押入れの奥から探していた本が出てきた。

 

鈴木志郎康著「現代詩の理解」

 

ずっと母ちゃんに取られていて取り返せずにいると思っていたが、とっくに取り返していた。母ちゃんは短歌や俳句を書いて新聞に投稿しては、よく「新聞に載ったで」と切り抜きを見せてくる。この本が短歌や俳句作りの参考になるらしいのだ。

再読したいと思って、家のカラーボックスを漁るのだがそこにはなく、てっきり母ちゃんがかぶりつきで手元に置いていると思っていた。

そんなに大事なものなら「返せ返せ」と口うるさく行ってきそうなものだが、そうではないところを見ると、貸していたのは別の本かもしれない。

 

志郎康先生には、大学在籍時、この本を教材にご指導を受けたのだが、「谷川俊太郎さんの詩を解説されていた」ぐらいしか記憶にない。

おそらく授業を受けずに、別のことに現を抜かしていたのだろう。しっかり出席していた友人は「面白い授業だ」と言っていた気がする。

 

私はというと、後日(卒業後)読んで非常に面白く、自分の知識以上のことを学ばせてもらった。しかし一度読んだきりかなりの歳月が経ってしまっった。二度目に読む本は初回とは感じ方も違うだろうから、とても楽しみにしている。確かフォロワーさんにも「面白いですよ」と紹介させてもらったと思う。

 

耐え切れずパラパラと捲ってみたが、しょっぱなから頷ける。ブログも文章を書くことに変わりないので、背筋を正してくれるようで心が洗われる。

 

『何かを表現したいという気持ちになったとき、人は自分がこの世でたったひとりの固有の存在であることに気がついた時なのである。(中略)単純に言って、人間は孤独だから表現するのだ。まずは、その自分の孤独を自覚するところから表現は始まるのだ』

鈴木史郎康著「現代詩の理解」より抜粋

 

「書くことの社会性」「何を書くのか」「書こうとする気持ちの根拠」「書くときの切迫感」など、書くことから入り、詩、そして現代詩の話に移っていく。詩の話が興味深かったんだよな…。漱石も読み直したいし、読書の秋は読み直し中心になりそうだ。