前回 社会貢献活動とは人と人 人と店舗を(地域)とをつなぐ仕事と書きました。

今回は仕事の内容を書きます。

私が担当している社会貢献活動は主に3つ。

 

1.店舗周辺の清掃活動の推進

2.毎月11日幸せの黄色いレシートキャンペーン

3.チアーズクラブ

 

店舗周辺の清掃活動は店舗の従業員が月1回店舗周辺を清掃するボランティア。

字面だけを見ると従業員に店舗周りを掃除するボランティアだから楽そうと思われるかもしれませんが、これがなかなか難しい。

何が難しいかと言うと、店舗の従業員はそれぞれの持ち場があり時間差で働いているため誰が参加したのか否かをチェックするのが難しい。活動に参加していても参加名簿にチェックせず売り場に帰ってしまう場合が多い。

 

ボランティアだから強制ではないからということで鼻から活動に参加しない。

しかも店周辺の清掃を月1回と言うけれど毎日 週一回地域住民が清掃を行っているお陰で店舗周りにゴミが落ちていないということもあり、従業員の参加意識も低くなりやすい。

 

大半の従業員は不参加。参加したとしても最速1分足らずで店に戻ってくる。

「清掃せずに何してたの」と聞きたい気持ちをグッとこらえて我慢する。

 

参加者を増やそうと声掛けをするものの参加者は増えない。

そんな時どうするか?

 

私がよく使う手は2つ。

1つは「虎の威を借りる」言い換えると店の店課長(店の幹部)に一日数回活動に参加

を依頼、店の幹部が参加する姿を他の従業員がみたらどう思うか。少しは参加しなくては

と気持ちが動く。

 

もう一つは「群集心理」を利用する。数人の従業員に1固まりになって清掃してもらう。1固まりだけでなくもう1固まりを作る。それを見た従業員が何だ何だと寄ってくる

そして清掃に引き込む。

という作戦。しかし2つとも多用しない事。多用すると「またか」と飽きられる

 

一見すると同じ店舗 同じ屋根の下で働いているので従業員同士がつながり易いと考え易い。しかし、出勤時間も担当も違う者が顔を合わすのは稀で、顔と名前が一致するのが難しい

 

そんな中 仕事とボランティアを両立させなければならない。

普通従業員は仕事をして給料をもらう。

しかしながらボランティアは無給。強制は出来ない。

個人の意思に任せるしかない。

そこが従業員ボランティアを推進する立場としての大きなジレンマ

でもある。

 

山出 光文(やまで みつふみ)と申します。

私は現在カタカナ3文字の企業に勤めています。

3文字の間に1本横線を入れると英会話学校の名前に変わる某イ〇〇で働いています。

某イ〇〇で29年勤務。そのうち27年社会貢献を担当しています。

社会貢献を一言で言うと、営業活動以外で人と人 人と店舗(地域)をつなぐ仕事です。

仕事の中身は今後おいおい伝えていこうと思います。

 

ブログ再開に当たって仕事以外にも自身の障がいや日ごろ感じていることを綴っていきます。こうご期待。

「姪っ子が2人目を生んだけどすぐに保育器に入れられた」という言葉を母から聞いた瞬間、私の脳裏にある不安がよぎった。

 

保育器とは産まれた時の体重が2,500g以下(低出生体重児)或いは早産の赤ちゃんが入る箱のような医療機器。そこでお母さんの胎内と同じような環境で一定期間生活をして発育状況を見る。

 

私が生まれた時の体重が1700g。私も即座に保育器に入れられた。私が生まれた50年前、保育器に入ると50%の確率でどこかに障がいが残ると言われていた。そして案の定、私は四肢に障がいが残り現在に至っている。

 

一方姪の子供は23日程保育器に入っただけでめでたく退院。すくすくと成長、喜ばしい限り。現在医学的に見ても、保育器に入ることには何の問題もないらしい。

 

生まれた後保育器という同じ機器に入った私と姪の第2子には結果的に大きな違いがある。

気持ち的には複雑な気持ちは少しある。一方で、それだけ昔と比べて医療の技術が進んだという証明と喜んでいる。

 


