日本への外国人の移民数は世界4位!と言われているなかで、まだまだ増え続けていることによって治安の悪化が進んでいることも事実です。

 

 

 


日本には日本のルールがあり、それを守れないのであれば自国へ帰ってもらうしかないでしょう。

日本に在留する外国人は、昨年12月末の時点で、340万人を超え過去最多だそうです。その内、在留資格別として【技能実習】が約40万5000人、【特定技能】が約20万8000人いるそうです。


生活保護を受給している外国人も少なくなく、何のために!!

もちろん出稼ぎで来てる真面目な外国人もいます。

僕が利用している訪問入浴でも中国人のスタッフの方が来られるようになりました。

福祉の世界はコミュニケーションも大事なので、一生懸命に日本語を勉強されています。

 


移民政策に100%反対という訳ではありません。

ただ、受け入れるまでの審査が、ガバガバであることに問題があるのです。

もし何か問題を起こしたら、母国へ強制送還するぐらい厳しくしてもいいと思います。


プーチン大統領が移民の大量強制送還を開始しました。

それは自国民を守るためにです。

 


日本は、貧困を理由に出産率の低下、結婚すらできない若者も多いです。30年間所得が変わらない日本。物価や税金は上がるばかり。これでは、独身、少子化が進む一方です。

外国人で(別に外国の方が嫌いなわけではありません)日本人の穴を埋めようとするのはやはりおかしいです。
日本の若者や子供達のことを思えば、やはり移民政策は採るべきではないと思います。

しかし実際、日本で働く外国人の数は既に182万人だそうです。

 決して外国人を差別しているわけではありません。

ただ日本経済を再生させる!!日本国民の生活の立て直しのためにです!!

ヨハネによる福音書2:19
イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。 

アーメン。



今週の集会は、韓国人のクリスチャンがお二人来られました。

日本であっても一言で【聖書】と言っても、口語訳、新共同訳、新改訳といったような様々な訳し方があるため解釈の仕方が違ってきます。日本でもそうなのですから韓国語聖書も違った言葉、捉え方、表現の仕方が違ってきます。
牧師が娘である副牧師との会話の中で、副牧師がぶどうの木のブログを韓国語に訳す時に困ることが多々あると。その中で、特に『(主に)明け渡す』という言葉が韓国語の中にないそうです。集会に来られた韓国人のKさんに聞くと『託す』と言われました。

しかし、日本人が感じる『託す、委ねる』には、まだ自分が存在する。「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2:19~20b)と神に言われたときに『(主に)託す、委ねる』という意思が自分にある。しかし『(主に)明け渡せ』と言われたときに、自分の意思、考えはなく、自分では判断できない!自分の世界・心・常識・考えには一切ないものが聖霊によって与えられ、聖霊充満となり自分ではない言動が始まるのだと語られました。

マルコによる福音書3:13~16a
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。こうして、この十二人をお立てになった。

使徒行伝2:14~42
そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。
「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。ダビデはイエスについてこう言っている、
『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。
兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい』。だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

アーメン。

イエス様は、才能も教養も無かった十二弟子を集め、何千人もの前で説教をさせた。それが聖霊充満であり聖霊降臨であるのだと。完全に自分を明け渡した十二弟子であったのだと。

牧師は、母教会であるロサンゼルスの教会で、幼子の時から

『神が求めているのは、貴方ではない!!明け渡した器の貴方だけ!!』

と言われ続けてきたそうです。

一つの聖書箇所を紹介します。韓国語聖書との違いです。

箴言10:22
主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。
【主は福を与えて、悩みを与えない。(韓国語聖書)】

アーメン。

やはり日本人からすると言葉のニュアンスが違ってきますね。

この御言葉【主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。】を通しても、神は絶対的な主であり、神は祝福を与えてくださるのだと信頼できる神なのだと牧師を通して語られました。



ローマ人への手紙15:16~21
このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。すなわち、「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりである。

アーメン。

僕達は、先人クリスチャンのバトンを受け継いだ者として、皆を救いに導き、正しく聖霊を伝える役割を主から与えられています。自分のタイミングややり方ではなく、100%自分を主に明け渡して、自分という器を用いていただくのだと語られ、聖霊の声に聞き従い、神の御心を行なっていきます!!

声に出して読んでください。

<救い主・イエス様を受け入れる>
「愛する天のお父様、イエス様。私がこれまで犯してきたすべての罪をお許しください。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって下さり、3日目に神が死人の中から、イエス様をよみがえらせたことを信じます。イエス様、どうぞ私の中に入ってください。イエス様が、私のこれからの人生を導いてください。イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」  ※アァメンとは、“そうなったと信じます”という意味です。


<カルトからの解放>
「愛する天のお父様、イエス様。私が今日まで犯してきたオカルト・宗教の罪をお許しください。今まで信じてきたこと、教えられてきたことは、すべて間違いだったと認め、たった今捨て去ります。イエス様の十字架の血によって、私を清めてください。罪が許されたことを感謝し、イエス様の御名前によって祈ります。アァメン。」 

 
<聖霊のバプテスマを受ける>
「愛する天のお父様、イエス様。私に聖霊と火によって、バプテスマを授けて下さい。そして私の全身を、すみずみに至るまで、聖霊で満たして下さい。たった今、聖霊をいただけたと信じます。また、私に異言(いげん)も下さい。いただいたと信じ、舌を動かします。

(ラララララ・・・・と声に出して舌を動かして下さい。それがあなたの異言です。)

イエス様、ありがとうございます。これからはあなたが下さる通り、信じる者に伴う新しい言葉=異言(いげん)を語ります。すべての栄光はイエス様に帰して、イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」


※「異言」とは、神と直接会話できる言葉です。私たちが知性で考えて言葉にして祈る時は、サタン(悪霊)も聞いています。すると、祈りがきかれないように先回りしてしまうことがあるのです。異言はサタンが分からない言語です。聖霊の力によって語りますから、いつでも何時間でも祈ることができます。何と祈ってよいのか分からない時、まだ分からない未来のことも神はご存じですから、祈らせて下さいます。