こんにちは、こんばんは猫

 

『デカ盛りハンター』ってなんですか?(分かる人には…)

土日は見逃しを観まくってました。

『らせんの迷宮』面白い~見ごたえありました。

『死神さん』も内容が濃くて中々でした。

 

忘れていたアレが届きました。

良い表情してます。

生で観たかったなあ。

圭くんの舞台だけは行くようにしたいものですよ、だから節約節約。

 

 

さて最近日記多いです。

あとで愚痴書きますが小さい字で書きますので読まなくてもいいですよー。

自分のメモです(何がどうということが分かったのでメモです)

 

やっと秋が来ました。

昨夜は毛布一枚では寒かった~。

でも土曜日と日曜の昼間は暑くて暑くて、やっぱり冬こないんじゃね?と思ったよ。

 

久しぶりに用事で某神宮へ行っておみくじ。

 

神宮はただいま工事中ですが、曜日関係なく七五三の家族連れ多いみたいです。

 

あそこはたぶんですが大吉を沢山入れているんだと思う。

大吉率高いです(過去ここにも何度か上げた…はず)。

充分の用意かぁ…後々くる年金生活は芳しくは無いうえに用意もない。

そうそうおみくじの効力は短いんだそうですね。

だからと言って老後の生活は用意も無いと大変。

 

土曜日は本当に暑くてまだ庭の事はする気が起きなかった。

日曜日にやる事いっぱいで出来るだけ頑張ってみたものの

思う用には片付かず、今朝みたらとった草やら芝やらとっちらかったままでした。

あちゃ~です。

 

 

それで私の母の事。(以下読まないでブラウザを閉じる事推奨)

 

隣のブロック積みがやっと始まって家との境も綺麗になるかなと思っていたけど

反対側の方から始めたようで、家側はまだ先の事のようだ。

境目の草やら邪魔なお茶の木やら抜いてしまいたいと思いながらも

ワクチンやらお天気やらのタイミングが悪くてままならなかった。

なので草も取れないまま野原のようにしているところがあったり、

境目にあった大きな石が転がしてあるところがあったり

砂利は砂に埋もれてたり・・・とうてい綺麗とは思えない状態。

 

それを家の母が今朝、「(ブロック積みで)綺麗になって良かったね(細かい言い回し忘れました、過去形なニュアンス)」というので、

何のことだろうと分からず実際母に「何のこと言っているのかわらないんだけど」と返した。

そこでまあ普通の(というと普通とはなんぞ?となるけれども普通といいます)会話だと

母はどうしてかな?と思うんじゃないかと思う。でも何もなくスルー。

それで改めて「私とあなた(母)との感覚の違いがはっきりするよね、

ブロックは向こうの方から積初めてあるから家の方はまだまだだよ、

綺麗になっているどころか草も取りにくい状態だよ」と言った。

それでやっと母が外を見に行ったので一緒に行って

「ほら向こうから積み始めているでしょう」と説明した。

 

ところが母はブロックを摘み始めている事さえ知らなかった。

知らないでどうしてあんなことを言うのでしょうね。

まあそこはまだ問題ではない、枠や位置取りの木枠は打ち込んであったので

工事は始まったということだけでそう言ってきたともとれるから。

 

でも問題はそこではない。

その自分が違う事を言って私がいつものことかとムカついていることを何とも思っていない事。

(庭の事については母は未タッチでましてや草がボウボウでもあまり気にしない性分らしい

だけどこのひと夏ほったらかしの状態で気にならないとは通常の人の感覚とは違うんじゃ…)

この相手をイラつかせておいてスルーできる部分。

 

普通なら?「ああごめんごめん変な事言ったね、向こうから始まってるからまだまだだね」

とでも返ってくるならこちらの気持ちも収まる。

だけどただ「はーしらなかった向こうから始まってる、はーしらなかった、へー」と

びっくり?驚いているだけで終わりな母。

 

この会話で相手の見解と違う事を言われて私は憤慨しているのに

(見解も何も、どこをみてるんだい!?て話なんだけど)

今までもさんざん私とは会話が噛み合わなくて何度もぶつかっておきながら

こんなに分かりやすいパターンでも「ごめん」の一言も出てこない。

軽く「ごめんごめん」で良いんだよ。

 

このことはまあまだ、この母だから、で済ませる事かもしれない。

 

去年父が無くなった時に家族で集まった際

話の流れから、弟が小学生の頃母から無理に剣道をさせられ

その時に母から意気地が無いだの腐った女みたいだだの言われたということが屈辱的だったと

涙ながらに話したことがあって。

私は弟が嫌がっていたのは覚えているし結局辞めた事も覚えている。

その時に私が結構なおてんばだったので私と弟が反対だったらと言われたのも覚えている。

その時の母の反応も「はーそうなんだ、そうなんだー」と言っただけだった。

弟はそれから運動が嫌いになって体を動かす事が楽しいとは思えなくなっていたらしい

大人になって友達と運動やらバイクやら乗るようになって楽しい事なんだと

思えるようになったらしい。

とそんなことまで話すのに母の反応は「へー、はー」から変わらなかった。

 

親だったら(とまた普通こうであろうなことを書くけど)

「悪かったね無理やりさせてて、ごめんね」くらいは言ってもよさそうなものだけど

そんな言葉は母からは出なかった。

あまりに胸糞悪かったので後になってどうして謝らなかったんだ?と私が問いただしたら

「悪いとは思ってなかったから」と返されたんだ。

「大の大人が泣いて話しているのがびっくりした」とも言われた。

かなりなショックだった。

 

たしかに悪いとはお思わなかったかもしれないし

(当時発せられた言葉が本当なら嫌だ…それは悪いとは思う)

無理に習い事をさせることはまああるかもしれないから「悪い」とは思わなくてもしょうがない

んだろうなとは考えられる。

けれども泣くまでして訴えられた今は大人だけど息子の気持ちを考えないのはどうなのかな?と。

私なりに小さい頃から似たようなことがあると色々訴えてきていたと思う、子供だから言葉も足りず

「普通のお母さんみたいに(反応)して」みたいなことを言っていたのを覚えている。

それがもうずっとずっと尾を引いてまた一緒に住むようになってもっと大きな亀裂になっている。

だけど母には何も理解できていない。母の反応は何か違うなと確信からも

色々話してきたけども通じない。

 

この母なんだから母のこんなところはもう諦めるべきだと思うけど、

草取りや庭仕事で頑張ってひーひーいっているときにこんな反応だと凹みます。

誰の為でもない自分の為に庭を綺麗にしているんだと考えるようにしているけども…。

 

 

猫