中学校に入って直ぐ私は医師から「もう一人では歩けない。機能を維持するためにも手術

が必要」と告げられました。これはまさしく死刑宣告に等しいことだったのです。

小学校入学を1年遅らせてまでリハビリに励み、小学3年生では、立ち姿はほぼ健常者と同じにまでなっていたからです。もう少しで一人で歩くことができると思っていた矢先の

出来事でした。


 手術が終わり目を覚ますと激痛が走り体を動かそうとしても動かすことが出来ません。

目を下の方にやるとお腹から両足までギブスで固定されていました。手術から2ヶ月は動けないと言われていたとは言え暫くは現実を受け入れることが出来ませんでした。

 中学に戻っても勉強着いていけるかな 歩けない僕はこれからどうなっていくのだろうと不安ばかりが頭を過ぎり、口数も少なくなっていきました。


 そんな中入院中の塞ぎこんだ私の気持ちを前向きに変えてくれたのが母親でした。

母はほぼ毎日面会時間に表れ、夕食が終わるまで一緒にいてくれました。

その間母は私に頑張れなど励ましの言葉を掛けることはありませんでした。母から家での様子を聞いたり世間話をしたり、プロ野球中継を一緒に観たりしました。そこには普段

通りの前向きな母親がいたのです。まさに病室ではなく家に戻ったのかと思うほど錯覚するほどでした。そして塞ぎこんでいたことが嘘のように私の気持ちに変化が表れるように

なりました。


「毎日病院に来てもらって母に申し訳ない。早く退院して早く家に戻りたい」と思うようになり、気持ちが明るくなり前向きになっていく自分を感じました。そして ハッと気づいたことがあります。


母は毎日病院に来て普段通りに振舞うことで私に「早く退院できるよう頑張れ」と励ましてくれたのではないか。そしてこの母の姿を見て「つらい事があっても辛い姿を見せずに頑張ろう」と。

母も毎日病院に来て私のギブス姿を見るのは辛かったと思います。その上、自宅と病院の往復はしんどかったと思います。しかし母は母でした。辛くしんどい状況でも普段通りの明るい母であり続けた。


 この何があっても「ぶれない姿勢」に人は安心感を覚え、やる気を起すと思います。

 

生きる大切さを伝える魂の語り部 山出 光文(やまで みつふみ)です。

先月の5月18日(金)四条畷学園高校の職員研修にてお話しをさせて頂きました。

当日職員研修だったこともあり写真撮影もビデオ撮りも学校側で行うため手持ち

の分はなかったのですが、一昨日、当日の動画と画像が送られてきました。

その時の画像と話した内容は次の通りです。

タイトルは「信じて動けば必ず伝わる。 私が掴んだ人間関係のツボ」です。

1.挨拶の意味

2.決心 いじめからの学び

3.アメリカでの発見

4.母の存在

5.母の存在

6.子供たちからの意外な言葉

7.私が大切にしている言葉

要約すると 

1.手足に障害のある私が入学から現在まで如何にして人間関係を作っていったか。
 
 それは、相手の顔を見て声をかけ続けたから。その一点に尽きる。継続は力。

 アメリカでは相手との距離を意識することが目線の高さ(上から目線)違和感をなくす

 きっかけとなった。

 常に人間関係は良くなる、自分で良くすると信じて行動してきた結果。

2.母の存在

 母との葛藤から母の想いを知る。

 小5~小6までの間 孤立無援 いじめに会い「なぜ母は私を普通小に行かせたか」を
 
 常に考える日々。卒業前に耐え切れず学校を休校。その時、母の取った行動と私に

 言った言葉を聞き、母の想いを知る。

 その時の一言 「困難や苦労は人を磨く。困難や苦労は人を成長させる」

3.子供たちからの意外な言葉に思わず・・・。

 16年前に現在の仕事に就くまでは子ともは特に好きではなかった。

 杖で歩く私を見て子供たちから「あれ 何」と指を指される事が多かったから。

 しかし子供たちと関わる仕事となるとそうは行かない。
 
 子どたちだけでなく、その親から「手足の悪い動けない人が何してるの」といった表情を

 され、店の従業員からは「なんでお前が来るねん」と言われた。

 その中で 子供たちに近づき、子供たちの声に徹底的に寄り添続けた結果、

 昨年の夏北海道エコツアーの説明に店舗に伺った時に子供たちから掛けられてた言葉

 に涙した。「おっちゃんも行かへんの」

 辛いこと悔しいことたくさんあったけれど やってて良かった と思った瞬間でした。

内容はこんな感じでした。先生方の前ということもあり、緊張で話に想いが込められなかった

のが反省でした。
 
 



