※長文記事です。お時間のある時にどうぞ。ご興味ない方はスルーでお願いします。


Chapter1《死刑台のエレベーター》

 

フロランス(ジャンヌ・モロー)

C'est moi qui n'en peux plus.

  もう我慢できないわ。

Je t'aime.…Je t'aime.

  愛してる。…愛してる。

Alors il faut bien…

  だからやらなくては…

Je t'aime.

  愛してる。

Je ne te quitterai pas, Julien.

  貴方から離れないわ、ジュリアン。

Tu sais que je serai là…

  私はそこにいるわ…

avec toi.

  貴方といっしょに。

ジュリアン( モーリス・ロネ)

Oh! Je t’aime.

  愛してる。

Sans ta voix, je serais perdu dans un pays de silence.

  君の声が頼りだ。

(ふじねこ訳)

 

画面いっぱいに広がるジャンヌ・モローの顔。有名な映画「Ascenseur pour l'échafaud(邦題:「死刑台のエレベーター」)」(1958年)のオープニング、電話のシーンです。出だしからのっぴきならない状況ながら、状況なのに、匂いたつような色香が凄い。

 

『愛してる』は究極の言葉で潮の変わり目。言ったが最後、男女の関係が変容したり、無くなってしまうことだってある。それをいきなり言ってしまうとは、先が思いやられると言うのか、やっぱりと言うべきなのか、映画もきな臭い方向に進んで行きます。

 

以下あらすじ。※ネタバレなので、一応色を変えておきます。

電話で愛を語り合う男女。ジュリアン・タヴェルニエはフロランス・カララの夫が社長を務める会社の社員で、フロランスと恋人関係にあった。ジュリアンは、フロランスの夫を自殺に見せかけて殺す。一旦は会社を出た彼だが、証拠隠滅のため再び会社に戻る。ところが運悪く、ジュリアンはエレベーターに閉じこめられてしまう。約束の時間を過ぎても来ないジュリアンを心配し、夜のパリをさまようフロランス。

<出典:wikipedia>

 

この映画の音楽を手掛けているのが、皆さんもご存知、ジャズの帝王、マイルス・デイビスです。夜のパリをさまようフロランスとともに流れる曲、「死刑台のエレベーター」。ジャンヌ・モロー、凄い女優だな…ふらふらとしながらも確たる様子で歩く。卵の殻の上を割らないよう歩くとしたらこんな感じなのでしょうか?

 

マイルスのレコーディング風景も紹介しておきます。

 

映像を見つめながら演奏するマイルス。立ち上る煙草の煙、クールに響くミュートトランペット、そして真摯な瞳。心が洗われます。

時代はチャーリー・パーカー没後数年。ビ・バップから所謂クールジャズ、モードジャズに移る頃。華やかな「昼の(と形容してみます)」ダンスミュージックの時代より移ろい、酒と煙草(麻薬)、そして産みの苦しみの「夜の(と形容してみます)」音楽の時代です。

 

マイルスの名言「何を演奏したらいいのか分からなければ、何も演奏するな」

                     「そこにあるものを演奏するな。そこに無いものを演奏しろ」

 

本物の音楽を創るんだという気概、そしてマイルスのマイルスたる所以が凝縮されていますよね。よくあるメロディーで間に合わせるくらいなら、クラシックのように、即興などせずに初めから作りこんだ方がある意味潔いし、「そこに無いものを演奏しろ」と言うのなら、人間の脳にないもの…現代音楽をやってみろ。

 

私はキース・ジャレットの東京コンサート「Last Solo」(1984年)の映像を持っているのですが、ピアノの鍵盤上で指がどっちに行こうか迷って震えている瞬間があるんです。何度見返してもドキドキするし、心が震えて涙が出てしまうんですが、マイルスと通じるものがありますね(キースはマイルスバンドに所属していた時期有り)。

 


Chapter2《ラウンド アバウト ミッドナイト》

 

