのだ、女が男を保護する事である」。


「女が男を保護する」と書かれていますが、その言葉を真に受けるだけでなく「男も立ち上がれ」という意味もあると思います


コリント人への第一の手紙16:13~14
目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。いっさいのことを、愛をもって行いなさい。


アーメン。



今週の集会では、約4年前、ぶどうの木が集会の中で、この世の人達からは『陰謀論』と言われる話をするようになぜなったのか!!

そのきっかけは、ペドフィリア(小児性愛者)という存在を知り、それを通して、彼らが悪魔崇拝の儀式に子供を生贄として、血を飲み、皮を剝ぎ、肉を食べる、人間の常識では考えられない残忍な行動をとっているという事を知りました。

それも一般的な方がやっていたのではなく、誰もが知る大統領、俳優、セレブといったこの世の地位、名誉、富を手にしている方々でした。

こういった所業ができてしまうのも、この世には目には見えない悪霊というものが存在しているからです。

このような事実を聞いた方は、「そんなのありえない」「陰謀論」と目をそらし受け入れられないと思う人が多いのも事実です。

しかし、私達クリスチャンが冷静に聞けるのは、内側に聖霊がおり、聖書を学び、この世が悪霊の支配下であることを知っているからです。

悪霊に抵抗するためにも聖霊を受け新しく生まれ変わり、目を覚まし、敵の策略を知らなければいけません。

地球上は1度ノアの大洪水によって滅ぼされました、次は火によってそれが起こり、患難の中にあっても、患難を耐え忍んだクリスチャンだけが主によって蘇った死者たちと一緒に、空中でイエス様に会い、雲の上から地上の日の海を見るのです。

今生きている時間は一瞬、後の時間は永遠です。

見えるものではなく見えない部分に目を向けるのです。


ぶどうの木は「家族の在り方」をテーマにこれまで聖書を学んできました。

その中で子供たちが置かれている現状はどうか、親が育てられないから乳児院に入れられ、成長したら児童養護施設へ、里親が見つかったと言われふたを開けたら行方不明になっていたと、大人が良ければいい家庭になっていないか、その中で人身売買や誘拐が起きていないかという風に視野を広げています。

コロナが始まったことで新型コロナワクチンという生物兵器が表れました。

ワクチンが危ないことは証明されていますが、そこにだけ目を向けるのではなく、ここに至るまでに何があり裏側では何が行われているか広い視野で物事を見なければいけません。

そして集会内でこの世に向け重要な御言葉が読まれました。


イザヤ書21:1~10
海の荒野についての託宣。
つむじ風がネゲブを吹き過ぎるように、荒野から、恐るべき地から、来るものがある。
わたしは一つのきびしい幻を示された。かすめ奪う者はかすめ奪い、滅ぼす者は滅ぼす。
エラムよ、のぼれ、メデアよ、囲め。
わたしはすべての嘆きをやめさせる。
それゆえ、わが腰は激しい痛みに満たされ、出産に臨む女の苦しみのような苦しみがわたしを捕えた。
わたしは、かがんで聞くことができず、恐れおののいて見ることができない。
わが心はみだれ惑い、わななき恐れること、はなはだしく、わたしのあこがれたたそがれは変っておののきとなった。
彼らは食卓を設け、じゅうたんを敷いて食い飲みする。
もろもろの君よ、立って、盾に油をぬれ。
主はわたしにこう言われた、「行って、見張びとをおき、その見るところを告げさせよ。馬に乗って二列に並んだ者と、ろばに乗った者と、らくだに乗った者とを彼が見るならば、耳を傾けてつまびらかに聞かせよ」。
その時、見張びとは呼ばわって言った、「主よ、わたしがひねもすやぐらに立ち、夜もすがらわが見張所に立っていると、見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます」。
彼は答えて言った、「倒れた、バビロンは倒れた、その神々の像はことごとく打ち砕かれて地に伏した」。
ああ、踏みにじられたわが民、わが打ち場の子よ、イスラエルの神、万軍の主からわたしが聞いたところのものをあなたがたに告げる。