生きる大切さを伝える魂の語り部 山出 光文(やまで みつふみ)です。

先日 4月7日に四条畷学園短期大学の新入生オリエンテーションにて

講演を行いました。

講演の内容は以下の通りです。

自己紹介

挨拶の意味

握手の意味

私が考える自信の作り方
・二宮 尊徳について
 至誠/積小為大
・マザーテレサについて
 愛の反対は/感謝の反対は
「いのちをいただく」

の流れで話していましたが学生の反応を見ると今一つ。目をつむり頭を縦にコックリ

し始める生徒もチラホラ。

ただ「私が考える自信の作り方」での箇所で私が入社3年目までは失敗ばかりで

相手にもされず挙句の果てに仕事がなく席に座るだけの毎日からどのように

立ち直ったかを話し出すと態度が一変。真剣にメモを取り出す姿が目につくように

なりました。

特に至誠/積小為大 目の前の小さな事、当たり前の事を一生懸命にやり遂げる事が大事

その姿勢を持ち続ける事で他者からの共感を得て、信頼と自信を得ることができる

と言った瞬間、多くの学生が深く頭を縦に振っていました。

そして最後に最近私が感銘を受けた絵本「いのちをいただく」(西尾 由美子 著)

を朗読して講演を何とか無事に終えることができました。

今回の講演で学生は将来(就職)に対して不安を持っている。

今回の講演を通じて私の経験が学生(大学生まで)に少しでも

今後の将来に対して前向きに捉えるきっかけになるとの確信を持つきっかけになった。













生きる大切さを伝える山出 光文(やまで みつふみ)です。

長らく更新しておりませんがもう直ぐブログを再開致します。

宜しくお願い致します。


生きる大切さを伝える山出 光文(やまで みつふみ)です。


先週の金曜日(2月17日)に 栢野 克己 先生のセミナー

で講演しました。30分という時間の中で自分の伝えたいことを

聞き手に伝えることができず撃沈。

私の講演対象者が今まで 小学生~短大生 だったので

今回まったく違う対象者に対し何をどう伝えるかの観点が抜け

落ちていました。反省 猛省です。

しかしこれで自分の足りない部分が明らかになり、今後の指針と

なったのも事実。話す構成・内容の吟味と事前練習に時間に

もっと時間を取り聞き手に伝わる講師を目指します。

本日もお読み頂きありがとうございました。感謝。







生きる大切さを伝える 山出 光文(やまで みつふみ)です。

長らくのご無沙汰です。「熟考して行動は素早く」はモットーなのですが年明けからドタバタと物事が

流れ、自分の意志とは逆の方向に捻じ曲げられ挙句の果てに・・・ダウン。


色々と行動だけはしていたのですが、思考が追い付かず腰を落ち着けることができずにいました。

その影響もあってブログを放置しておりました。

しかしそんなことは言ってられない事態に。

急遽 講演をする事になりました。来週の金曜日 2月17日に 大阪市西成区 西成区民センターにて講演

をすることになってしまいました。

依頼主は「弱者の戦略」でお馴染み 栢野 克己 先生

「2月17日 夜 空いてる?」と気楽に声を掛けられ 気楽に「はい」と答えたのは良いけれど

告知のHPを見たら講師陣が凄い。こんな場所に私がいていいの?と少し戸惑うほどの顔ぶれ。

都合のつく方は是非聞きに来てください。 
詳細はhttp://yumesenkan.jp/modules/news/index.php?page=article&storyid=83





みなさま。明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い致します。

去年後半は精神的、肉体的にへこんでしまいブログの更新がなかなか上手く

行きませんでした。

今年は目標設定達成のためブログを更新していきたいと思います。

今年はの目標は「子供たちに前向きに生きる大切さ」を伝えていきたい」と思います。 

講演回数 30回

昨年 四条畷学園中学校 650人の前で講演しました。人生最大の経験です。

この経験を活かし今年は講演の回数を増やしていこうと思います。

キャリア教育コーディネーター

小学校~高校までの職業意識を芽生えさせる 学校、企業、地域の調整役

CDA(キャリアアドバイザー)と結び付け自分の経験を活かせるのではないか

と考えています。何かご存じの方がいらっしゃったら教えてください。