桶谷式認定者が語る楽しい育児

桶谷式認定者が語る楽しい育児

桶谷式母乳育児管理法の認定者になり、32年が経ちます。
今までの経験を、これから育児をする人たちに伝えていけたらと思います。
また、たわいもない日々雑感。
29歳になるアンジェルマン症候群の娘との話。
学んできたアドラー心理学の話など。

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アンジェルマンの長女が11月で31歳を迎えた。

この一年は、認知症になった母に付き合っていて、娘の事は二の次になっていた。

気がつくと31歳だ。 

 

私が30歳の時に娘を出産し、30代は長男とニ女も加わり、子育てに明け暮れた。

今考えても、つい数年前のように感じる。

そう思うと、長女がこの先私と同じ年になるのは、わけのない話に違いない。

 

そんなことを考えていたら、母の事で悩んでいる暇はないと思うようになった。

両親亡き後の事を、具体的に考えないといけない。

 

現在の環境はとてもいいと思っている。

施設の方々も親身に、なってみて下さるし、何より本人が楽しそうだ。

 

ただ、本人も31歳になり、大人になった。

自分が他者と違うことが分かってきていて、自分がどう行動すればいいか理解し始めたように思う。

自分は、何かしらの障害があって、社会の普通の若者が出来る事を、自分は出来ない、例えばスマホを使えないとか、言葉が話せないと言ったことだ。

それでも、自分の世界を不幸だと思っているわけではない。

そこが知的障害の良いところで、親も含め、可哀そうでも嘆くことでもない。

本人が、十分幸せと感じているようであれば、家族も一人一人が幸せを追求出来るように思う。

 

そう思うと、今の環境で彼女は満足かな?

もっと何か出来ないか。

そう思うようになった。

 

母の介護保険の認定は、去年から要介護1になった。

今年の判定も要介護1だったけれど、体調を壊したので新たにプランの見直しをすることになった。

ちょうど、母の85歳の誕生日にケアマネさん、ヘルパーさん、介護医療の方などが集まった。

 

最近の母は体調が悪く、寝たり起きたりなので、ヘルパーさんが食事を枕元に持っていき、食事したことを確認して内服をさせてくれる。

私は、母が吐血してから出来るだけ午後に行って、夕飯の支度と身の回りのことをする。

かなり疲れがたまってきたし、ちょっと限界にきている。

 

そんな状況なので、新しいプランでは、ヘルパーさんが朝週5回と夕週4回のヘルプに変更した。

それに、玄関やお風呂に手すりを取り付けることが追加された。

 

私は、夕方にヘルプが入ることになり、母の家まで行かない日があると思うだけで、気持ちが楽になった。

 

ただ、母の体調は、いまだ食欲はなく、この暑さの中で、どれだけ回復するか心配だ。

クーラーを使わずいる事が多いし、本人は寝ていれば回復すると単純に思っている。

それに、吐血したことを忘れ出した。

 

そうか・・

認知症になると、自分の現在の状況を、過去をさかのぼって判断できないのか・・

下手に神経質になるより、嫌なことを忘れていくほうが幸せなのかもしれない・・と思った。

もしかして、忘れたいことは頭の中から排除していくのかもしれない。

 

自分の都合の良いように生きるんだ。

それが許されるのが、認知症なのかな?

 

 

 

母の体調は、一時回復して笑顔も見れたのだけれど、老人が一度寝込めば体力はがたっと落ちる。

食事もお粥が一さじ程度。

用意して枕元に置かないと、食事をせずに寝ている。

暑さの中、布団に横たわっている母を見ると、少し不安だ。

 

良いこともあった。

お酒が飲めなくなり、アルコールが抜けてしらふになったおかげで、母は飲酒をしていたと認めた。

「ビールを飲まずに居られなかった、毎日にようにコンビニに買いに行っていた。」と白状した。

 

それに、命拾いをしたと言い、私に初めて「ありがとう」と言う気持ちになったそうだ。

じゃあ、それまではと言うと、「娘が親を世話をして当たり前と思っていた。」と本音をもらした。

「やはりそうだったんだ、、、」と、それはそれで複雑な気持ちにはなったけれど、ありがとうの気持ちだけでも救われる。

母への信頼が、少し取り戻せた。

 

私も自分自身を顧みる良い機会になった。

家族や友人、あらゆる人に対して当たり前に思っていることはないかな?

感謝しているだろうか?

