現在放送されているNHKの朝の連続テレビ小説では『虎に翼』と題して、日本史上初の法曹の世界に飛び込んだ女性の実話に基づいたオリジナルストリーとなっています。
そして、過去の放送のなかで
「結婚に際して夫側の名字に変えることを義務とする」
という法律があり、昔は奥さん側の姓を名乗ることが、無かったのだと知りました。
ドラマの中で
「この法律を変えろ!!」ってGHQに突き返されましたよ。
といった場面が・・・
戦後、食だけではなく、日本の法律にもGHQは入り込んでいるのです。
このころから【家制度】という文化が破壊されたのでした。
家制度とは?
二宮教授によると、日本で結婚に関する制度が大きく変わったのは明治時代と第二次世界大戦後です。
1898(明治31)年に明治民法が施行され、家制度が確立しました。家制度は当時の結婚の形を象徴するもので、現代でも「○○家に入る」「家業を継ぐ」など「家」の意識は残っています。家制度の主な特徴は次の通りです。
・家族は戸主の命令・監督に服従する
・家の財産と戸主の地位は、原則として戸主の長男が継ぐ
・家族は戸主の同意がなければ結婚できない
戦前までの結婚は、妻が夫の家に入って子どもを産み、夫の家を存続させることが主な目的でした。妻は夫の家に入り、子どもは生まれた家の家族になるため、いずれも家の氏(名字や姓のこと)を名乗りました。
また、明治民法で妻は「無能力者」と位置づけられ、夫の許可がなければ働けなかったほか、土地の売買や借金などの契約を結ぶこともできませんでした。
サザエさんの【磯野家とフグ田家】も古き日本の名残でしょうか。
現代では婿養子だけでなく夫婦別姓という結婚の意味を感じさせない制度、同性の結婚も生まれています。
マタイによる福音書19:4b~6
『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。
アーメン。
聖書にも書かれているように結婚とは、男と女が一体となったものです。
神は、土のちりからアダム(男性)を造り、アダムの助け手としてアダムのあばら骨からエバ(女性)を造 られました。これは神が決めた夫婦の在り方です。たった一人のひと。離婚など決して許されない事です。
以前、「聖書には男のことしか書いてない、男尊女卑じゃないか」という声を聞いたことがあります。
コロサイ人への手紙3:18~20
妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである。
アーメン。
この御言葉は「妻は夫に従う」ことを書いていますが「夫も妻を愛しなさい」と、むしろ平等を教えています。男尊女卑や男女平等など、この世の
戦後、GHQによって教育、食、文化、家族の在り方が壊されていきました。
日本政府の皆さん、日本を中国に売り渡すことのないように、日本国、日本国民を守ってください。
他国と一つになること、地球が境界線もなく地球人として皆が一つとなることは、本当に素晴らしいことです。しかし、一つになるときに何をもって一つになるかです。
人がそれぞれ、自分達の価値観で物事を判断していたら絶対に一つになることはできません。
そして、私たち人間を、愛しつくられた神を認めず信じようともせずに反逆して生きてきたことを悔い改める、神を受け入れるのです。
人間のちっぽけな頭では、想像もつかないことを生み出す神です。
無から有を生み出す神です。
人間が神に救われ、聖書に従って生きるならば、神は惜しみなく私たちに愛を降り注いでくださいます。
全ての悩み、社会問題、病気、災いを解決してくれるのが聖書=イエス・キリストです。
ピリピ人への手紙2:1~5
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
エペソ人への手紙4:1~6
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
ガラテヤ人への手紙3:26~29
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
アーメン。
全てが、イエス・キリストのもとで一つとなることが、神の願いです。
今の世の中、自分のことで忙しく周りのことに目を向けられない人が多いと思います。
一番近くにいる家族にさえも『無関心・無感心・無観心』となっていないでしょうか。
まずは、自分の一番身近な家族から。
小さな始まりが、やがて世界を一つにします。
一つになって立ち上がれ日本!
救われてください、声に出して読んでください。
<救い主・イエス様を受け入れる>
「愛する天のお父様、イエス様。私がこれまで犯してきたすべての罪をお許しください。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって下さり、3日目に神が死人の中から、イエス様をよみがえらせたことを信じます。イエス様、どうぞ私の中に入ってください。イエス様が、私のこれからの人生を導いてください。イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」 ※アァメンとは、“そうなったと信じます”という意味です。
<カルトからの解放>
「愛する天のお父様、イエス様。私が今日まで犯してきたオカルト・宗教の罪をお許しください。今まで信じてきたこと、教えられてきたことは、すべて間違いだったと認め、たった今捨て去ります。イエス様の十字架の血によって、私を清めてください。罪が許されたことを感謝し、イエス様の御名前によって祈ります。アァメン。」
<聖霊のバプテスマを受ける>
「愛する天のお父様、イエス様。私に聖霊と火によって、バプテスマを授けて下さい。そして私の全身を、すみずみに至るまで、聖霊で満たして下さい。たった今、聖霊をいただけたと信じます。また、私に異言(いげん)も下さい。いただいたと信じ、舌を動かします。
(ラララララ・・・・と声に出して舌を動かして下さい。それがあなたの異言です。)
イエス様、ありがとうございます。これからはあなたが下さる通り、信じる者に伴う新しい言葉=異言(いげん)を語ります。すべての栄光はイエス様に帰して、イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」
※「異言」とは、神と直接会話できる言葉です。私たちが知性で考えて言葉にして祈る時は、サタン(悪霊)も聞いています。すると、祈りがきかれないように先回りしてしまうことがあるのです。異言はサタンが分からない言語です。聖霊の力によって語りますから、いつでも何時間でも祈ることができます。何と祈ってよいのか分からない時、まだ分からない未来のことも神はご存じですから、祈らせて下さいます。