エゼキエル書24:1~24
第九年の十月十日に、主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、あなたはこの日すなわち今日の名を書きしるせ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した。あなたはこの反逆の家にたとえを語って言え。主なる神はこう言われる、かますをすえ、これをすえて、水をくみ入れよ。
その中に肉の切れを入れよ、すべて良い肉の切れ、すなわち、ももと肩の肉をこれに入れよ。良い骨をこれに満たせ。
羊の最も良いものを取れ。かまの下にまきを積み、その肉を煮たぎらせ、またその中の骨を煮よ。
それゆえ、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、流血の町、さびているかま。そのさびはこれを離れない。肉をひとつびとつ無差別に取り出せ。その流した血はまだその中にある。彼女はこれを裸岩の上に流し、土でこれをおおうために、地面には注がなかった。これは、わたしの怒りをつのらせ、あだを返すために、その流した血がおおわれないように、裸岩の上に流したのである。それゆえ、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、流血の町。わたしもまた、まきをさらに積み重ねる。まきを積み重ね、火を燃やし、肉をよく煮て、煮つくし、骨を焼け。そしてかまを熱くするため、それをからにして炭火の上に置き、その銅を焼いて、汚れをその中に溶かし、そのさびを去れ。しかしわたしのほねおりは、むだであった。その多くのさびは火によって消えない。そのさびとは、あなたの不潔な淫行である。わたしはあなたを清めようとしたが、あなたはあなたの不潔から清められようとしないから、わたしの怒りをあなたに漏らし尽すまでは、あなたは汚れから清まることはない。主なるわたしはこれを言った。そしてこれは必ず成る。わたしはこれをなす。わたしはやめない、惜しまない、悔いない。あなたのおこないにより、あなたのわざによって、あなたをさばくと、主なる神は言われる」。
また主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、見よ、わたしは、にわかにあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。声をたてずに嘆け。死人のために嘆き悲しむな。ずきんをかぶり、足にくつをはけ。口をおおうな。嘆きのパンを食べるな」。朝のうちに、わたしは人々に語ったが、夕べには、わたしの妻は死んだ。翌朝わたしは命じられたようにした。人々はわたしに言った、「あなたがするこの事は、われわれになんの関係があるのか、それをわれわれに告げてはくれまいか」。わたしは彼らに言った、「主の言葉がわたしに臨んだ、『イスラエルの家に言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはあなたがたの力の誇、目の喜び、心の望みであるわが聖所を汚す。あなたがたが残すむすこ娘たちは、つるぎに倒れる。あなたがたもわたしがしたようにし、口をおおわず、嘆きのパンを食べず、頭にずきんをかぶり、足にくつをはき、嘆かず、泣かず、その罪の中にやせ衰えて、互にうめくようになる。このようにエゼキエルはあなたがたのためにしるしとなる。彼がしたようにあなたがたもせよ。この事が成る時、あなたがたはわたしが主なる神であることを知るようになる』。


アーメン。

人間の肉欲によって生まれた汚れ、無慈悲で愛のない行い、これをさびと表現されておりイエス様は「わたしはあなたを清めようとした」と正しく歩めるようにされましたが、「あなたはあなたの不潔から清められようとしない」のです。
そのため、イエス様の怒りの器がいっぱいになり、「その怒りをあなたに漏らし尽すまでは、あなたは汚れから清まることはない。」と今の時代に訓戒されているのです。


テサロニケ人への第二の手紙 

第1章
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。 これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。

第2章
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

第3章
最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。
兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。
ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。


アーメン。

この部分では終わりの時のことが書かれており、まさに今の時代とマッチしています。


イエス様の再臨の時「主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けます。」


終わりの時、2章の言葉の通り、権力を持つ者か、有名人か、善人と呼ばれている方なのか、サタンに遣われ人間を惑わし滅びへ向かわせようとする人が現れます。


どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも(日本でも)早く広まり、また、あがめられるように。また、どうか、わたしたちが不都合な悪人(平安を脅かそうとする人)から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。
恵みを受けるために怠惰な生活をして、さびが生まれないように生きなければいけません。