「Round about Midnight(ラウンド アバウト ミッドナイト)」をなぜ取り上げるのかと言うと、すみません、雰囲気が「Ascenseur pour l'échafaud(死刑台のエレベーター)」と似ておりまして。マイルスがこの曲を世に出したのが1956年と時期も近い。ちなみに作曲はかの変人(誉め言葉です)ジャズピアニストのセロニアス・モンク(1944年)になります。

 

ちなみにですが、マイルスとモンクは(真偽のほどは定かでないものの)喧嘩セッションしたという話があり、なんでも後輩のマイルスが先輩のモンクに対して「俺が演奏している時はピアノを弾かないでくれ」というような事を言ったとか言わないとか。

 

マイルスのアルバムに収録されており、しっかりクインテットの演奏が聴けるということ、あのコルトレーンのテナーサックス(2:57~)が聴けるという意味でもよりおすすめです。

それではマイルス・デイビス「ラウンド アバウト ミッドナイト」をどうぞ。

 

私の拙演奏。ジャンヌ・モローの時代にタイムマシンで行ったつもりで、セピア色の映像にしてみました(だんだん貧乏くさい映像に思えてきたので汗

どなたか、お酒と煙草を準備してくれませんかねえ。それで、そうそう、そこに腰かけてウインク

 

(約16MB)

 

使用ギター:D'Angelico/NewYorker L-5 Custom

 

これは本当に真夜中の、草木も眠る丑三つ時の演奏だったと記憶しています。真夏の暑い夜でした。そしてマイルス大先輩、「何を演奏したらいいのか分からなかったので、何も演奏しなかった」ですよ。やろうとはしたけど、「え!?お前そうやって入ろうとしている!?曲想と違うじゃん!!」と一瞬で辟易して止めたです。

 


Chapter3《ジャンヌ・モローとマイルス・デイビスと夕焼け朝焼けと》

 

お日様が燦燦と輝く昼間の表通りで、男と女は恋仲になりました。

真夜中の裏通りで、二人が逢瀬しています。次第に愛は深まっていきました。

 

Chapter1で、「昼」をビ・バップ以前のダンスミュージックとしてのJAZZに、「夜」をマイルス以降の苦悩のJAZZに喩えました。

ただ、私は「昼」の音楽を墜とすつもりはありません。チャーリー・パーカーの演奏はトンでる程カッコいいし、ルイ・アームストロングの音楽には温かい父性のようなものを感じます。

 

きっとお昼の「恋」と夜の「愛」両方が必要なんですよ。

お昼だけじゃ憧れのまま終わってしまうかもしれないし、夜だけじゃ一緒にやっていけているけれど何か違うという事もありえます。

 

そして、夕焼け・朝焼けの昼夜が切り替わる場面が、恋愛もそうだし、人と人の営みとしても、また音楽としても原点のような気がします。大きくシチュエーションが切り変わる場面は、これまでいた場所や考え方・気持ちを変えるということなので、「卵の殻の上を歩く」ほど不安定でしょう。

でも大丈夫、二人で「愛してる」と言って協力すれば卵の殻も割れないよ。ということで、ジャンヌとマイルスの名言を紹介して、今回の記事を締めとします。

 

ジャンヌの名言「恋愛において、テクニックのほうが感情より重視されると、男性は「愛のエンジニア」になりはてます。今はエンジニアが多すぎて、詩人が少なすぎますね」

 

マイルスの名言

  インタビューワー「トランペットをうまく演奏する秘訣は何ですか?」

  マイルス「彼女にキスをするようにだよ。」

 

<出典:https://wallpapers.com/>

 

ジャンヌ・モローとマイルスが恋仲だった訳ではないですよ、念のため。

すごく良い写真。大スター二人が、どこにでもいるような普通の彼氏彼女みたいで微笑ましいですニコ。そもそもマイルスの演奏自体、その繊細さから「卵の殻の上を歩く」と称されたので、このコンビは鬼に金棒ですねえ。

 

狡いなあ、管楽器は…間接キスじゃん。いやいや、ギターも間接手つなぎなので、負けてませんよラブラブ

終らないので今度こそ締めニコ