※言葉に向き合うシリーズ。苦言記事なので肌に合わない人はスルーね。
11/14(火)〜11/20(月)のアクセス解析より、デバイス別割合を円グラフにしてみた。
■Amebaアプリ+■スマートフォン=スマートフォンユーザーとすると、
スマートフォン:パソコンの比率は約2:1。
スマートフォンユーザーが圧倒的マジョリティ(多数派)。
あの小さい画面では、大して長くない文章も長文と捉えられ、時に敬遠されてしまうことがあるだろう。同様に、映像を紹介してもあの小さい画面では情報量も臨場感も限られてしまう。
今回のお題が「聴く姿勢」なので音楽について言うと、音楽を紹介したり、創っている人が可哀そう。投稿しても(いったん決めつけてしまうが)スマートフォンのスピーカーから聴かれたのではつらいものがある。小さいスピーカーは、聴こえない帯域があったり、音を無理に捻じ曲げたり。「ネットに投稿なんて楽曲最初の10秒程度にしとけば?」と思ってしまう。
スマートフォン、便利ですよね。日常生活に欠かせないものでしょう。こんなの持たされたら誰だって手軽に再生ボタンをポチッとやりますよ。オーディオ類は不要とばかりに全処分して、狭い我が家が広くなったと喜んでいる人さえいるでしょう。
処分してしまったものはしょうがない。スマートフォンのスピーカーで音楽を聴くのは良しとしよう。ところがここにまた別の問題が出てくる。リスナー側がしっかり聴いてくれる保証がどこにあるのだろうか、という点だ。
堕落への誘惑。下手をすれば、ソファーに寝そべりながら+テレビを見ながら+家人と喋りながら+ポテチをつまみながら+スマートフォンでピコピコかもしれないのだ。
昔はオーディオ雑誌が本屋に並び、オーディオ評論家が挙って大型スピーカーのレビューをし、「これはロックやポップス向きだね」「これはクラシックを聴くのに十分なスピーカーだね」などと紹介してくれていた。スピーカーに限らず、各種音響機器や音楽記録媒体、コンサートホールの残響まで、合言葉はただひとつ「良い音」。製造側も設置する側も演奏家もこれを追求していた。
創っている側は、今も昔もそう変わらないと思う。少しでも「良い音」を。何ともアナログチックでミステリアスなものを未だに追求し続けている筈だ。
提言。リスナー側も姿勢を正しませんか?
リスナーひとりひとりに音楽の未来が掛かっている気がしませんか?
高価なオーディオ機器を買い揃えなくてよい、身の回りにあるものから始めてみましょう。スマートフォンにヘッドフォンひとつ差すだけで、微風が吹きますよ。そして「ながらスマホ」は止めること。
ちゃんとしてる人がいたらごめんなさい。でも、こんなにスマートフォンからのアクセスが圧倒していると、怪しんでしまいます。
楽曲をネットで紹介して、リスナー側がスマートフォンのスピーカーでしか聴いてないのだとすれば、間接的に音楽を衰退させているようなものです。創る側が良い音を追求しなくなってしまう。
本記事で言いたいことは「聴く時は聴く」で、「ながらスマホ」「なんでもスマホ」はやめましょうの苦言でした。運転中に限ったことではないのです。
ご家庭の事情、お仕事の都合などで止むを得ずの場合は、スルーして下さいね。100人いて1人が「あっ!」と思ってくれたらの思いで記しています。
時を改めて後日、「書く」時は「書く」もしくは「読む」時は「読む」の記事も記そうと思っています。
いつもブロ友さんが紹介してくれているYoutube動画やGoPro動画を視聴する際の私の環境です。音響は一にも二にも入力と出力が大事ですが、敷居の低い出力側を紹介しておきます。
デスクトップPCに繋いでいるスピーカー。ダイナミックレンジが狭そうなものや音楽メインでないものはこれで聴かせてもらっています。
クラシック系統の曲や選曲への想いが感じられたら、このシステムで聴くようにしています。
こんな旧式なシステムは今時誰も使わないでしょう。
ヘッドフォンが一番手軽かもしれませんね。