アーメン。


数日前、アメリカの公聴会でファウチ博士は、感染対策は嘘だったことを明らかにしました。

ソーシャルディスタンス、マスク、すべて科学的根拠無し

つまり、小池都知事の言っていたこと、3密は嘘、意味が無かったということであり、アメリカの言うとおりにさせられたのです。

日本にはJALなどの日本の飛行機が飛べない空域があり、それは横田基地の上空です。

各国の首脳が羽田や成田に着陸し税関でパスポートのチェックをして入国している中、アメリカ大統領は横田基地にエアフォースワンを着陸させなんのチェックもなく日本に入ってくるのです。

つまり、横田基地の地上から上空はアメリカの領土であり、日本の法律が通用しないのです。

過去に沖縄で米兵が女性に犯罪を起こしても米軍基地内に逃げてしまえば捕まえることができないという事例があると聞いたことがあります。

日本は科学者とも疑わしいこのいい加減な人達、戦後から続いているアメリカ支配によって狂い、踊らされてたのです

先日行われた、「安全保障から考える未確認異常現象解明議員連盟設立総会」で録音された原口議員と小泉進次郎議員の会話が注目を受けています。

 


小泉議員、ワクチンのことを言われ落ち着きがなくなったようにも感じました。

マスクを着けさせられたのは口だけではなく、3S政策が始まった戦後から心にも着けさせられたのです。

黙ってろ、何も言うなと心をふさがれ魂を殺されたのです。

これを打ち破るためには、私達の義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ勝つことができず、決して天国に、はいることはできないのです。


ヨハネの第一の手紙5:5
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。


アーメン。

心のマスクを外せ、そして声を上げ今の薬害によって健康が奪われている現状から目をそらすな

立ち上がれ日本。

ジャニーズ、スポーツ、日本人が偶像化してきたものの闇が一つ一つ暴かれてきています。

世界中でデクラス(情報開示)が起きています。

正しく生きる人達の勝利は近いです。

光側と闇側の最後の戦い、どこまでも光の子らしく歩き、戦いに勝利していきます。

どうするのか!!各自がよーく考え行動しなくてはいけません。

僕たちをつくられた神の元に帰ること、皆さんがイエス様としっかり繋がることを祈ります。


詩編40:4
主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。


アーメン。

声に出して読んでください。

<救い主・イエス様を受け入れる>

「愛する天のお父様、イエス様。私がこれまで犯してきたすべての罪をお許しください。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって下さり、3日目に神が死人の中から、イエス様をよみがえらせたことを信じます。イエス様、どうぞ私の中に入ってください。イエス様が、私のこれからの人生を導いてください。イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」  ※アァメンとは、“そうなったと信じます”という意味です。

<カルトからの解放>
「愛する天のお父様、イエス様。私が今日まで犯してきたオカルト・宗教の罪をお許しください。今まで信じてきたこと、教えられてきたことは、すべて間違いだったと認め、たった今捨て去ります。イエス様の十字架の血によって、私を清めてください。罪が許されたことを感謝し、イエス様の御名前によって祈ります。アァメン。」 

<聖霊のバプテスマを受ける>
「愛する天のお父様、イエス様。私に聖霊と火によって、バプテスマを授けて下さい。そして私の全身を、すみずみに至るまで、聖霊で満たして下さい。たった今、聖霊をいただけたと信じます。また、私に異言(いげん)も下さい。いただいたと信じ、舌を動かします。
(ラララララ・・・・と声に出して舌を動かして下さい。それがあなたの異言です。)
イエス様、ありがとうございます。これからはあなたが下さる通り、信じる者に伴う新しい言葉=異言(いげん)を語ります。すべての栄光はイエス様に帰して、イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」

※「異言」とは、神と直接会話できる言葉です。私たちが知性で考えて言葉にして祈る時は、サタン(悪霊)も聞いています。すると、祈りがきかれないように先回りしてしまうことがあるのです。異言はサタンが分からない言語です。聖霊の力によって語りますから、いつでも何時間でも祈ることができます。何と祈ってよいのか分からない時、まだ分からない未来のことも神はご存じですから、祈らせて下さいます。