【表彰式に行ってみたら…】島田洋七氏講演会感想【がばいばあちゃんに救われた】 後編

今回は、島田洋七氏の講演会の内容について。
その前に、島田洋七氏の思い出を書くと、僕が小2のころがあの漫才ブームの絶頂期。

知っている方は知っていると思いますが、世の中が島田洋七氏と島田洋八氏のコンビ、B&Bを中心に回っていたといっても過言ではありませんでした。

大げさな話ではなく、彼らは漫才ブームの頂点中の頂点にいました。
ただし…

漫才ブームが終了すると、人気は急落。
そのあとはずっと不遇の時代が続き、最近「がばいばあちゃん」でまた人気が復活。

本人も言ってましたが、芸能界一浮き沈みが激しい男だと。
でもですね、どういう形にせよ、一度は確実に天下を獲った男なんです。

天下を獲った男の話だったから、すごく聴きたかった。
あと、僕はたけしを尊敬しているんですが、洋七氏はたけしが認めた男。
だからより興味が湧きました。

講演のテーマは「コツコツやってもなぁ…と思う前にコツコツやれ。コツコツの先には成功がある。」

それでは内容を書いていきますね。読みにくかったらごめんなさいね。

そもそも島田氏の親戚が佐賀県で損保ジャパンの代理店をされていたそうです。
その方は亡くなられたらしいですが、実名を挙げた上で、佐賀県の出席者に「この人、おりましたよね?(実在しましたよね?)」と確認。

すると複数の出席者が「実在した」と証言。
それを確認した島田氏、「よかったー。俺、たけしと紳助のせいで『うそつき』扱いされているから、これで少しは信じてもらえますわ。」と自虐ww

その島田氏、自分でも誇れる「日本一」がいくつかあるんだとか。

まずは講演回数。
ここ20年の間に総数4000数百回の講演をこなしたそうです。

2位はあの戦場カメラマンこと渡部陽一氏。渡部氏が500回位。
あくまでも島田氏の話なんですが、とにかく2位との差がこんなに開いてるんだと。

次に、人気絶頂期のレギュラー本数が週19本だったということ。
あのみのもんた氏も最高で16本。島田紳助氏ですら7~8本だったそうです。

そしてそして。
「芸能界での浮き沈みも日本一やわ。」としっかり落としてくれましたww

ここからその浮き沈みをもとに、コツコツやることの重要性を説明。

漫才ブームが終焉し、人気が急落して不遇の時代が続いた後、あの伝説の深夜番組「北野ファンクラブ」で、たけしと「B&ビート」というコンビを組んで漫才をしたことで、また人気が再燃し、2年位はなんとか盛り返したと。(北野ファンクラブは僕も大好きでした。)

その後また人気が急落し、洋七氏はたけしの家に居候していたそうです。
それも6~7年という間。

たけしの家には軍団のメンバーも居候していたそうですが、洋七氏はたけしから毎日2万円をもらい、そのお金で買い出しに行き、軍団のご飯を作っていたそうです。

話は脱線しますが、洋七氏がたけしの家に居候していた時に起きたのが、あの「たけしバイク転倒事件」

洋七氏は「みんな知ってることやから」と言って、思いっきりバラしていましが、当時たけしはあのH川Fみえと付き合っていたらしいですねw

で、その子のマンションに行く途中に転倒したんだとか。

洋七氏は、そのころたけしの家に居候していたということで、当時、芸能レポーターが取材に殺到し、「たけしさんはH川さんの家に行く途中だったんですよね?」と質問攻めにあったらしい。

そこで洋七氏。
「行く途中でした。」と答えたらマズいと思い、本人曰く、気を利かせて「いいや、帰る途中だったみたいですよ。」と答えたら、その放送を見ていたたけしから「バカヤロー!行く途中だったら、まだ未遂でごまかせるけど、帰る途中だったら、完全に「行った」後のことじゃねーか!」と
怒られたんだとかww 

本当の話か?ww

話を戻して洋七氏、今の世の中について

・ 議員に頼りない人が多い(会場では実名を挙げてコキおろしてました(^_^;))
・ 昔はみんな一生懸命働いていた。戦後日本を復興させるために一生懸命働いて、疲れ切ってぐっすり寝ていた。悩むヒマもなかったから、精神的に落ち込む人もいなかった。だから自殺する人も少なかった。
・ 完璧な人間はいない。自分の持ち場で自分ができることを一生懸命やれ。
・ 今の70~80歳の方が頑張ってきたから、今のこの国がある。

