暗がりの中でジロジロこっちを見ている奴等。
こっちから奴等ひとりひとりの顔は見えない。
『(何見てんだよ、こいつらは)』
奴等は見ることをやめない。
見ることしかしないのだ。
人数が減ったが、状況は変わらない。
共通しているのは-
暗がりの中にいるということ。
集団でいるということ。
見ることしかしないということ。
まるでそこが唯一の拠り所であるかのように。
『オイ』
声を掛けてみた。
話はできたが心は通わない。
奴等は暗がりから見ることしかしない。
ステージ上のオレにスポットライトを当て、ただ見ている。
こちらからは奴等の姿は見えない。
どんな顔をし、どんな恰好をしているかはおろか、人数さえ見ることが叶わない。
わかるのはただひとつ、正体不明のものに対峙しているということ。
「いっそのこと暗がりの住人になってしまえば楽ではないか?」
そんな思いが心を過ぎる。
それはできない。
オレというものが無くなってしまうと思った。
奴等は暗がりから見ることをやめない。
流石のオレも学習してきた。
音だ。音から人数がわかる。
『(今日はひとりか)』
突然、客電が灯った。
初めて暗闇が解かれた。
三毛猫がそこにいた。
ここにやってきて初めて見る人の顔だ。
三毛猫が言った。
『あなたの顔が見えないから、私も席を立ったよ』と。
『あなたと同じものが見たいから、そっちに行くよ』と。
三毛猫が眩しかった。
オレはいつしか、自分が犯罪者になったかの気でいた。
ならば、正体不明の闇に討って掛かろうとさえ思っていた。
心を冒されていたのだ。
オレは呟いた。
『いや、眩しいのはスポットライトのせいだぜ』
<終わり>
<あとがき>
美咲さん、いかがでしたか?
若かりし頃、こういうことがありました。思えば、小学生の頃より2、3年おきの転校
を繰り返していたので、ベテランかもしれません。ベテランの癖に学習できておらず、社会人になってからも苦しんだものです。
このお話で何が言いたかったか、どこに原因があるかは、あえて書くのをやめておきます。自分の話も含めさっきまで書いていたのですが、訓話みたいになってしまいボツにしました。美咲さん、他の読者の方も、それぞれが生きてきた人生があって、感じるものも人それぞれです。
皆さんが感じたことが本当だと思うので、感じた後に本記事を閉じ、最初の一歩を踏み出していただけたら幸いです。ガンバじゃ!