人間は自らの歴史をつくるが、

思うようにではない。

好きなように、自由につくるの

ではなく、過去より受け継いだ、

ありあわせの環境のもとでつく

るのである。

 

                カール・マルクス

    

以前紹介した方法を用いて縦書きで記載。俳句や短歌をブログに掲載したい方は使ってみてね。

 

ものを書くとき、書き手は神様なのだろうか?

…という問いをかけてみたい。

神様がこの世のあらゆるものを作ったように、書き手は書かれているものの神様なのだろうか?

 

書き手が書いたと思いこんでいるものに先行して、実存があるのではないだろうか。もしそうであれば、書き手は、自分が書いたものに対して、一定の距離を置かねばならない筈だ。

 

読み手が書かれたものを読むこともまた、書き手という神様の意図を知ることではない。書き手はただの媒介者であり、書かれたものこそが、神様なのではないか。

書き手は書かれた言葉たちの世界をすべて知り尽くしている訳ではないのだから。

 

人間は自らの歴史をつくるが、思うようにではない

書き手も読み手も生まれ育った環境が違う。勿論、言葉の受け取り方も人それぞれだ。受け取り方が違う以上、書き手と読み手が行っていることは、突き詰めると書誤と誤読ではないのか。

 

だからこそ、人は本質に近づこうとするのではないか。

 

ただし、この考えも、「神様がこの世のあらゆるものを作った」の前提があってこそであることは言うまでもない。

 

 

書くことに向かい合うシリーズで、ひとつの考え方でした。

フォロワーの皆さんには、またもやコメントしづらい記事になりました。フォロワーさん宛てに特化して書いている訳ではないので、謝らないでおきますね。それどころか自分のために書いている。

書くことに限ったことではなく、お仕事、ご家庭など大変な方は、一服タイムにいろんなことをこねくり回しているだけでも、ストレス解消になるかと思います。頭の中は自由ですものね。