などと持論を展開。「確かに」と納得。

そして、あのがばいばあちゃんの教えを例に挙げて

「何の仕事というわけじゃなく、一生懸命働いている人の背中が世の中で一番カッコいい。」

と。

人と対面する側の「前」の姿ではなく、ただひたすら何かに打ち込む人の背中…
それが一番カッコいいと。

ここからコツコツの話。

洋七氏は前述の居候時代、6~7年経ったころ、さすがにたけしから「働け、コノヤロー!」と怒られたんだとか。

「居候ってふつう6か月とかだろ?お前、もう6年だよ?下手な同棲より長いぞ!」とww

で、いい加減何かしなきゃと思った洋七氏はあちこちの旅館を転々とする生活をし、群馬の旅館で1か月ほど暮らした時のこと。

やはり洋七氏といったら知名度はあるから、夜な夜な女将さんや女中さんが「何か面白い話をしてください。」と頼んできたんだとか。

当然すご腕の漫才師だけあって、毎日大爆笑だったんですが、さすがに1か月も毎日続けたらネタもなくなってきたらしく…

それで自分の生い立ちでも話そうかということで、佐賀のおばあちゃんの家に預けられた時のことを話したら、女将さんや女中さんがえらく泣いて笑って喜んだらしく…

何かしらの感触をつかんだ洋七氏は、さっそく東京でたけしに会い、その「佐賀のおばあちゃんの話」をしたら、たけしも同じく泣いて笑って喜んだらしく、話を聞いたあとに、たけしから「本を書け!」と言われたそうです。

それがあの「がばいばあちゃん」発刊のきっかけ。

ところが。

当時洋七氏が出版会社に出版企画を持ち込んでも、耳を傾けてくれた会社はゼロだったとか。なんとその数41社!

洋七氏は「今でも覚えている悔しい話」として、某大手出版社の実社名を挙げ、そこの担当者から「漫才ブームのころだったらまだしも、今の洋七さんが書いても売れませんよ!」とバッサリ斬り捨てられた話を紹介。

そこでたけしに相談したら「自主出版しろ」と。
それで洋七氏は奥さんに相談し、貯金から214万円を切り崩して3000冊を自主出版。

その3000冊を1年かけて手売りしたそうです。

売れ行きは…
1年かけて3000冊ですから、さっぱり売れなかったらしい。

しかもタイトルは、「がばいばあちゃん」ではなく、たけしが考えた

「振り向けば悲しくもなく」

だったらしい。芸術肌のたけしらしいタイトルですね。

でも、とにかくさっぱり売れなかったらしく、やがて2年が経ったころ、またたけしから「ところであの本、どうなった?」って聞かれ、その時もたけしが「やっぱり昔の教育は今の子たちに絶対に必要だよ。また出せ(出版しろ)よ。」と言ったそうです。

で、洋七氏。

売れなかった1回目の出版の時と内容は全く変えず、タイトルだけ変えたそうです。
理由はとにかく佐賀県の人に買ってもらおうということで、「佐賀のがばいばあちゃん」

あと、出版社に掛け合って、最初から文庫本も出版するよう交渉したんだとか。

そこから…

手売りで2年かけて4万冊販売。
書店に飛び込み、その場でサイン会を開き、とにかくしつこく売り込んだらしい。

すると徐々に売れ始め、やがて徳間書店からの出版も決まった。
マスコミが騒ぎ始めたのは70万部売れたころから。

その70万部までは、マスコミの力も借りず、必死に売り続けたらしい。コツコツと。
やがてブームを察知した「スマステ」が特集を組んだら、その翌日になんと1日で10万部売れたらしいです。(洋七氏は「この10万部は俺のファンではく、SMAPファンが買った(笑)」と言ってましたw)

そして今。
「がばいばあちゃん」は今も福岡の書店で4~6位の売り上げをほこっているらしいです。

これを踏まえて洋七氏は

「本が売れた理由は、コツコツ必死にやってきたから。コツコツやることは、必ず何かの役に立つ。」

と。

あいさつにしてもそう。
もし、あいさつしても返さない人がいるとしたら、あいさつを返すまで、あいさつし続ければいいと。

そこにムダはないと。何かしらの役には立っているんだと。

そして、我々の仕事にかけて

「人生に保険をかけるんですよ」と。

どういう意味か。
何かをコツコツやれば、自分にもし何かあった場合、そのコツコツやってきたものが助けてくれる。」ということ。

それを自身に例えて、「何年も何年も(売り込みを)繰り返してきたから本が売れたんです。」と。

最後に洋七氏。
どんなに忙しくても、平均8時間は寝ているそうで

寝ると頭と顔がすっきりします。
だから、毎日ぐっすり眠れるように、一生懸命頑張ろう!

と。

以上、あっという間の90分。

今の僕の立場からして8時間睡眠は無理だけど、毎日ぐっすり眠れるように一生懸命頑張ろうと改めて誓った次第です。

天下を獲った男の話。
とてもとても印象深かった。

彼が話している90分の途中、壮絶な浮き沈みを経て、大人数相手に堂々といきいきと話す姿を見て、不思議とこみ上げてくる瞬間もありました。

話の大部分は爆笑&爆笑だったのに、彼の不遇の時代を察したら

悔しかっただろうなぁ 辛かったろうなぁ (また脚光を浴びるまで)長かっただろうなぁ

などと考えて、しんみりなり、ジーンときて。

まっ、それはともかく…

洋七氏がおばあちゃんの言葉を引用して伝えた言葉。

コツコツ努力したら何かになる(つながる)。
努力して、もしコケたら納得するけど、何もせずにコケて「しなかったこと」を後悔しないように。

僕も、これから先、コツコツコツコツ頑張っていく。
明日も、これからも全力で。