D'Angelicoのギターを手放した。
渋谷のWALKINで若い頃買ったギターだ。
メイプルの木目が見事な虎目で美しい。
弾き心地は最高級に素晴らしかった。
使っている木材が最高級というのもあるだろう。
公共の場に持ち出すことはあまりなかった。
個人的なギターだった。
当時大好きだった女性にたくさん音を聴いてもらった。
ある日、彼女がギターを欲しいと言い出した。
もしかすると、私の口車に乗ったのかもしれない。
口車というよりも、私がこのギターを愛でている様子を見て触発されたのだろう。
彼女はギター弾きではない。
ギター弾きでないにも関わらず、いっしょに渋谷のWALKINに行って、同じくD'Angelicoのフルアコを買ったのだ。
値段が値段なだけに、「支払い、オレ半分持とうか?」と言ったのだけれど、「だいじょうぶ」と言って彼女は買った。
色はナチュラル、ボディーは小さめのモデルだった。
「アンジェリコって天使の子みたいだね?」などと話したような気がする。
だが、彼女のギターのつがいは、もう私のD'Angelicoギターではない。
買ってくれた方は、本クリスマスで彼氏にプロポーズされる娘さんへのプレゼントとするらしい。
買ってくれた方がそんな方で、オレは物凄く嬉しい。
娘さん、アンジェリコを可愛がってあげてね。
アンジェリコ、今までありがとう。
新天地でも心に響く音で鳴ってくれ。頼むぞ。
なぜ手放したか。
自分の愛用ギターを手放すことは、命をとられることに等しいのではないか?
この問いには、首を振りたい。
「愛用ギターではなくなっているからだよ」と。
ガラスケースの中にいる高級食器よりも、普段使っているちょっと良い食器。
手垢のついた、今を生きているギターを愛したい。
我ながらすごい決断でしたけどね。
次の記事はうたのお部屋にします。