すべての事に感謝する気持ちが湧いて出てきた。

 

人生は、まだまだ奥が深い。

 

 

 

母が吐血したのが金曜日だったので、ケアマネさんには伝えていなかった。

月曜日になり、ケアマネさんから電話があって事情を話す。

 

ケアマネさんは、一週間でもいいから入院して体調管理をしてもらうのが良いのではないかと言い、いわゆる老健と言う施設を手配してくれた。

そして、母の所に行って、元気になって戻ってほしいと説得してくれた。

 

ところが母は、頑として自宅が良いと言う。

誰が説得してもダメだった。

 

夕方、ケアマネさんから電話があって、あれこれ話して、結局母の気持ちを優先することにした。

私が決める事ではないけれど、母が最期を自宅で迎えたい思いがあるのなら、それが親にしてやれる最後の孝行なんだろう。

 

覚悟は決まらないまま、ケアマネさんが、「在宅ケアですね。」と言った。

そうか、最後まで自宅で過ごすとなったら、ケアは家族とヘルパーさんでやっていく分けか・・

 

私は内心、これから先の事を思ったら、怖くなってきた。

兄達に連絡すると、入院が当たり前と考えている。

 

「入院の手続きなどは、やってね。」と言うと、しぶしぶ分かったような返事。

「でも在宅が良いと言うから、とりあえず母の家で看ていくよ。」と言うと、それなら自分達が手を出さずに済むから、ホッとているようにも感じ。

そして、私の世代は、娘が看ていくのが当たり前なんだと思った。

 

残念だけど、男兄弟はあてにならないな・・

そして、私の負担が増えるばかりだ。

そんなことを思い始めた。

 

私は、母が私位の年齢になったころから、体調を壊して入院するとすべて一人でやってきた。。

再婚相手のじいじが亡くなるまでも、病院や食事の世話をして来た。

考えてみれば、20年は母をサポートしてきたつもりだ。

 

ここにきて、母を見て当たり前と思われながら、私は自分の生活は守りたいと思う。

障害のある子の世話。

自分の仕事。

家族との暮らし。

 

自分の生活を犠牲にしてまでも、一人暮らしを望む母をサポート出来ない。

それが私の選択だ。

母が、一週間前ほど前から食欲がなく、寝ていることが多くなった。

85歳になるのだから、横になっていても不思議ではない。

そうしているうちに、ヘルパーさんから電話があり 朝から嘔吐と下痢をしていると電話が入った。

 

午後、母の所に行くと、吐血と下血をして、横になっている。

慌てて医院に電話して行こうとすると、本人は、あまり驚いていず「だいぶ良くなったし、横になっていれば大丈夫。どこも行きたくない。」と言うだけで、病院に行こうとしない。

「救急車を呼ぶよ!入院になっちゃうよ!」と脅して、やっと抱えて連れ出した。

 

医院に着くと、看護師さんが車いすを持って外まで迎えに来てくれ、そのまま奥の診察室に運ばれた。

待合室で待っていると、先生からは、「胃がんか、熱中症か、もしくは何らかの疾患が隠れていることは確かなので、検査します。」と言われ、胃カメラ、超音波、血液検査をした。

 

結果は、胃潰瘍で、大きな潰瘍が2か所出来ていた。

先生に、「ビールを一日三本は飲んでました。」と言うと、「わかりやすいね~! 一日ビールを3本も飲んだの?」と失笑された。

 

結局、内服で様子を見ることになり帰宅したけれど、これからが大変だ。

母は、薬の管理が出来そうで出来ない。

潰瘍の薬を母一人で飲めるのか、食事は摂れるのか、水分補給は大丈夫なのか。

 

病院に運ばれて、管理してもらったほうが、良かったかもしれないと思いながら、結局私が毎日母の所に行って、薬と水分と食事を用意して洗濯ものを持ちかえるようになってしまった。

 

週初めになり、ヘルパーさんとケアマネさが様子を知り驚いて、内服や食事の管理をとても熱心にして下さった。

母は、5日間ほど水分と数口のお粥で過ごしたけれど、その後は徐々に食事も摂れるようになった。

周りのヘルパーさんが、母の回復ぶりにびっくりするほどだった。

 

それに驚いたことはもう一つ、自宅で最期を迎えたいそうだ。

これからどうなっていくのだろうと不安になる。

 

私は、数日だけで自宅の家事が中途半端になり、落ち着かないしし、協力してくれるはずの夫は出張でいない。

長女の送迎や世話もある。

 

私は、情けないけれど、一週間で疲れがたまって、寝込んでしまった。