般若心経
   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
     (かん じ ざい ぼ さつ)
     観自在菩薩
     (ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ)
     行深般若波羅蜜多時
     (しょう けん ご うん かい くう)
     照見五蘊皆空
     (ど いっ さい く やく)
     度一切苦厄
     (しゃ り し)
     舎利子
     (しき ふ い くう)
     色不異空
     (くう ふ い しき)
     空不異色
     (しき そく ぜ くう)
     色即是空
     (くう そく ぜ しき)
     空即是色
     (じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ)
     受想行識亦復如是
     (しゃ り し)
     舎利子
     (ぜ しょ ほう くう そう)
     是諸法空相
     (ふ しょう ふ めつ)
     不生不滅
     (ふ く ふ じょう)
     不垢不浄
     (ふ ぞう ふ げん)
     不増不減
     (ぜ こ くう ちゅう)
     是故空中
     (む しき)
     無色
     (む じゅ そう ぎょう しき)
     無受想行識
     (む げん に び ぜっ しん い)
     無眼耳鼻舌身意
     (む しき しょう こう み そく ほう)
     無色声香味触法
     (む げん かい)
     無眼界
     (ない し む い しき かい)
     乃至無意識界
     (む む みょう やく)
     無無明亦
     (む む みょう じん)
     無無明尽
     (ない し む ろう し)
     乃至無老死
     (やく む ろう し じん)
     亦無老死尽
     (む く しゅう めつ どう)
     無苦集滅道
     (む ち やく む とく)
     無智亦無得
     (い む しょ とく こ)
     以無所得故
     (ぼ だい さつ た)
     菩提薩
     (え はん にゃ は ら みっ た こ)
     依般若波羅蜜多故
     (しん む けい げ)
     心無礙
     (む けい げ こ)
     無礙故
     (む う く ふ)
     無有恐怖
     (おん り いっ さい てん どう む そう)
     遠離一切顛倒夢想
     (くう ぎょう ね はん)
     究竟涅槃
     (さん ぜ しょ ぶつ)
     三世諸仏
     (え はん にゃ は ら みっ た こ)
     依般若波羅蜜多故
     (とく あの く た ら さん みゃく さん ぼ だい)
     得阿耨多羅三藐三菩提
     (こ ち はん にゃ は ら みっ た)
     故知般若波羅蜜多
     (ぜ だい じん しゅ)
     是大神呪
     (ぜ だい みょう しゅ)
     是大明呪
     (ぜ む じょう しゅ)
     是無上呪
     (ぜ む とう どう しゅ)
     是無等等呪
     (のう じょ いっ さい く)
     能除一切苦
     (しん じつ ふ こ)
     真実不虚
     (こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ)
     故説般若波羅蜜多呪
     (そく せつ しゅ わっ)
     即説呪日
     (ぎゃ てい ぎゃ てい )
     羯諦羯諦
     (は ら ぎゃ てい)
     波羅羯諦
     (は ら そう ぎゃ てい)
     波羅僧羯諦
     (ぼ じ そ わ か)
     菩提薩婆訶
     (はん にゃ しん ぎょう)
     般若心経


三蔵法師玄奘訳
   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
     観音菩薩が、
     深遠な知恵を完成するための実践をされている時、
     人間の心身を構成している五つの要素が
     いずれも本質的なものではないと見極めて、
     すべての苦しみを取り除かれたのである。
     そして舎利子に向かい、
     次のように述べた。舎利子よ、
     形あるものは実体がないことと同じことであり、
     実体がないからこそ
     一時的な形あるものとして存在するものである。
     したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、
     実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。
     残りの、心の四つの働きの場合も、
     まったく同じことなのである。
     舎利子よ、
     この世の中のあらゆる存在や現象には、
     実体がない、という性質があるから、
     もともと、生じたということもなく、
     滅したということもなく、
     よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、
     増えることもなく、減ることもないのである。
     したがって、実体がないということの中には、
     形あるものはなく、
     感覚も念想も意志も知識もないし、
     眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、
     形・音・香・味・触覚・心の対象、
     といったそれぞれの器官に対する対象もないし、
     それらを受けとめる、
     眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。
     さらに、悟りに対する無知もないし、
     無知がなくなることもない、
     ということからはじまって、ついには老と死もなく
     老と死がなくなることもないことになる。
     苦しみも、その原因も、
     それをなくすことも、そしてその方法もない。
     知ることもなければ、得ることもない。
     かくて、得ることもないのだから、
     悟りを求めている者は、
     知恵の完成に住する。
     かくて心には何のさまたげもなく、
     さまたげがないから恐れがなく、
     あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、
     永遠にしずかな境地に安住しているのである。
     過去・現在・未来にわたる
     ”正しく目覚めたものたち”は
     知恵を完成することによっているので、
     この上なき悟りを得るのである。
     したがって次のように知るがよい。
     知恵の完成こそが
     偉大な真言であり、
     悟りのための真言であり、
     この上なき真言であり、
     比較するものがない真言なのである。
     これこそが、あらゆる苦しみを除き、
     真実そのものであって虚妄ではないのである、と。
     そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。
     すなわち次のような真言である。
     往き往きて、彼岸に往き、
     完全に彼岸に到達した者こそ、
     悟りそのものである。
     めでたし。
     知恵の完成についての
     もっとも肝要なものを説ける経典。