「朝日新聞・朝鮮版の研究」 | My Aim Is True

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前にも言いましたが、ここ3年ほど隔週雑誌のSAPIOを買い続けています。

で、これも言いましたが、最近は買ったのにそのまま読んでいない号もあるんです。

そして、今回も前号をほとんど読んでいない内に、いつの間にか新しい号を手にしてしまいました(笑)。

もう2週間経ったのか。忙しかったので時間が経つのを感じませんでした。


今号から、とても興味深い連載(不連続)が始まるようです。

それは「朝日新聞・朝鮮版の研究」です。


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日本統治時代に朝鮮半島で発行されていた朝日新聞の報道内容の研究です。

今でも全国紙は地域ごとにそれぞれ紙面を若干変えていますが、それの朝鮮版が当時は発行されていたのです(正確には西鮮版・北鮮版・中鮮版・南鮮版の4種類)。

朝日新聞は本当に凄い新聞で、かつて報じていたことと平気で180度違う報道をすることは皆さんもよくご存知でしょう。

例えば、1937年12月の日本軍の南京戦でも数日間の戦闘(実質3日間)の後、12月21日の報道で「抗日のお題目忘れた南京住民」「日毎加る親密さ」「“奈良の鹿”偲ばせる配給風景」「敵首都に皮肉な明朗」という見出しで、「南京の街には早くも戦後の平和が蘇ってきた」と写真入りで、日本兵に少しずつ慣れて、親交を深めるようになった中国人の様子が報道されています。

ところが、1970年代になって、中国共産党と連携して、突如、「南京大虐殺」プロパガンダ(「日本軍は6週間に渡って中国人を30万人大虐殺した!」)を展開します。


チベット報道に関しても、こんな良著がありました。


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さて、「朝日新聞・朝鮮版の研究」に話を戻します。

今回のテーマは「『創氏改名』はどのように報道されたか」です。


当ブログでも以前、本屋で見かけた「歴史教科書 在日コリアンの歴史(明石書店)」の冒頭に記された「土地よこせ」「米よこせ」「人よこせ」「命よこせ」という、おとぎ話に感化され、「日韓併合の『よこせ』神話の実体」シリーズを7回書きましたが、そのまま放置してしまいました。

ただ、あと3回ほどでまとめる予定で、「創氏改名」は絶対に取り上げるテーマでした。韓国人と歴史談議になっても、簡単に論破できるテーマです。

少し古いですが、韓国の歴史教科書(1997年版・明石書店)の翻訳本にも記されています(「在日コリアンの歴史」はノーチェック)。


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ちなみにそこには、

「日本はわれらに、わが民族はいつも他国の支配を受けてきた弱い民族であると教えた。また、日本はわれらの誇り高いハングルを使わせず、私たちの姓や名も日本式に直して呼ばせ、わが民族の精神をなくそうとした」

と記されています。

「弱い民族であると教えた」かどうかわかりませんが、朝鮮がずっと中国の属国だったことは事実なのに、韓国人は今でもそれを認めていませんからね。

「誇り高いハングル」ですか(笑)。

ハングルは15世紀に作られましたが、長い間、馬鹿にされて使われていなかったんですけど、19世紀になって日本人が「漢字だけで朝鮮語を表記するのは困難だから、このハングルという文字を使いなさい」と薦めたんです。そして、併合前、朝鮮半島全土で4校しかなかった学校でしたが、日本統治時代に5000校にまで増やしてハングルを教えました(確かに晩年の数年間は日本語の授業を増やしましたが)。


そして、「創氏改名」です。

「創氏改名」とは、韓国人の「正しい」歴史認識によると、「日本は朝鮮人から朝鮮式の名前を奪って、日本式の名前を強制した」という神話である。

ここでは詳しく述べませんが、言うまでもなく、事実は「日本式の名前を名乗らせてくれ!」という朝鮮人の嘆願に応えたものです。

かつて、若かりし日の麻生太郎・現首相が勇敢にも韓国で「日本は朝鮮半島で良いこともした」講演をして、韓国人聴衆者に猛反発を受ける中、韓国の老人に「あなたの言う通りだ。若いのによく知ってらっしゃる」と労いの言葉を受けたことは有名です。

ところが、帰国後、日本を代表する売国政治家・野中広務(自民党・小泉前は権力者だった)に激しく叱られたところ、奥野誠亮氏(自民党)が「野中君、きみは若いから知らないかもしれないけど、麻生君の言うことは100%正しい。朝鮮人の訴えが多かったので『創氏改名』に踏み切った。その判子を押したのは、当時、内務官僚だったこの私だ」と言うと、野中は中座して出て行ってしまったそうだ。


朝日新聞は2007年5月1日の記事で、

「植民地時代、日本は『創氏改名』として、日本風の名前を付けるように朝鮮人に強いた」

という韓国人の「正しい」歴史認識を宣伝します。


ところが、日本統治時代当時の朝日新聞は、

「世紀の歓喜 創氏」(北鮮版)

「金さんが一番乗り 京城に相次ぐ改姓者」(中鮮版)

「相次ぐ改姓名乗り 平壌府へ殺到す」(西鮮版)

と報道しています(笑)。


台湾人には申し訳ないのですが、日本は台湾人に比べ、朝鮮人を大変優遇しました。台湾人が日本式の名前を名乗るには、審査を受けて許可を与えれられないと名乗ることが出来ませんでしたが、朝鮮人は申請すれば誰でも名乗ることが出来たのです。

そのため、台湾人で日本式の名前を持った人は10%にも満たないほどでしたが、朝鮮人は80%ほどが日本式の名前を持ったのです。

おそらく、独立後の李承晩政権の反日政策の下、「お前は創氏改名したよな?」とイジメを受け、「違う!日本に強制されたんだ!」と自己弁護する必要があったのでしょう。僕は苛酷な朝鮮半島で生きていくために、そうした嘘をつく必要性は認めてあげますが、60年以上も経った後、未だにそうした嘘が「正しい」歴史認識として教育されていることは理解に苦しみますね。

ちなみに、現在の韓国人は日本式の名前を捨てて、中国式の名前に戻しました。