『ホスト売掛金問題』によって、若い女性たちが水商売や売春などによってお金を稼ぐことをしています。

最近では『頂き女子りりちゃん』と称して、男性を騙しホストに通うためのお金を稼ぐ事件もありました。

被害者の女性は若年の方ばかりで、家族のインタビュー映像に

「娘が騙されかわいそう」「ホストが憎い」

など、自分の娘のことは棚に上げ、100%被害者のように言われています。

ですが、この問題は一概にホストだけが悪いのでしょうか!!

もちろん、ホスト業界の価格設定や客に酒を飲ませ(そこに薬を入れる店もあるとか)まともな判断ができない中で気持ちよくさせ、高額なお酒を要求する、まともなやり方ではなく、不法だとは思いますが、そこに通いつめ抜け出せなくなってしまう、その為に自分を犠牲にしてまで通う女性たちは何なんでしょうか。

ホストに通う女性の特徴は、友達が少なく自分の居場所がない!日頃のストレスを発散するために刺激を求め、お姫様扱いしてもらいたい!そんな欲求を抱えた女性たちだと言われています。


ですから、その場に行くもいかないも女性次第ですし、親も子供が変なものにハマっていないか注意し声をかけてきたか、家族に【カンシン】があったかも問われる問題でもあると思います。

ホストにハマる前に何か兆候はなかったのか、できるだけのことをせずに「ホストが悪い」というのは、あまりにも責任転嫁が過ぎると思います。


ガラテヤ書6:7b~8
人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。


アーメン。

良い物をまけば良いものを刈り取り、悪い物をまけば悪いものを刈り取るのは事実です。

ならば売掛金を作るような場所で身の丈以上の振る舞いという、悪い種を蒔くような行動をとらなければいいのです。

お金が払えなくなれば風俗や売春をすればいいと考えるのも、3Sに洗脳され続けたことで生まれた価値観でしょうか。

しかし、この問題は時代という言葉で片付けてはいけません。


人間には三大欲求として【食欲・睡眠欲・性欲】があると言われています。そのなかの【性欲】によって性の乱れが起こっています。この世には、テレビや映画、雑誌など簡単に性的描写を目にすることができます。乱れ飛んでいるのですから、人間が自制してそこから離れることはとても難しいことだと思います。人は『自制(自分で自分の欲望・感情をおさえること)』ではなく『我慢(辛い事を耐え忍ぶ)』ではないでしょうか。ダメだと言われたことを我慢して耐え忍ぶ。そんな苦しい歩きは、いつか爆発します。


ガラテヤ人への手紙5:22~23
御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 


アーメン。

人は欲望のままに生きる生き物です。

しかし、イエス様に救われ、聖霊のバプテスマを受け、聖書を学んでいくことで、今までの自分の生活や考え、価値観が真反対へと変えられていきます。

そして、聖書の言葉に従っていくことで、御霊の実が一つずつ自分の中に育っていきます。『自制』して己を正して生きることができます。


テトスへの手紙1:15
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。

テサロニケ人への第一の手紙4:1~8
最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。


アーメン。

どう生きることが神の前で正しいか。

一人でも多くの人が神の元へ立ち返ること、救われて最高の人生を送ることを感謝し祈ります。

声に出して読んでください。


<救い主・イエス様を受け入れる>
「愛する天のお父様、イエス様。私がこれまで犯してきたすべての罪をお許しください。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって下さり、3日目に神が死人の中から、イエス様をよみがえらせたことを信じます。イエス様、どうぞ私の中に入ってください。イエス様が、私のこれからの人生を導いてください。イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」  ※アァメンとは、“そうなったと信じます”という意味です。


<カルトからの解放>
「愛する天のお父様、イエス様。私が今日まで犯してきたオカルト・宗教の罪をお許しください。今まで信じてきたこと、教えられてきたことは、すべて間違いだったと認め、たった今捨て去ります。イエス様の十字架の血によって、私を清めてください。罪が許されたことを感謝し、イエス様の御名前によって祈ります。アァメン。」 


<聖霊のバプテスマを受ける>
「愛する天のお父様、イエス様。私に聖霊と火によって、バプテスマを授けて下さい。そして私の全身を、すみずみに至るまで、聖霊で満たして下さい。たった今、聖霊をいただけたと信じます。また、私に異言(いげん)も下さい。いただいたと信じ、舌を動かします。(ラララララ・・・・と声に出して舌を動かして下さい。それがあなたの異言です。)

イエス様、ありがとうございます。これからはあなたが下さる通り、信じる者に伴う新しい言葉=異言(いげん)を語ります。すべての栄光はイエス様に帰して、イエス様の御名前により感謝して祈ります。アァメン。」

※「異言」とは、神と直接会話できる言葉です。私たちが知性で考えて言葉にして祈る時は、サタン(悪霊)も聞いています。すると、祈りがきかれないように先回りしてしまうことがあるのです。異言はサタンが分からない言語です。聖霊の力によって語りますから、いつでも何時間でも祈ることができます。何と祈ってよいのか分からない時、まだ分からない未来のことも神はご存じですから、祈らせて下さいます。