皆さん、こちらの絵本をお読みになったことがあるだろうか?

読書を趣味にされているかたはもとより、子供向けの本()という形を借りているということで、小さいお子様が傍にいる(いた)方ならご存知かもしれない。

 

おおきな木(The Giving Tree)/シェル・シルヴァスタイン著・村上春樹訳(1964)

※あすなろ書房HPによると表紙掲載の際には申請書の郵送が必要とのことです。時間を要しそうなので上記ピクトブックのページを紹介します。あらすじも紹介しているので未読の方はどうぞ。

 

"The Giving Tree"の名の通り、与え続ける「木」と求め続ける「少年」の物語。

語られているのはただそれだけである。

 

ただそれだけであるから、子供向けの本によくある勧善懲悪のお話だったり、大人目線での道徳・倫理教育を念頭に置いたお話ではない。シルヴァスタインはただありのままを書いただけなのだ。

 

シンプルすぎるゆえ、意味を求めてこれまでいろんな解釈がされてきた。以下wikipediaより抜粋。

 

・「この木はキリスト教の無条件の愛の理想である」

・「この木は母なる自然であり、少年は人類を象徴している」

・「少年と木の関係は友情の一種である。人間関係を放置すると人間関係が悪化する傾向がある」

・「木と少年は母子関係にある。木は私たち自身の母の愛の記憶だ」

・「木と少年の関係は、国民からあまりにも多くのものを搾取しながら、何の見返りも与えない社会主義政府や共産主義政府に似ている」

 

木は原文では「彼女」と書かれている。木は女性なのだ。このことから木を母性の象徴と見る向きが多いだろう。木の少年への無償の愛の物語。

 

お袋に読ませてみたところ、大いに不評で「ハァ(呆)…アンタこんな本がええんか??私ゃあ嫌やわ、次々毟り取られて、木は切り株だけになってしもたやないの!?アカンわ」と言っていた。

この本を知ったのは、彼女(=not お袋)からの紹介だったと記憶しているが、その彼女でさえ「無償の愛??フフフ、そんなことが今のあなたと私にできるかしら?」と、前向きながらも含みのある言い方をしていた。

 

彼女たちの統一見解はー

愛とは一種のギブ&テイクで、木と少年双方に形こそ違えど痛みのリアルがないと現実的ではないよ、ということがひとつ。もうひとつは、“自由”についての考え方と同じで、制限のある中での、不自由な中での“自由”ならいざ知らず、ただ単に“自由”と言われても、どう泳いでいいかわからないから不安だよ、という大きすぎる“自由”そして“愛”ゆえの不安感。このあたりだったかと思う。

 

私の解釈はというと、そもそもシルヴァスタインがこれだけしか書いてないんだもの、論理的思考は放棄し、現代詩の抽象表現のようなものと捉えて読みたい気がするが、そういう訳にも行くまい。

 

気になるところはというとー

 

・木が少年に与えるすべてのシーンで「木はしあわせでした。」と、思いが記されているのに対し、少年の思いが記されている箇所は、少年が幼い頃の「少年はその木がだいすきでした…」、この1シーンしかないのである。

 

・木は植物だから根を生やした場所から動くことがない。少年は動物だから動き回り、木が知らない人間の生活を持ちこんでくる。ずっと変わらず「しあわせ」の歌を歌い続ける木と、年を経るにしたがい「だいすき」の歌が「おかねがほしい」歌⇒「家がほしい」歌⇒「ふねがほしい」歌へと歌う内容が変容していく少年。見事な対比である。

 

人が人を好きになるとき、自分にないものを持っている人を「憧れ」という形で好きになると思う。だから、少年と木が出会った最初のころ、「その木はひとりの少年のことがだいすきでした。」であり、「少年はその木がだいすきでした…」だったのだ。

 

しかし憧れだけでは長続きしない。人と人がいっしょにやっていけるのは、自分といっしょのものが相手にもあるからなのだ。「いっしょだからここに根っこを生やしてやっていけるね」というものがあるから、最初の「好き」を現実に根付かせることができるのだ。

 

木と少年の違うところが半分、木と少年の同じところが半分だったら、きっと木も少年も「しあわせ」だったろう。ところがまったく違う者どうしが出会って、同じところを見出だせなかった。だから例えばの話、ふたりは公衆の面前で赤絨毯を歩くことがなかった。

 

けれども悲劇というのも違うと思う。ふたりは人どうしではなく、木と人間なのだ。

年老いた少年が切り株となった木に座るラストシーン。結局ふたりはいっしょにいたじゃないか。

 

少年:「しずかな場所があればそれでいいんだ。ずいぶんつかれてしまった。」

少年がこしをおろすとー

「それで木はしあわせでした。」

 

言葉では説明できないが、言葉では説明できないからこそ、強く心を打たれるのは私だけだろうか?陳腐になってしまうのを覚悟の上であえて言うならば、

「あるものたちがあるがままに生きた様の素晴らしさ」

だろうか。

 

村上春樹氏が訳者あとがきに記している。

「あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです。」

皆さんはこの本を読んでどう思われただろうか?

 

時を経るにつれ、感想もまた変わってくると思うので、私も折を見て読み返したいと思っている作品だ。

 

※子供向けの児童文学ではなく万人向けという感じがしますね。